未来を変える者
教会が見えてきた。
山道を抜けた先。木々の隙間から姿を現した古びた建物は、夜空を赤く染める炎に照らされ、まるで地獄の底から浮かび上がってきたかのようだった。
四人は足を止めた。
教会の周囲には、かつてと変わらない墓地が広がっている。
そして、その奥には――。
「……着いたな」
蓮が、静かに呟いた。
ここだ。
自分が何度も夢に見た場所。
何度も見た光景。
そして、これから起きることを、どこかで知っているような感覚。
蓮は教会を見つめながら、これまでの出来事を振り返っていた。
夢の中では、ここに至るまでの道筋が、もっとはっきりと見えていた。
正樹の計画。
燃え盛る島。
仲間たちの死。
そして、風見蓮次との戦い。
夢の中の自分は、蓮次に敗北した。
武器を持たず、相手の力を理解できないまま、圧倒的な戦闘能力の前に倒れた。
しかし、現実は違った。
蓮次との戦いで、蓮の両手には白銀の刃が現れた。
その刃で蓮次を打ち負かし、彼を仲間に引き入れた。
夢では敵だった男が、今は隣を歩いている。
山は燃えている。
それでも、夢で見たように仲間たちが死んだわけではない。
蓮も、祐希も、咲も、そして蓮次も生きている。
見覚えのある未来が、少しずつ変わっている。
いや――違う。
未来が勝手に変わっているのではない。
自分が、変えているのだ。
「……そういうことか」
蓮は、思わず小さく呟いた。
「蓮? どうした?」
祐希が不思議そうに顔を覗き込む。
「いえ……少し、考え事を」
蓮は曖昧に答え、再び教会へと視線を戻した。
頭の中で、いくつもの記憶が繋がっていく。
悟の死を知らせる手紙。
あの手紙は、いったい誰が送ったのか。
差出人は分からなかった。
けれど、今なら一つの可能性が浮かぶ。
――あれを送ったのは、未来の自分なのではないか。
悟の死を知り、すべての始まりを止めるために。
過去の自分へ、警告を送った。
そして、非常食。
あれも偶然、そこに用意されていたわけではないのかもしれない。
未来の自分が、過去の自分たちが生き延びるために準備したもの。
さらに、蓮次との戦い。
夢の中では武器を持たずに敗北した。
しかし現実では、白銀の刃を手に入れ、蓮次に勝利した。
あの武器は、いったいどこから現れたのか。
蓮は、自分の両手を見つめた。
あの刃は、確かに自分の能力によって生み出されたものだった。
だが、本当にそれだけなのだろうか。
夢で見た未来と現実の違い。
過去へ送られた手紙。
用意されていた非常食。
そして、変わり始めた運命。
それらを繋ぎ合わせたとき、一つの仮説が浮かび上がった。
「……俺の能力は、記憶を読むことだけじゃない」
誰にも聞こえないほどの声で、蓮は呟いた。
自分が触れた相手の記憶を読む。
それが、これまで自分が認識していた能力だった。
しかし、もしも。
未来の自分の記憶を読むことができるのなら。
そして、その記憶を過去の自分へ届けることができるのなら。
さらに、物質までも過去へ送ることができるのなら。
未来を知り、過去に介入し、未来そのものを変える。
それが、自分の本当の能力なのではないか。
未来を知り、過去へ物質を送り、未来を改変する能力。
蓮は、息を呑んだ。
正直に言えば、強すぎる。
未来を知るだけでも、十分すぎるほどの力だ。
そこに過去への干渉まで加われば、未来に起きる悲劇を未然に防ぐことすらできる。
悟の死を回避することも。
島の住民たちを救うことも。
仲間たちが命を落とす未来を、変えることも。
理屈の上では、可能になる。
だが――。
「……分からないことも多すぎる」
蓮は眉をひそめた。
そもそも、能力が発動する条件は何なのか。
未来の自分は、どのように過去へ物質を送っているのか。
手紙や非常食、そして武器。
それらは本当に未来の自分が送ったものなのか。それとも、別の誰かが関わっているのか。
確かな証拠はない。
そして、もう一つ。
蓮の胸に、拭いきれない疑問が浮かんだ。
――未来を経験した自分は、今の自分と同じ世界に存在しているのか。
