変装
山小屋の外から、複数の足音が聞こえてきた。
蓮はすぐさま顔を上げ、眠っていた二人に目を向ける。
「……起きろ。誰か来た」
小声で告げると、祐希と咲も飛び起きた。
外の様子をうかがうと、自衛隊の制服を着た男が三人、山道を歩いてくるのが見えた。
腰には無線機。手には銃。
どう見ても、ただの巡回ではない。
「どうする、蓮」
祐希が声を潜めて尋ねる。
「今、見つかるわけにはいかないです。とりあえず隠しましょう。」
三人は山小屋の奥へ身を潜めた。
やがて、三人の自衛隊員が小屋の中へ入ってくる。
「……誰もいないな」
「一応、異常なしで報告しておくか」
男たちは周囲を確認しながら、こちらへ近づいてきた。
蓮たちは息を殺す。
このまま見つかれば、逃げ切れる保証はない。
そのとき、先頭の男が仲間に声をかけた。
「おい、外も確認してこい。俺たちは中をもう一度調べる」
「ああ、わかった」
二人の男が小屋の外へ出ていく。
残った一人も、壁際に置かれた荷物へ視線を向けていた。
その隙に、咲が蓮へ目配せした。
――今ならいける。
咲は音を立てないように二人の背後へ回り込んだ。
そして、外にいた二人が再び小屋の中へ戻ってきた瞬間。
咲は、すれ違いざまに一人の腕へ触れた。
続けて、もう一人にも。
ほんの一瞬の接触。
それだけで、二人の記憶に変化が生じた。
「……あれ?」
一人が不思議そうに周囲を見回した。
「どうした?」
「いや……巡回中にこの小屋を確認したんだったな。異常はなかったし、交代の連絡が来るまで少し休むか」
「ああ、そうだったな」
二人は、まるで以前からそう決めていたかのように壁際へ腰を下ろした。
そして数秒もしないうちに、二人とも眠り込んでしまった。
「……すげえな」
祐希が思わず呟く。
「まだ安心しないで」
咲は小さく首を振った。
その直後だった。
「おい、何をしている!」
残った一人が、こちらの存在に気づいた。
男は一瞬で距離を詰め、蓮の顔面へ拳を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
蓮の身体が後方へ吹き飛ぶ。
鼻の骨が折れ、激痛が走った。
だが、次の瞬間。
曲がった鼻が元の形へ戻り、流れ出た血も止まっていく。
男の目が大きく見開かれた。
「な……なんだ、お前……!」
蓮は鼻を押さえながら立ち上がった。
男が再び拳を振り上げる。
しかし、その腕を祐希が横からつかんだ。
「おとなしくしとけ!」
祐希が男の身体を押さえつけ、蓮も加勢して床へ組み伏せる。
男は必死に抵抗したが、二人がかりでは身動きが取れなかった。
「咲、頼む!」
「はい!」
咲が駆け寄り、男の腕に触れた。
男の抵抗が、次第に弱まっていく。
「……巡回の確認は終わった。異常なし……交代まで、ここで休む……」
男はうわ言のように呟くと、力が抜けたように目を閉じた。
小屋の中に、再び静寂が戻った。
「……今度こそ、全員眠ったな」
祐希が三人の様子を確かめる。
咲は小さく頷いた。
「はい。記憶を操作しました。目が覚めても、ここで何があったのかは覚えていないはずです」
「便利な能力だな……」
「便利なだけではありません。相手に触れる必要がありますし、使い方を間違えれば大変なことになります」
咲はそう言いながら、眠っている男たちから視線を外した。
蓮は三人の制服と腰にある無線機を見つめていた。
そして、何かを思いついたように口を開く。
「……なあ。これ、使えるんじゃないか?」
「何がだ?」
祐希が尋ねる。
「こいつらの制服です」
蓮は自分たちを見下ろした。
泥で汚れた服。何日も山中を逃げ回り、疲労も限界に近い。
対して、目の前には敵の組織に所属する人間の制服と無線機がある。
「俺たちは、あの基地の場所を知っている。でも、内部がどうなっているのかは知らない。何人いるのか、どんな警備をしているのか、研究がどこまで進んでいるのか……何一つわかっていない」
「だから、直接調べるってことか?」
「はい」
蓮は頷いた。
「このまま逃げ続けても、何も変わらない。だったら、こいつらになりすまして中へ入る。正樹さんや蓮次もまさか基地に乗り込むなんて思いもしでしょ」
咲が不安そうに蓮を見つめた。
「蓮先輩……それは、危険すぎませんか?」
「危険なのはわかってる。」
蓮は一度言葉を切り、二人を見た。
「敵の数を確認する。警備の配置も、研究施設の場所も調べる。できるなら、研究に関する資料も手に入れたい」
「つまり、スパイとして潜り込むわけか」
祐希が苦笑する。
「そういうここです。正面から戦う必要はない。まずは情報を集めましょう。」
「……なるほどな」
祐希は腕を組み、少し考え込んだ。
「確かに、相手の人数もわからないまま乗り込むのは無謀だ。俺も賛成だ」
「咲は?」
蓮が尋ねると、咲は少しだけ俯いた。
そして、覚悟を決めたように顔を上げる。
「私も行きます。もう、誰かに守られているだけなのは嫌ですから」
「……わかった」
蓮は静かに頷いた。
その目には、先ほどまでの迷いはなかった。
三人は眠っている自衛隊員から制服と無線機を回収した。
サイズを確かめながら着替え、身につけていた余計な荷物をまとめる。
鏡などないため、互いの姿を確認し合うしかなかったが、遠目からなら見分けがつかないほどには整った。
蓮は無線機を手に取り、電源を入れた。
雑音の向こうから、男たちの声がかすかに聞こえてくる。
『こちら第三班。巡回経路に異常なし。これより帰投する』
蓮は息を呑んだ。
無線の向こうには、今も多くの人間が動いている。
そして、その先には――あの研究を続けている基地がある。
「……行こう」
蓮は無線機をしまい、山小屋の出口へ向かった。
「絶対に、研究を止めてやる。」
三人は互いに目を合わせ、静かに頷いた。
こうして彼らは、自ら敵の懐へ飛び込むことを決めた。




