蓮次の思惑
蓮次に腕をつかまれたまま、蓮は廊下を進んでいた。
背後からは、倉庫に閉じ込められた祐希と咲の声が聞こえていた。
「蓮! おい、蓮次! 蓮をどこへ連れていく気だ!」
「蓮先輩! 待ってください!」
二人の声が、少しずつ遠ざかっていく。
「うるさいなぁ。そんなに大声出さなくても聞こえてるって♪」
蓮次は振り返りもせず、楽しそうに笑った。
「二人は大丈夫なのか……?」
「ん? ああ、祐希くんと咲ちゃん? 大丈夫、大丈夫♪ ちょっと閉じ込めてるだけだからさ」
「ふざけるな!」
蓮は腕を振りほどこうとした。
だが、蓮次の手はびくともしない。
「そんなに怒らないでよ、蓮ちゃん。せっかく二人きりになれたんだから、仲良くしようよ♪」
「誰がお前なんかと……!」
「えー、ひどいなぁ♪」
蓮次は心底傷ついたような顔をしてみせた。
もちろん、その口元には笑みが浮かんでいる。
蓮は、この男が何を考えているのか理解できなかった。
千鶴を刺したときも、まるで遊びの延長のようだった。
人を傷つけることに、ためらいがない。
いったい、こいつは何者なのか。
何を考え、何を目的に生きているのか。
その答えを知るため、蓮は蓮次の手に触れた。
瞬間――。
視界が、暗転した。
*
――小学校の校庭。
数人の少年たちが、一人の生徒を取り囲んでいた。
『おい、泣くなよ。男だろ?』
『先生に言ったら、もっとひどい目に遭わせるからな』
囲まれている少年は、地面に座り込んでいた。
服は泥で汚れ、目には涙が浮かんでいる。
周囲には何人もの生徒がいたが、誰も助けようとはしなかった。
そのときだった。
『ねえ、君たち。何やってんの?』
明るい声が、少年たちの背後から聞こえた。
振り返った先に立っていたのは、赤と白の髪をした少年――風見蓮次だった。
『あ? 何だよ、お前』
『見てわかんない? こいつで遊んでんだよ』
少年たちは、嘲笑いながら答えた。
蓮次は、地面に座り込んでいる生徒を見た。
そして、ゆっくりと少年たちへ視線を戻した。
『ふーん……』
蓮次は笑っていた。
『それ、楽しいの?』
『はあ?』
『一人を何人もで囲んでさ。そいつが嫌がってるのに、無理やり続けてるんでしょ?』
蓮次は首を傾げた。
『それって、面白いのかなぁ♪』
『うるせえな! お前には関係ねえだろ!』
一人の少年が、蓮次の胸ぐらをつかんだ。
『余計なことに首突っ込んでんじゃねえよ!』
その瞬間、蓮次の笑顔が深まった。
『……そっか♪』
次の瞬間だった。
蓮次は相手の手を振り払い、少年の顔面を殴りつけた。
少年が地面に倒れる。
『なっ……! てめえ!』
残りの少年たちが、一斉に襲いかかった。
だが、蓮次は一歩も退かなかった。
一人の攻撃をかわし、腹部へ拳を叩き込む。
別の少年が後ろから飛びかかるが、蓮次は身体をひねって避け、そのまま相手を地面へ投げ飛ばした。
倒れた少年たちが、苦痛に顔を歪める。
それでも蓮次は止まらなかった。
抵抗できなくなった相手にも容赦なく拳を振るい、次々と地面へ沈めていく。
『や、やめろ! もういいだろ!』
『えー? さっきまで、そっちがやってたことじゃん♪』
蓮次は笑っていた。
怒りに我を忘れているわけではない。
ただ、目の前の光景を楽しんでいるかのようだった。
やがて、少年たちは全員、立ち上がることすらできなくなった。
その場にいた生徒たちが悲鳴を上げ、教師たちが慌てて駆け寄ってくる。
『風見! もうやめなさい!』
教師が蓮次の肩をつかんだ。
蓮次はようやく拳を止めた。
『えー、もう終わり?』
彼は不満そうに頬を膨らませた。
『せっかく、みんなで遊んでたのに♪』
その言葉に、教師は顔を青ざめさせた。
蓮次が助けた少年は、呆然としたまま彼を見上げていた。
『あ……ありがとう……』
震える声で礼を告げる。
蓮次は少年を見て、にっこりと笑った。
『ん? いいよ、別に♪』
そして、まるで何事もなかったかのように歩き出した。
