普通という名の不平等
サイレンが、基地全体に鳴り響いていた。
赤い警告灯が点滅し、廊下の壁を不気味に染め上げる。
突然の事態に、蓮たちは顔を見合わせた。
「……何が起きたんだ?」
祐希が無線機を確認する。しかし、聞こえてくるのは雑音と、途切れ途切れの声ばかりだった。
「わからない。とにかく、ここに立ち止まっていても仕方がない。移動しよう」
蓮の言葉に、咲がうなずく。
蓮次も異論はないようで、残った右手をひらひらと振った。
「了解、リーダー♪」
「その呼び方、やめろ」
「えー、いいじゃん。せっかく仲間になったんだからさ♪」
「……まだ完全に信用したわけじゃないからな」
「わかってるって♪」
蓮次は楽しそうに笑った。
四人は警戒しながら廊下を進み始めた。
すれ違う自衛隊員たちは、誰もが焦った様子で走り回っている。普段なら厳重に管理されているはずの通路も、今は人の出入りが激しく、混乱していた。
しかし、彼らの会話を聞いても、何が起きているのかはわからない。
基地全体が何かに揺さぶられている。
それだけは確かだった。
「……ねえ、蓮ちゃん」
しばらく歩いたところで、蓮次が口を開いた。
「なんだ?」
「君は、どうしてそこまで不老不死の研究を止めたいの?」
唐突な質問だった。
蓮は少しだけ考えてから、答えた。
「俺は、この先の悲惨な未来を見た。あれが本当に現実になるのかわからない。けど、大切な人たちを守りたい。咲も、祐希先輩も、島の人たちも。誰も死なずに、普通に暮らせる世界にしたい」
「普通に暮らせる世界、かぁ……」
蓮次は、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
「じゃあ、蓮ちゃんにとっての普通って、どんな世界なの?」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ♪」
蓮次は前を向いたまま続けた。
「力のある人間が、力のない人間を踏みつける。金のある人間が、金のない人間を見下す。生まれた家や立場が違うだけで、最初から選べる道が決まっている。そういう世界に戻りたいってこと?」
「……」
「それでも、みんなはそれを普通って呼ぶんだよね。弱い人間が強い人間に従うのも、理不尽な目に遭うのも、仕方ないことだって。だって、それが世の中だから」
蓮次は笑った。
「ねえ、蓮ちゃん。それって本当に、価値のある世界なのかな?」
蓮は答えられなかった。
不老不死の研究を阻止出来れば、戦争がなくなるのか。
弱い人間が踏みにじられない世界になるのか。
そんな保証はどこにもない。
それでも、蓮次の言葉を簡単に否定することはできなかった。
普通という言葉の裏側には、見過ごされてきた不平等がある。
誰かにとっての当たり前が、別の誰かにとっては耐えがたい理不尽なのかもしれない。
「……だからって、不老不死の研究を完成させていい理由にはならない」
蓮は、ようやく口を開いた。
「誰かを救うために、別の誰かを犠牲にする。そんなやり方で作った世界が、本当に平等なわけがない」
「へぇ……」
蓮次の目が、わずかに細くなる。
「じゃあ、どうするの? 今の世界の不平等をなくす方法なんて、蓮ちゃんにはあるの?」
「……まだ、わからない」
蓮は正直に答えた。
「でも、わからないからって、間違っていると知っている方法を選ぶつもりはない」
蓮次はしばらく蓮を見つめていた。
やがて、くすりと笑う。
「そっか♪」
それ以上、蓮次は何も言わなかった。
祐希も咲も、黙ったままだった。
蓮次の考えに賛同したわけではない。
ただ、彼の問いに胸を張って答えられるほど、自分たちも世界のことを理解しているわけではなかった。
しばらくして、蓮次がぱん、と右手を打ち鳴らした。
「ま、難しい話はここまでにしようか♪ 今はそんなことを考えてる場合じゃないしね」
「お前が始めたんだろ……」
祐希が呆れたように言う。
「そうだっけ? 忘れちゃった♪」
「絶対に覚えてるだろ……」
祐希は深いため息をついた。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。
だが、蓮次はすぐに咲へ視線を向けた。
「それより、咲ちゃん」
「……はい?」
「君の記憶操作って、相手の記憶を消したり、別の記憶を植えつけたりするんだよね?」
「そうですけど……」
「だったら、次は僕たちの味方になるように記憶を操作してみたら?」
咲は目を見開いた。
「味方に……?」
「そう。今、僕たちは敵の数に対して圧倒的に少ない。真正面から戦っても勝ち目は薄いでしょ? なら、敵を減らすんじゃなくて、味方を増やせばいい」
蓮は思わず蓮次を見た。
確かに、それができれば状況は大きく変わる。
しかし――。
「……できるかどうか、わかりません」
咲は困ったように視線を落とした。
「今まで、誰かの記憶を操作するときは、その人に触れていました。相手を味方にするような記憶を、どこまで正確に作れるのかも……」
「そっかぁ。まだ試したことがないんだね♪」
蓮次は残念そうに肩をすくめた。
「でも、可能性はある。今までやってきたことの応用なんだから、考える価値はあると思うよ」
「……そうですね」
咲は小さくうなずいた。
蓮も考え込んでいた。
蓮次は、敵であるはずの自分たちに協力している。
それも、ただ命令に従っているのではない。
状況を冷静に分析し、こちらが生き残るための方法を考えている。
その一方で、世界の不平等を問いかけ、何を考えているのか簡単には読ませない。
危険な男であることに変わりはない。
だが、単純に悪と決めつけられる相手でもなかった。
「……お前、本当に何を考えてるんだ?」
蓮がつぶやく。
「ん? 蓮ちゃんたちと仲良くしたいだけだよ♪」
「その言葉を信じられる日が来るとは思えないな」
「ひどいなぁ♪」
蓮次が笑う。
そのときだった。
廊下の向こうから、複数の自衛隊員が駆けてきた。
「急げ! 各区画の状況を確認しろ!」
「司令部からの指示はまだか!」
「わからん! とにかく持ち場を離れるな!」
彼らは四人に気づくことなく、慌ただしく走り去っていった。
蓮たちは顔を見合わせる。
「……何があったんだ?」
祐希がつぶやいた。
「わからないです。でも、基地全体が騒ぎになっているのは確かです。」
蓮は周囲を警戒しながら答えた。
サイレンは、今も鳴り続けている。
赤い光が壁を照らし、遠くからは慌ただしい足音と、断片的な指示の声が聞こえてくる。
何かが起きている。
それだけは間違いない。
だが、その原因も、誰が何を隠しているのかも、まだ誰にもわからなかった。
「……とりあえず、状況を確かめよう」
蓮の言葉に、祐希と咲がうなずく。
蓮次は口元に笑みを浮かべたまま、廊下の奥を見つめていた。
その笑顔の向こうに、何を見ているのか。
誰にも、わからなかった。




