一つの可能性
山の中にある、古びた小屋。
三人は、今後どう動くべきかを考えていた。
風見蓮次。
あの男の異常な再生能力と、底の見えない不気味な笑顔。
正面から戦って勝てる相手ではない。
「……どうする?」
祐希が口を開いた。
「あんな化け物を相手に、どうやって戦えばいいんだよ」
誰もすぐには答えられなかった。
蓮は腕を組み、しばらく考え込んでいた。
そして、不意に顔を上げた。
「祐希先輩、甲冑が必要ですね……」
「馬鹿か。あんな相手に甲冑着て挑んでも、勝ち目なんかねぇよ」
祐希は呆れたように言い放った。
すると、蓮がすかさず突っ込む。
「そこは祐希先輩が乗るところでしょ。前はあんなに甲冑を持ってこようとしてたのに」
「……あのときと状況が違う」
祐希は真面目な顔で答えた。
「いや、そこは否定するんですね……」
蓮が肩を落とす。
そのやり取りを見ていた咲が、思わず小さく笑った。
蓮と祐希も、つられるように笑う。
ほんの一瞬だった。
千鶴を失った悲しみも、蓮次への恐怖も、消えたわけではない。
現状は何一つ変わっていなかった。
それでも、張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
蓮は笑みを引っ込めると、改めて咲を見つめた。
「……咲」
「はい、蓮先輩」
「さっき、見たものを忘れたいと願ったら、正樹さんや一ノ瀬先生が咲がいた事実を忘れていて、自分の能力に気づいたって言ってたよね?」
「……はい」
「それで、俺たちの記憶を操作したときは、どうやったんだ?」
咲は少し考えてから答えた。
「二人に触れて、願いました。あのときは、鍵を盗んだことを知られたくなくて……三人で教会に向かったという記憶になればいいと思ったんです」
「触れて、願った……か」
蓮は顎に手を当てた。
しばらく考え込んだあと、祐希へ視線を向ける。
「祐希先輩、咲の能力について、少し気になることがあるんです」
「何だ?」
「咲の能力は、相手に触れなくても使えるんじゃないかって」
祐希が眉をひそめた。
「……どういうことだ?」
蓮は、慎重に言葉を選びながら説明した。
「千鶴さんは、俺たちの記憶を操作するとき、対象に触れていたように思うんです。少なくとも、俺が見てきた範囲では、触れずに記憶を操作しているところはありませんでした」
「確かに……」
祐希が頷く。
「それに、千鶴さんは蓮次に記憶を消そうとして、わざわざ手を伸ばしていた。もし離れた場所から能力を使えたなら、あんな危険を冒してまで近づく必要はなかったはずです」
蓮は、あのときの光景を思い出していた。
千鶴は蓮次に捕らえられる直前、確かに手を伸ばしていた。
その手が届いていれば、何かが変わっていたのかもしれない。
「つまり、千鶴さんの能力には、相手に触れる必要があった可能性が高い」
蓮は咲を見つめた。
「でも、咲は違うかもしれない」
「……私が?」
「うん。最初に研究を目撃したとき、咲は見たものを忘れたいと願ったんだよね?」
「はい」
「そのとき、誰かに触れていたわけじゃないんだろ?」
咲は、ゆっくりと首を横に振った。
「……はい。あのときは、一人で逃げていました」
「だったら、もしかすると……」
蓮の目に、わずかな光が宿った。
「咲は、触れなくても記憶を操作できるのかもしれない」
祐希が身を乗り出した。
「蓮、お前が言いたいのは……」
「そうです」
蓮は力強く頷いた。
「もし、咲が離れた場所から記憶を操作できるなら、俺たちにも勝機はあります」
三人の間に、静かな緊張が走った。
これまで、蓮次に対抗する方法は何一つ見つかっていなかった。
力では敵わない。
傷を負わせても、すぐに再生されてしまう。
逃げ続けるだけでは、いつか追いつかれる。
しかし、もし咲の能力が蓮次にも通用するなら――。
戦い方そのものが変わる可能性があった。
蓮は、咲の目をまっすぐに見つめた。
「咲。どうなんだ?」
咲は、すぐには答えなかった。
自分の手を見つめ、これまでの出来事を思い返しているようだった。
研究を目撃したあの日。
悟が亡くなった日。
蓮の記憶を操作した日。
そして、今日。
自分の能力について、まだ分からないことばかりだった。
「……正直、分かりません」
咲は小さく答えた。
「今まで、意識して能力を使ったことはあっても、どういう仕組みなのかまでは……」
「そっか」
蓮は頷いた。
「なら、確かめるしかないな」
祐希が険しい表情で二人を見た。
「待てよ。まさか、今から蓮次を相手に試すつもりじゃないだろうな?」
「まさか。そんな無謀なことはしませんよ」
蓮は苦笑した。
「まずは、咲の能力をもっと理解する。それから、あいつに対抗する方法を考えましょう」
「後一つ、蓮次が目を刺した時、目から血が流れいた。それから修復していった。多分蓮次は無敵って訳じゃ無いんだと思う。」
「何処か俺に...」
蓮は自分の怪我の治りが早いことを思い出した。そして蓮次の顔何処となく自分に似ているような...