もし、過去へ干渉するたびに別の未来が生まれるのなら。
夢で見た未来を経験した自分が存在する世界と、今の自分が生きる世界は、別々のものなのかもしれない。
あるいは、同じ世界の過去と未来を、自分自身が繋いでいるだけなのか。
今の蓮には、どちらなのか判断できなかった。
もしかすると、未来の自分は、今の自分が何をするのかを知っているのかもしれない。
あるいは、未来を変えようとした結果、今の自分とは異なる道を歩むことになったのかもしれない。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
それでも、一つだけ確かなことがあった。
未来を変えるために、自分自身が行動を起こしている。
悟の死を知らせた手紙も。
非常食も。
蓮次との戦いで武器を持たずに敗北する未来を変えるための、あの白銀の刃も。
すべてが、繋がっている可能性がある。
未来の自分が、今の自分を生かそうとしている。
そして今の自分もまた、これから先の未来を変えるために行動している。
まるで、自分自身が自分を救うための仕掛けを作り続けているかのようだった。
「……俺が、未来を変えている」
その言葉を口にした瞬間、蓮の背筋に冷たいものが走った。
自分が見てきた未来は、絶対に起こるものではない。
変えられる。
自分の選択次第で。
自分の行動次第で。
だからこそ、今も仲間たちは生きている。
だからこそ、蓮次は敵ではなく、隣にいる。
そして、だからこそ――。
この島が燃えている未来でさえ、まだ変えられる可能性がある。
「蓮先輩?」
咲の声で、蓮は我に返った。
「大丈夫ですか? さっきから、ずっと難しい顔をしています」
「……ああ。大丈夫だ」
蓮は小さく笑った。
「ただ、少しだけ分かったことがあるんだ」
「分かったこと?」
「うん。でも、まだ確信はない」
蓮は三人を見渡した。
祐希は、父親を止めるためにここまで来た。
咲は、母親と自分の過去に隠された真実を知ろうとしている。
蓮次は、相変わらず何を考えているのか分からない笑みを浮かべている。
それでも、今の蓮には、彼らが生きているという事実が何よりも大切だった。
「……必ず、全員で帰ろう」
蓮が言うと、祐希は当然だというように頷いた。
「当たり前だろ。親父を止めるまでは帰れないからな」
「私も、最後まで一緒にいます」
咲も、まっすぐに蓮を見つめた。
「おやおや、いい話だねぇ♪ じゃあボクも、もう少し付き合ってあげようかな」
蓮次は肩をすくめた。
「お前は、最初からそのつもりだろ」
「ばれた?」
蓮は小さく笑った。
「……そういえば、蓮次」
「んー? なに、蓮ちゃん♪」
蓮は思い出したかの様に蓮次に問う。
「お前、どうして咲や悟に近づいたんだ?」
「んー?」
「それに、教会の図面だ。あれはどこから手に入れた?」
蓮次は歩みを止め、少しだけ考えるように首を傾げた。
「図面はね、なんか昔から持ってたんだよね」
「昔から?」
「うん。いつ、親の遺品?にあった。まぁ、顔も見た事ない親なんだけどね。ただ、いつか使う機会があるかなーって♪」
「……そんな理由かよ」
「そんな理由だよ?」
蓮次は悪びれる様子もなく笑った。
「それと、咲ちゃんたちに近づいたのは……勘かな?」
「感?」
「そうそう。この辺を使えばうまくいくんじゃない? とか、この人たちに近づけば面白いことが起きるんじゃない? とか。そういうの、なんとなく分かるんだよね」
俺は眉をひそめた。
「それは、ただの勘なのか?」
「さあ?」
蓮次は楽しそうに肩をすくめた。
「僕の勘って、結構当たるんだよね♪余地の能力があるのかも♪」
確かに、こいつの行動は妙だった。
教会の図面を持っていたこと。
咲や悟に近づいたこと。
そして、蓮と千鶴の存在にたどり着いたこと。
それらがすべて偶然だったと言われても、簡単には信じられない。
「もしかしたら、僕も不死川とか常盤とか、その辺の家系に関係してるのかもね?」
