狂気と規律
パンッ!
パンッ!
二発の銃声が、廊下に響き渡った。
蓮次に押し倒された蓮は、床に伏せたまま顔を上げる。
先頭を歩いていた二人の隊員は、頭部を撃ち抜かれ、その場に崩れ落ちていた。
即死だった。
「……っ!」
祐希が息を呑む。
咲は口元を押さえ、目の前の光景に凍りついていた。
ほんの数秒前まで、自分たちを護衛してくれていた二人。
記憶を操作されていたとはいえ、彼らは自分たちを仲間だと信じ、危険な基地の中を先導してくれていた。
その二人が、今はもう動かない。
「……おいおい。いきなり何なんだよ……!」
祐希が声を荒らげた。
蓮次は答えず、廊下の奥を睨みつけていた。
赤い警告灯が点滅する暗がりから、二人の男が姿を現す。
一人は、口元を歪め、今にも笑い出しそうな男だった。
その目には、まともな人間とは思えないほどの狂気が宿っている。銃を構える姿さえ、まるで遊び道具を手にした子供のようだった。
もう一人は、対照的だった。
無駄のない動作で銃を構え、感情の読めない目でこちらを見据えている。表情には一切の変化がなく、その瞳はまるで何も映していないかのように冷たかった。
二人とも、自衛隊の制服を身にまとっている。
だが、ただの隊員ではないことは明らかだった。
「よう、蓮次」
狂気を宿した男が、楽しそうに声をかける。
「久しぶりだな。元気そうじゃねえか」
隣の男も、淡々と口を開いた。
「風見蓮次。状況を説明しろ」
蓮次の顔から、笑みが消えた。
「……狂ちゃん、りっちゃん」
いつもの軽薄な調子で呼びかけようとしたものの、その声には明らかな焦りが滲んでいた。
「いきなり撃つなんて、ひどいじゃん。僕たち、仲間でしょ?」
狂介と呼ばれた男は、けらけらと笑った。
「仲間ぁ? ははっ! そりゃ面白い冗談だ!」
そして、狂介は銃口を蓮次たちへ向けたまま、首を傾ける。
「なあ、蓮次。お前、自分が何をしたかわかってんのか?」
「……何のことかなぁ?」
「とぼけるなよ」
狂介の笑みが深くなる。
その隣で、律と呼ばれた男が静かに告げた。
「疑わしきは罰す。それがお前の考えそうなことだ」
「いやいや、りっちゃん。ちょっとくらい釈明の時間をくれてもいいんじゃない?」
「必要ない」
律は即答した。
「お前がその三人を守った。その時点で、お前は俺たちの敵だろう?」
「……っ」
蓮次が、わずかに歯を食いしばった。
その反応を見て、蓮は違和感を覚えた。
あの蓮次が、焦っている。
訓練室で自分を圧倒したときも、腕を斬り落とされたときでさえ、あれほど余裕を失わなかった男が。
目の前の二人を、明らかに警戒していた。
「蓮次……あいつらは何者だ?」
蓮が小声で尋ねる。
蓮次は視線を前に向けたまま、短く答えた。
「雨宮狂介と、柊木律。僕と同じ精鋭部隊の人間だよ」
「同じ部隊……?」
「うん。どっちも化け物みたいに強い。狂ちゃんは戦いそのものを楽しむイカれた奴。りっちゃんは命令と規律がすべてで、命令されたら何も考えずに実行する」
蓮次は一度、失われた左腕へ視線を落とした。
「今の僕じゃ、二人を相手にするのは厳しい。特に、二人同時ならね」
蓮の表情が引き締まる。
つまり、目の前の二人に対抗できる戦力は、蓮と蓮次しかいない。
祐希と咲は戦闘能力に秀でているわけではなく、咲の記憶操作も相手に触れなければ発動できない。
銃を構える二人に、簡単に近づける状況ではなかった。
「……わかった」
蓮はゆっくりと立ち上がった。
そして、祐希と咲に向かって告げる。
「祐希先輩、咲。二人は下がってください」
「蓮、お前……!」
「祐希先輩は、咲を守ってください。ここは俺たちが何とかします」
祐希は悔しそうに唇を噛んだ。
「でも、相手は銃を持ってるんだぞ!」
「わかってます。それでも、二人を巻き込むわけにはいかないんです」
蓮は二人から目を離さなかった。
「咲の能力を使うには、相手に触れる必要がある。今、無理に前へ出れば危険です。だから、隙ができるまで待っていてください」
「……蓮先輩」
咲は不安そうに蓮を見つめた。
蓮はほんの一瞬だけ振り返り、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。必ず何とかするから」
それから、再び前を向く。
雨宮狂介は、そんな蓮の様子を見て、楽しそうに笑っていた。
「へえ……。お前がそいつらを守るのか、蓮次」
狂介は銃口をわずかに傾ける。
「面白えじゃねえか。裏切り者が出るなんて、今日は最高の日だな!」
「狂ちゃん、ちょっと落ち着こうよ。話し合いで解決できるかもしれないじゃん♪」
蓮次は笑顔を作った。
だが、その声には先ほどまでの余裕がなかった。
「話し合い?」
律が冷たく言い放つ。
「命令違反者との交渉は必要ない。風見蓮次、お前には投降を命じる」
「……それ、断ったら?」
「排除する」
律は一切の迷いなく答えた。
狂介が、嬉しそうに肩を震わせる。
「聞いたか、蓮次! お前、もう終わりだってよ!」
その顔には、狂気じみた笑みが浮かんでいた。
「さあ、どうする? 逃げるか? 戦うか? それとも、俺たちに殺されるか?」
蓮次は黙っていた。
右手だけで、どうやって二人の攻撃をしのぐか。
その頭の中では、すでにいくつもの可能性が計算されているはずだった。
だが、蓮次がどれほど強くても、相手は二人。
しかも、どちらも同じ精鋭部隊に所属する実力者だ。
簡単には突破できない。
蓮は静かに息を吸った。
手のひらに、わずかな熱が集まっていく。
以前、蓮次の腕を斬り落としたときに現れた、白銀の刃。
あの力を、今度は自分の意思で使えるのか。
まだ、確信はなかった。
それでも、退くわけにはいかない。
背後には、祐希と咲がいる。
そして、この基地には、まだ救わなければならない人たちがいる。
「……蓮次」
蓮は前を見据えたまま、静かに呼びかけた。
「俺たちで、こいつらを止めるぞ」
蓮次は一瞬だけ目を見開き、それから口元を歪めた。
「……ははっ。いいね、蓮ちゃん♪」
焦りの色は、まだ消えていない。
だが、その瞳には再び戦う意思が宿っていた。
「狂ちゃん、りっちゃん。悪いけど、今日は僕たちの勝ちにさせてもらうよ♪」
狂介が、心底嬉しそうに笑った。
「言ったな、蓮次!」
律は無言で銃を構え直す。
赤い警告灯が、四人と二人を交互に照らしていた。
次の瞬間、誰かが動けば、戦いが始まる。
蓮は拳を握りしめた。
今度の相手は、蓮次一人ではない。
狂気と規律。
二人の精鋭を前に、蓮たちは生き残ることができるのか。
その答えは、まだ誰にもわからなかった。