祐希が不思議そうに呟く
「え?」
「何でもありません。」
蓮は頭によぎった想像から考えることをやめた。
咲は、もう一度自分の手を見つめた。
この力は、本当に自分が望んだとおりに使えるのだろうか。
もし、記憶を操作できるのなら。
蓮次の記憶を消すことだって、できるのだろうか。
けれど、能力が通用しなかったら?
千鶴のように、また誰かを失ってしまったら?
不安は尽きなかった。
それでも、咲は顔を上げた。
「……私、試してみます」
咲は顔を上げた。
「蓮先輩と祐希先輩を、もう危険な目に遭わせたくありませんから」
蓮は、静かに微笑んだ。
「ありがとう、咲ちゃん」
祐希も小さく頷く。
「よし。まずはここで休もう。頭が回らない状態で動いても、ろくなことにならない」
「ああ。そうですね」
三人は、それ以上話すことをやめた。
しばらく沈黙が続いたあと、祐希がふと思い出したように蓮へ顔を向けた。
「しっかし、咲の能力は記憶操作ができて、蓮、お前の能力は触れた相手の記憶を見ることって……」
祐希は、呆れたように笑った。
「すごいようで、なんかパッとしないよな(笑)。使いどころあんのか? もっとこう、『すごい能力があります!』みたいなのねぇのかよ『巨人化できるとか!』『死に戻りできるとか!』『何ちゃら波が撃てるとか!』」
「……アニメじゃないんですから、てか祐希先輩、それ本人を目の前にして言います?」
蓮がじとっとした目を向ける。
「いや、だってそうだろ。記憶を見るって、結局は相手の過去を知るだけじゃねぇか」
「それは使い方次第でしょう。相手の秘密を知ることができるんですよ?」
「でも、触らなきゃいけないんだろ? 戦闘中に敵の手を握って、『ちょっと記憶を見せてもらえますか?』とか『恥ずかしい真実バラされたくなかったら!』とか脅すのか?」
「そんなことするわけないでしょ!」
蓮が思わず声を上げる。
隣で聞いていた咲が、くすりと笑った。
「でも……祐希先輩の言いたいことも、少し分かります」
「咲まで!?」
「ふふっ。だって、蓮先輩の能力って、相手の記憶を見ている間は、何が起きているのか分からないんですよね?」
「……まあ、そうだけど」
「じゃあ、戦っている最中に使うのは難しそうですね」
「二人して俺の能力を酷評しないでくださいよ……」
蓮は、深いため息をついた。
祐希は腹を抱えて笑っている。
「まあ、安心しろ。俺なんか能力すらねぇからな!」
「それ、威張ることじゃないですからね」
「うるせぇ!」
咲も、今度は声を出して笑った。
ほんの少し前まで、三人は大切な人を失った悲しみに押し潰されそうになっていた。
それでも、こうして冗談を言い合える時間がある。
失ったものが戻るわけではない。
蓮次への恐怖が消えたわけでもない。
現状は、何一つ変わっていなかった。
それでも、張り詰めていた空気は、ほんの少しだけ和らいでいた。
やがて、蓮は笑みを消し、暗い小屋の天井を見つめた。
自分の能力は、本当にただ記憶を見るだけなのだろうか。
咲の能力も、記憶を操作するだけなのだろうか。
千鶴が語った、不死川の血に受け継がれる力。
そのすべてを、彼らはまだ理解できていない。
もし、そこに何か別の可能性があるのなら。
蓮は、ゆっくりと拳を握りしめた。
答えは、まだ分からない。
けれど、初めて見えた小さな可能性を、手放すわけにはいかなかった。