*
場面が変わった。
白い壁に囲まれた部屋。
大人たちが、机の上に並べられた書類を見つめていた。
『相手の生徒は複数名が重傷。中には、しばらく学校に復帰できない者もいるそうです』
『しかし、風見は以前から問題行動が……』
『今回ばかりは、そう簡単には済まされないだろう』
大人たちの話し合いは長く続いた。
やがて、蓮次は少年院へ送られることになった。
その知らせを聞いたときも、彼は特に取り乱さなかった。
『少年院かぁ……』
蓮次は椅子に座り、楽しそうに足を揺らしていた。
『まあ、退屈しなければいいけどね♪』
反省している様子はなかった。
ただ、いじめられていた生徒を助けたことについても、誇る様子はなかった。
彼にとっては、目の前で行われていた理不尽な行為が気に入らなかった。
だから、やり返した。
それだけだった。
しかし、そのやり方はあまりにも苛烈だった。
相手が動けなくなっても、蓮次は手を止めなかった。
蓮は、その記憶を見ながら思った。
――こいつは、正義感から動いたのか?
確かに、最初に手を出したのは蓮次ではない。
いじめられていた生徒を守ろうとしたことも事実だ。
だが、相手を叩きのめしていくときの、あの笑顔。
あれだけは、どうしても理解できなかった。
*
さらに場面が切り替わる。
少年院を出た後の蓮次は、以前よりも背が伸びていた。
その前に立っていたのは、高尾正樹だった。
『風見蓮次。お前、行くところがないそうだな』
『そうだけど?』
『なら、私のところへ来い』
正樹は、蓮次を見下ろしていた。
『お前には、使い道がある』
『使い道?』
『そうだ。お前の力を生かせる場所を用意してやる』
蓮次はしばらく正樹の顔を眺めていた。
やがて、いつもの笑顔を浮かべる。
『へえ……面白そうじゃん♪』
それが、蓮次と正樹の出会いだった。
正樹は蓮次を引き取り、育てた。
食事を与え、住む場所を与え、戦うための技術を教えた。
蓮次はその環境に馴染み、いつしか正樹の命令で動くようになっていった。
ただし、それは忠誠心からではなかった。
正樹に従っていれば、退屈しない。
自分の力を振るえる。
それだけのことだった。
蓮は、蓮次の記憶をたどりながら確信した。
この男にとって、正樹は親というよりも、遊び場を用意してくれる存在なのだ。
そして、正樹もまた、蓮次を一人の人間として育てたわけではない。
自分の目的のために利用できる道具として、手元に置いたのだ。
*
次に見えたのは、山中の光景だった。
血に染まった千鶴。
その近くに立つ蓮次。
千鶴を刺した直後の記憶だった。
蓮は思わず息を呑んだ。
千鶴の身体が倒れる。
蓮次はその様子を一瞥すると、何事もなかったかのように歩き出した。
そして、正樹のもとへ戻った。
『高尾っち、報告があるよ♪』
『何だ』
『祐希ちゃんたち、家に戻ってたよ。あと、蓮ちゃん生きてるよ♪ でも逃げられちゃった♪』
蓮は目を見開いた。
祐希と咲が家に戻っていたこと。
自分が薬を投与されても生き延びたこと。
蓮次は、それらを正樹に報告していた。
しかし――。
『何だと? あの三人が戻っていたのか?』
『うん♪ でも、ちょっと見失っちゃってさ』
『貴様……! なぜ逃がした!』
『いやぁ、ごめんごめん♪ 次はちゃんと捕まえるからさ♪』
蓮次は笑いながら謝っていた。
正樹は苛立ちを隠そうともせず、蓮次を怒鳴りつける。
それでも蓮次は、どこ吹く風だった。
蓮は記憶の中の二人を見つめた。
正樹は知らないのだ。
千鶴が何者だったのか。
不死川家と常盤家の秘密。
戦時中から続く研究の真実。
そして、一ノ瀬が残した記録に何が書かれていたのか。
蓮次は、そこまで話していなかった。
少なくとも、この記憶の中では。
なぜ隠しているのかはわからない。
だが、蓮次は自分が知った真実を、正樹にすべて伝えているわけではないようだった。
――こいつは、何を考えている?
