潜入
三人は山小屋を後にし、木々の間を縫うようにして山道を進んでいた。
目指すのは、山奥にひっそりと存在する自衛隊の基地。
蓮は借り物の制服の襟を整えながら、前を歩く祐希と咲に目配せした。
「いいか。なるべく顔を見られないようにしよう。もし話しかけられても、余計なことは喋るな」
「わかってるよ」
「はい、蓮先輩」
そのときだった。
前方の分かれ道から、数人の自衛隊員が駆け足で現れた。
「おい、まだ見つからないのか?」
「見つかってません! 山中を捜索しましたが、痕跡すらありません!」
「くそっ……。司令部からの命令だ。引き続き捜索しろ。俺たちは町の方を確認する!」
「了解!」
男たちは三人の存在など気にも留めず、慌ただしく町の方角へ走り去っていった。
蓮たちは足を止め、互いに顔を見合わせた。
「……捜しているのは、俺たちだろうな」
祐希が小声で呟く。
「たぶんな。さっきの男が言っていた司令部ってのも気になる」
蓮は男たちの背中を見送った。
どうやら、基地の人間はすでに三人の逃亡を把握しているらしい。
時間をかければかけるほど、状況は悪くなる。
「急ごう。見つかる前に中へ入る」
三人は再び歩き始めた。
しばらく進むと、木々の隙間から巨大なフェンスが姿を現した。
その向こうには、いくつもの建物が立ち並んでいる。
周囲を囲む高い塀。監視カメラ。等間隔に設置された照明。
以前、遠くから確認したときよりも、基地はずっと大きく見えた。
「……こんな場所に、よくもまあ隠していたもんだな」
祐希が呆れたように呟く。
「ここで何が行われているのか、国民は何も知らないんだろうな」
蓮はフェンスの向こうを見つめた。
この場所で、不老不死の研究が続けられている。
そして、その研究のために悟は殺された。
そう考えると、胸の奥から怒りが込み上げてきた。
「蓮先輩……」
咲が心配そうに声をかける。
「大丈夫。行こう」
三人は警備員に不審がられないよう、堂々とした足取りで正門へ向かった。
門の前には武装した隊員が立っていたが、制服姿の三人を見ると、特に疑う様子もなく門を開けた。
「ご苦労さまです」
蓮は軽く頭を下げ、そのまま通り抜ける。
心臓がうるさいほどに鳴っていた。
門を越えたからといって、安心はできない。
むしろ、ここからが本番だった。
三人は敷地内を進み、奥にある大きな建物へ向かった。
建物の入口には、頑丈そうな金属製の扉が設置されている。
その横にはカードリーダーがあった。
「……カードキーかよ」
祐希が小さく舌打ちした。
蓮は扉を確認し、周囲に視線を走らせた。
「どうする? これがないと入れないぞ」
「制服を着ているだけじゃ駄目なんですね……」
咲も焦りを隠せない様子だった。
三人は慌てて制服のポケットを探り始めた。
ズボンのポケット。上着の内側。腰の装備。
何もない。
やはり、そう簡単にはいかないのか。
そう思った瞬間、祐希が声を上げた。
「おい、これ!」
祐希が取り出したのは、一枚のカードだった。
制服の胸ポケットに、何事もなかったかのように収まっていたのだ。
「……あった」
蓮も自分の胸ポケットを探る。
そこにも、同じようなカードキーが入っていた。
咲の制服にも一枚。
三人は顔を見合わせた。
「助かった……。あいつら、カードまで持ってたんだな」
「これなら入れますね」
咲がカードを握りしめる。
蓮は一度だけ深呼吸をすると、カードリーダーにかざした。
短い電子音が鳴る。
直後、重々しい音を立てて扉のロックが解除された。
「……よし」
三人は素早く中へ入った。
そこは、外から見た建物の印象をはるかに超える広さだった。
吹き抜けになった巨大なホール。
整然と並ぶ受付カウンター。
壁には複数の監視モニターが設置され、制服姿の隊員たちが忙しそうに行き交っている。
研究施設というより、軍事基地の司令拠点そのものだった。
「……広すぎだろ」
祐希が思わず呟いた。
「声が大きいですよ。」
「悪い」
蓮は周囲を観察しながら歩いた。
どこに研究室があるのか。どこに資料が保管されているのか。
今の段階では、何一つわからない。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
三人はホールを抜け、奥へ続く廊下に入った。
無機質な照明。等間隔に並ぶ扉。
廊下の奥からは、機械の駆動音らしきものが微かに響いている。
そして、少し先にある部屋の前で、蓮の足が止まった。
扉の上には、はっきりと文字が記されていた。
――司令室。
扉は完全には閉まっていなかった。
隙間から光が漏れ、誰かの声が聞こえてくる。