「……何?」
「だってさ、僕の身体、こんなじゃん?」
蓮次は、何でもないことのように自分の身体を指さした。
左腕は、先ほどの戦いで失ったままだ。
「小さい頃から、いろいろ研究とか言われて、身体をいじられたこともあるし。僕自身、普通の人間とはちょっと違うんだろうなって思ってたんだよね」
その口調に、深刻さはなかった。
まるで、昔どこかで食べた菓子の感想でも話しているようだった。
「それにさ、千鶴おばさん。僕、小さい頃に見たことがあるんだよね」
「千鶴さんを?」
「うん。で、こっちに来て思ったんだけど……あの人、顔が変わらなさすぎでしょ?」
蓮次は、くすくすと笑った。
「普通、そんなに変わらないことある? 気になって調べたら、面白いことが分かるんじゃないかなーって」
「それで、千鶴さんを追っていたのか?」
「まあね♪」
俺は言葉を失った。
「あとさ、蓮ちゃん」
「……何だ」
「僕、小さい頃に蓮ちゃんを見たことがあるんだよね」
「俺を?」
「うん。で、思ったんだよ。僕と蓮ちゃんって、顔が似てるじゃん?」
「は?」
思わず聞き返した。
「どこがだよ」
「えー、似てると思うけどなあ。髪の色とか、雰囲気とか? もしかして、生き別れの兄弟だったりして♪」
「ふざけるな」
「あはは! 冗談だって!」
蓮次は腹を抱えて笑った。
蓮はため息をついた。
こいつの話は、どこまでが冗談で、どこからが本気なのか分からない。
「それで、俺の周りを嗅ぎ回っていたのか?」
「そうそう♪」
あっさりと認めやがった。
「仲のいい人たちをかき回していけば、いつか蓮ちゃん本人が出てくるんじゃないかなーって。そしたら案の定、出てきたでしょ?」
「……お前な」
「作戦成功ってやつ?」
蓮次は、得意げに笑った。
偶然にしては、出来すぎている。
だが、本人が本当に勘だけで動いていたのだとしたら、それはそれで恐ろしい話だった。
「……最後に一つ聞かせろ」
「なーに?」
「悟のことだ」
俺は足を止めた。
蓮次の笑顔が、ほんの少しだけ静かになった。
「お前は、悟の死に関係しているのか?」
しばらく、沈黙が流れた。
やがて蓮次は、いつもの調子で口を開いた。
「それだけは、僕のせいにしないでね」
その声には、先ほどまでの軽薄さとは違う響きがあった。
「悟ちゃんを殺したのは、高尾っちと一ノ瀬って先生だから」
「……正樹さんと、一ノ瀬先生」
「そ。僕じゃないよ」
蓮次は、蓮の目をまっすぐに見つめた。
「僕だって、何でも知ってるわけじゃない。でも、誰が何をしたのかくらいは、間違えないでほしいな」
蓮は何も答えられなかった。
悟を殺した人間の名前。
当てどころのない怒りが込み上げる。
だが、それと同時に、胸の奥に冷たいものが広がっていくのを感じた。
そして――。
こいつの言う「勘」は、本当にただの勘なのだろうか。
「……蓮ちゃん?」
「いや、何でもない」
蓮は再び歩き出した。
蓮次も隣に並ぶ。
「ま、僕の過去なんて調べても、面白いことが出てくるか分からないけどね♪」
そう言って、蓮次は笑った。
その笑顔の奥に、何が隠されているのか。
蓮には、まだ分からなかった。
そして、教会の扉へと視線を向ける。
この先には、正樹がいる。
一ノ瀬透がいる。
そして、夢で見た未来の答えに繋がる何かが、待っているのかもしれない。
蓮は、静かに拳を握り締めた。
未来を知ることができるのなら。
未来を変えることができるのなら。
今度こそ、誰一人として失いたくない。
たとえ、そのために自分自身がどんな運命を背負うことになろうとも。
「……行こう」
蓮は教会へ向かって歩き出した。
三人が、その後に続く。
燃え盛る島を背に、四人は扉の前へとたどり着いた。
蓮は一度だけ、夜空を振り返る。
夢で見た未来は、確かに現実になりつつあった。
けれど、すべてが同じではない。
違いが生まれている。
自分自身の行動によって。
――ならば、最後まで変えてみせる。
蓮は扉に手をかけた。
そして、ゆっくりと押し開いた。