正樹に従っているようで、何かを隠している。
千鶴を殺したことも、蓮たちを捕まえたことも、すべて自分の意思で動いているように見える。
正樹の命令に従うことすら、蓮次にとっては遊びの一部なのかもしれない。
*
「……っ!」
蓮は、はっと目を開けた。
目の前には、蓮次の顔があった。
「おかえり、蓮ちゃん♪」
蓮次は、相変わらず楽しそうに笑っていた。
「……お前」
「ん? どうしたの? 怖い顔しちゃって♪」
蓮は答えなかった。
見た記憶の断片が、頭の中で渦巻いている。
少年時代の暴力。
少年院。
正樹との出会い。
そして、千鶴を刺した後の報告。
蓮次は、自分の過去を隠すつもりなどないのだろう。
それどころか、誰かに知られたところで、何とも思っていないのかもしれない。
「……正樹さんには、何を隠している?」
蓮は、低い声で尋ねた。
蓮次の笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
だが、すぐにいつもの表情へ戻る。
「えー? 何のことかなぁ♪」
「とぼけるな。お前、俺たちが知った真実を、正樹さんには話していないだろ」
蓮次はしばらく蓮を見つめていた。
そして、くすくすと笑い始めた。
「……蓮ちゃんって、ほんと面白いね♪」
答えにはなっていなかった。
だが、その反応だけで十分だった。
蓮次は、何かを知っている。
そして、それを正樹に隠している。
「まあ、そんなことよりさ♪」
蓮次は蓮の肩を軽く叩いた。
「着いたよ」
蓮は顔を上げた。
そこには、一枚の重厚な扉があった。
扉の脇には認証装置が設置され、上部には小さな監視カメラが埋め込まれている。
蓮次が扉を開ける。
その先に広がっていたのは、研究室ではなかった。
そこは、広々とした訓練用の部屋だった。
壁には衝撃を吸収するためのマットが張られ、床には激しい格闘訓練にも耐えられる素材が敷かれている。
部屋の隅には、訓練用の器具が並んでいた。
しかし、蓮の目は、その設備を捉えていなかった。
「……ここは……」
見覚えがあった。
いや、見覚えどころではない。
何度も夢に出てきた場所だった。
蓮次に一方的に殴られ、抵抗することもできず、床に倒れ込んでいたあの光景。
何度立ち上がっても、何度向かっていっても、蓮次には届かなかった。
夢の中で、蓮は何度も敗北していた。
その場所が、今、目の前にある。
「嘘だろ……」
蓮は、ゆっくりと後ずさった。
夢で見たはずの光景が、現実に存在している。
これは夢ではない。
現実だ。
蓮次は、そんな蓮の反応を楽しむように、隣で笑っていた。
「どう? いい場所でしょ?♪」
蓮は答えられなかった。
なぜ、この場所を夢で見たのか。
なぜ、未来の光景と同じ場所が、今ここに存在しているのか。
そして――。
自分は、ここで再び敗北するのか。
蓮次は扉を閉めた。
重い金属音が、部屋の中に響き渡る。
「さあ、蓮ちゃん♪」
彼は、ゆっくりと振り返った。