「……だから、まだなのかと聞いている!」
男の怒声に、蓮は息を呑んだ。
聞き覚えのある声だった。
高尾正樹。
祐希の父親であり、悟の死に関わった男。
蓮たちは思わず足を止め、壁際へ身を寄せた。
正樹は電話をしているようだった。
「研究はまだ成功せんのか!」
電話の向こうから、低く威圧的な男の声が響いた。
正樹は一瞬、言葉に詰まった。
「は、はい……。まだ成果は出ておりません」
「わしがどれだけこの施設に投資してやっていると思っている!」
「大臣、今、いいところなんです!」
正樹は慌てて言葉を続けた。
「先ほど薬を投与した男が、死なずに生きていたと部下から報告が入っています。さらに、研究の一任者である医師が何かを隠しているようでして……。必ず吐かせます。あと少しだけ、お時間をください」
蓮の表情が強張った。
薬を投与した男。
死なずに生きていた男。
間違いない。
自分のことだ。
正樹は、蓮が生き延びたことをすでに知っている。
そして、一ノ瀬が何かを隠していることにも気づいていた。
「で? その男は今、どこにいる?」
「今は……捜索しております」
「逃げられたのか!?」
「すぐに見つけ出します!」
電話の向こうで、男が大きく息を吐いた。
「わかっているのか。この国はもうすぐ戦争が始まる」
その言葉に、蓮は耳を疑った。
戦争。
あまりにも唐突な言葉だった。
「核が抑止力となり、硬直状態が数十年も続いていた。だが、不老不死が誕生すれば、核兵器など意味をなさん。何としてでも完成させろ。それがこの国の未来のためになる」
蓮の背筋を、冷たいものが走った。
不老不死が誕生すれば、核兵器が意味をなさなくなる。
それは、単なる研究の成功を望んでいるという話ではない。
不老不死の人間を兵士として利用するつもりなのだ。
何度撃たれても死なず、傷を負っても再生する兵士。
そんな存在が戦場に投入されたら、一体どうなるのか。
蓮の脳裏に、あの悪夢が蘇った。
紫色の瞳をした兵士たち。
無数の人間が倒れていく戦場。
そして、笑いながらこちらを見下ろす風見蓮次。
夢だと思いたかった光景が、現実になろうとしている。
「……わかっています。早急に研究を進めます」
正樹の声は震えていた。
しかし、電話の向こうの男は容赦しなかった。
「もし見つからないようなら、島ごと燃やせ」
「……っ!」
蓮は思わず息を止めた。
「そして、島に住んでいる住人全員に薬を試せ。男も炙り出せて一石二鳥だろう? いいな?」
「は、はい……」
正樹の返事は、かすれるような声だった。
蓮は拳を強く握りしめた。
島ごと燃やす。
住人全員に薬を試す。
そこには、何のためらいもなかった。
島で暮らす人々の命など、研究を完成させるための道具にすぎないのだ。
千鶴が命を懸けて守ろうとしたもの。
咲が記憶を書き換えられてまで隠されていた真実。
悟が命を落とした理由。
すべてが一本の線でつながった気がした。
電話が切れる音がした。
「……クソッ!」
正樹の怒声が響く。
続いて、何かを蹴り飛ばす鈍い音がした。
「祐希……。お前、いったいどこに行った……」
蓮の隣で、祐希の身体がわずかに強張った。
父親が、自分を捜している。
だが、その声に息子を心配する響きはなかった。
あるのは、自分の計画を狂わせた存在への苛立ちだけだった。
しばらくすると、司令室の中から足音が聞こえてきた。
正樹が出てくる。
「まずい……!」
蓮は小声で呟き、咲と祐希に目配せした。
三人は慌てて廊下の壁際へ寄り、顔を伏せる。
扉が開く。
正樹の靴音が、すぐそばまで近づいてきた。
もう駄目かもしれない。
そう思った瞬間だった。
「お前ら、お疲れ♪」
突然、背後から男の声がした。
同時に、誰かが三人の肩へ腕を回した。
「……っ!?」
蓮が振り向こうとするより早く、男は三人をぐいぐいと前へ押し進めた。
まるで、親しい仲間を見つけて挨拶でもしているかのように。
その声を聞いた瞬間、蓮の全身から血の気が引いた。
赤と白が入り混じった髪。
人を食ったような笑顔。
そして、耳にまとわりつくような軽い口調。
「こんなところで何してんの? もしかして、迷子かなぁ?♪」
風見蓮次だった。
蓮は言葉を失った。
どうして、こいつがここにいる。
なぜ、よりにもよって今なのか。
蓮次は三人の肩を抱いたまま、楽しそうに笑っていた。
その背後では、司令室から出てきた正樹が、まだこちらに気づいていない。
「いやぁ、奇遇だねぇ♪」
蓮次は三人を前へ押しながら、耳元で囁いた。
「せっかく来てくれたんだからさ……一緒に遊ぼうよ♪」
その笑顔は、悪夢の中で見たものと何一つ変わらなかった。




