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Myosotis 〜すべてを忘れるために〜  作者: こんにゃくミ(こんにゃイカ)


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記憶にない備え

挿絵(By みてみん)

悪夢から目を覚ました蓮は、しばらくの間、何も話せずにいた。


 あの光景が、まだ頭から離れない。


 燃え盛る島。


 紫色の瞳をした人々。


 そして、不老不死の研究が完成した未来。


 あれが単なる夢なのか、それとも――。


「……蓮、そろそろ交代するか?」


 祐希の声で、蓮は我に返った。


「ああ……そうですね。祐希先輩も休んでください」


「お前こそ、さっきはうなされてたんだ。ちゃんと寝ろよ」


「大丈夫です。少し落ち着きましたから」


 蓮は小屋の入口付近へ移動し、外の様子を警戒することにした。


 祐希と咲は、壁際に身を寄せて目を閉じた。


 山の中は静かだった。


 風が木々を揺らす音だけが、かすかに聞こえてくる。


 蓮は周囲を見渡しながら、ふと腹部に手を当てた。


「……そういえば」


 腹が鳴った。


 今日一日、まともに食事を取っていない。


 防空壕から逃げ、千鶴の家へ向かい、蓮次に襲われ、ここまで走り続けてきた。


 空腹を感じる余裕すらなかったのだ。


 しかし、落ち着いてみると、急に腹が減ってきた。


「……食料、持ってくればよかったな」


 もちろん、そんな余裕はなかった。


 三人とも、必要最低限の荷物しか持っていない。


 しかも、リュックの中に入っているのは、調査に必要な道具や身の回りの品ばかりだった。


 食料など、一切入れていない。


 このままでは、明日以降の行動にも支障が出る。


 とはいえ、今から山を下りて食料を探すわけにもいかなかった。


「……仕方ない。朝まで我慢するか」


 蓮は小さく息を吐き、見張りを続けた。


     *


 どれくらい時間が経っただろうか。


 気づけば、蓮も壁にもたれたまま、うとうとしていた。


 身体の疲労は限界に近かった。


 ほんの少しだけ目を閉じるつもりだった。


 しかし、次に目を開けたとき――。


「……ん?」


 鼻をくすぐる、かすかな食べ物の匂いがした。


 蓮はゆっくりと身体を起こした。


 薄暗い小屋の中。


 目の前では、咲と祐希が何かを食べていた。


 咲の手には、食べかけのカロリーメイト。


 祐希の足元には、開封された非常食の袋がいくつも置かれている。


「……え?」


 蓮は目を瞬かせた。


 二人とも、ずいぶんと落ち着いた様子で食事をしている。


 まるで、最初から食料を持っていたかのように。


「……二人とも、何食べてるんですか?」


 蓮が尋ねると、祐希が顔を上げた。


「何って、非常食だけど?」


「非常食……?」


 蓮は二人の手元を見つめた。


 カロリーメイト。


 栄養補助食品。


 保存の利くビスケット。


 さらには、ゼリー飲料まである。


 どう見ても、偶然持ち合わせていた量ではなかった。


「えっ、食料持ってきてたんですね!」


 蓮は思わず声を上げた。


「いや、助かりましたよ! 俺、食料なんて何も持ってきていないと思っていたので……」


 すると、祐希と咲が顔を見合わせた。


「……何言ってんだ?」


 祐希が不思議そうに首を傾げる。


「お前が持ってきたんだろ?」


「……え?」


「何かあったときに必要になるかもしれないからって、大量に用意してたじゃねぇか」


 蓮は、言葉を失った。


「……俺が?」


「そうですよ、蓮先輩」


 咲も頷いた。


「リュックにたくさん入れていましたよね。私も、こんなに準備していたんだって驚きました」


「…………」


 蓮は、ゆっくりと自分のリュックへ視線を向けた。


 床に置いてある、見慣れたリュック。


 蓮はそれを手元へ引き寄せ、ファスナーを開けた。


 中には、見覚えのない食料が大量に詰め込まれていた。


 カロリーメイト。


 保存用のビスケット。


 ゼリー飲料。


 携帯食。


 さらには、数日分は持ちそうな非常食まで入っている。


「……何だ、これ」


 蓮の声が低くなった。


 確かに、リュックの中に食料など入れていなかった。


 そんなことは、はっきりと覚えている。


 そもそも、食料を用意しようと考える余裕すらなかったのだ。


 それなのに。


 今、自分のリュックには大量の食料が入っている。


「……いや、待ってください」


 蓮は二人を見た。


「俺、こんなの用意してませんよ」


「はあ?」


 祐希が眉をひそめる。


「いやいや、用意しただろ。俺も見てたぞ」


「私も覚えています。蓮先輩が、念のために持っていこうって言っていました」


「そんなはず……」


 蓮は言いかけて、口を閉じた。


 頭の中を探ってみる。


 食料を買った記憶はない。


 リュックに詰めた記憶もない。


 二人にそんな話をした記憶もない。


 けれど、二人は間違いなく覚えているようだった。


 嘘をついている様子もない。


 蓮は、もう一度リュックの中を覗き込んだ。


 食料の下には、さらに小さな袋が入っていた。


 それを取り出してみる。


 中には、携帯用の飲料水が数本。


 そして、見覚えのない小さなメモが一枚。


「……何だ、これ?」


 蓮はメモを開いた。


 そこには、短い一文が書かれていた。


『忘れるな。未来を変えるために。』


「…………」


 蓮の背筋に、冷たいものが走った。


 その文字を、蓮は知らない。


 書いた覚えもない。


 だが、どこかで見たことがあるような気がした。


 いつ、どこで。


 誰が書いたのか。


 思い出そうとするほど、頭の中に霧がかかっていく。


「蓮先輩……?」


 咲が心配そうに顔を覗き込んだ。


「どうしたんですか?」


 蓮は、すぐには答えられなかった。


 自分の記憶が、何かおかしい。


 そう感じたのは、これが初めてではなかった。


 触れた相手の記憶を読み取る能力。


 そして、他人の記憶を操作する能力。


 千鶴が語った、不死川の血に受け継がれる力。


 もし、自分の記憶にまで何かが起きているとしたら。


 蓮は、メモを強く握りしめた。


「……祐希先輩」


「何だよ?」


「俺、本当にこれを用意したんですか?」


 祐希は、少し困ったような顔をした。


「だから、そう言ってるだろ。お前が用意したんだよ」


 咲も、心配そうに頷いた。


 蓮は二人を見つめた。


 どちらも、嘘をついているようには見えない。


 それでも、蓮には分からなかった。


 自分が忘れているだけなのか。


 それとも――。


 誰かが、自分の記憶を書き換えたのか。


 蓮は、もう一度メモに目を落とした。


『忘れるな。未来を変えるために。』


 その一文が、頭から離れなかった。


 まるで、まだ知らない誰かが、自分に向けて残した言葉のようだった。


 そして蓮は、ふと思い出した。


 眠っている間に見た、あの悪夢。


 燃え盛る島。


 紫色の瞳をした人々。


 不老不死の研究が完成した、恐ろしい未来。


 もし、あの夢がただの夢ではなかったとしたら。


 もし、自分がすでに何かを知っているのだとしたら。


 蓮は、ゆっくりと顔を上げた。


 そしてカロリーメイトを頬張った。


 「美味すぎる...」


 小屋の中に、静かな沈黙が落ちた。

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