咲の知る秘密
山の中。
木々に囲まれた獣道の先に、今にも崩れそうな小屋があった。
屋根の一部は剥がれ、壁には無数のひびが入っている。長い間、人が住んでいた形跡もない。
三人は、その小屋に身を隠していた。
祐希が入口の隙間から外の様子を確認する。
追手の姿はない。
それでも、誰も安心することはできなかった。
蓮は壁にもたれかかり、荒い息を整えていた。
咲は膝を抱え、俯いている。
千鶴の最後の笑顔が、何度も頭の中に浮かんでいた。
しばらくして、蓮が口を開いた。
「……蓮次が言っていたこと、覚えてますか?」
「何のことだ?」
祐希が振り返る。
「逃して正解だった、ってやつです」
蓮は拳を握りしめた。
「俺たちは、泳がされていたんです。」
祐希の表情が険しくなる。
「……ああ」
「教会から家まで、あまりにも簡単に戻れた。正樹さんに見つかることもなかった。俺たちが何を知るのか、どこまで調べるのか……全部、あいつは見ていたんだ」
「俺たちが千鶴さんのところへ戻ることまで、予想していたのかもしれないな」
祐希が悔しそうに歯を食いしばる。
蓮は顔を上げた。
「それに、あいつ……頭も切れるし、強い。それだけじゃない。傷がすぐに修復していた」
脳裏に、錐を目に刺されても平然と笑っていた蓮次の姿が蘇る。
「……あんなやつから、どうやって逃げればいいんだ」
誰も答えられなかった。
今日一日で、あまりにも多くのことを知った。
不老不死の研究。
悟の死の真相。
自分たちの記憶に隠された秘密。
正樹の目的。
そして、ようやく母と呼べた人を失った咲。
三人とも、心も身体も限界を迎えていた。
しかし、そんな沈黙を破ったのは祐希だった。
「……咲」
「……はい」
咲がゆっくりと顔を上げる。
祐希は、厳しい目で咲を見つめていた。
「さっき、蓮次が言っていたことだ」
「……」
「あいつから、何か頼まれていたんだろ?」
咲の肩が小さく揺れた。
「蓮の鍵を奪って、教会を調べろって……そう言っていたよな」
祐希は一歩、咲に近づいた。
「どういうことだ?」
その声には、怒りだけではなく、疑念も混じっていた。
「もしかして、お前……あいつの仲間なんじゃないのか?」
「……祐希先輩」
「違うなら、説明してくれ。俺たちはもう、誰を信じればいいのか分からないんだ」
咲は唇を噛んだ。
視線を落とし、しばらく何も言わなかった。
やがて、頬を伝う涙を拭い、顔を上げた。
「……本当のことを話します」
蓮は、黙って咲を見つめていた。
咲は震える息を吐き、ゆっくりと話し始めた。
「私は、蓮次さんに言われたんです。蓮先輩に会いたければ、教会を調べろって……」
「俺に会いたければ?」
蓮が聞き返す。
「はい。蓮次さんは、教会の図面を私と悟くんに渡しました。そして、教会を調べるように言ったんです」
咲は両手を強く握りしめた。
「私は……そのとき、蓮先輩が何処にいるのか知りたかった。だから、言われたとおりにしました」
「それで、悟と一緒に教会を調べたのか?」
祐希の問いに、咲は頷いた。
「はい。悟くんと二人で教会へ行きました。そして、教会と繋がっている地下の研究施設で……正樹さんと一ノ瀬先生が、人間に薬を投与しているところを見てしまったんです」
蓮の表情が強張る。
咲は、あの日の光景を思い出すように目を伏せた。
「私と悟くんは、正樹さんに追われました。必死に逃げたんです。捕まったら、きっと殺されると思ったから……」
声が震える。
「私は走りながら、ずっと願っていました」
咲は胸元を握りしめた。
「見たものを、忘れられたらいいのにって。あんなものを見なかったことにできたら、何もなかったことにできたらって……」
蓮は、黙って聞いていた。
「それから数日後、悟くんが亡くなったと聞きました」
咲の目から、再び涙がこぼれた。
「でも……私には何も起きなかったんです。正樹さんが家に来ることもなかったし、一ノ瀬先生に会っても、私が研究を目撃したことを覚えている様子はありませんでした」
「……だから、自分の能力に気づいたのか」
蓮が静かに尋ねる。
「はい」
咲は頷いた。
「もしかしたら、私には人の記憶を操作する力があるんじゃないかって……そう考えるようになりました」
千鶴の話が、蓮の脳裏に蘇る。
不死川の血に受け継がれる、記憶を操作する力。
咲は、確かにその力を持っていた。
しかし、それは生まれつき備わっていたものではない。
癌の治療として投与された薬。
その薬が、咲の中に眠っていた何かを呼び覚ましたのだ。
「その後、蓮次さんから、また連絡がありました」
咲の声が、さらに小さくなる。
「蓮先輩も、悟くんみたいになりたくなかったら、蓮先輩から鍵を奪って教会を調べろって……」
蓮は目を見開いた。
「……俺が、悟みたいになる?」
「はい。やっと会えた蓮先輩を失う、私は怖かったんです。蓮先輩まで殺されてしまうんじゃないかって……」
咲は涙を拭った。
「だから、蓮先輩のネックレスを盗みました。そして、一人で教会へ向かったんです」
「じゃあ、俺たちが教会へ行ったとき……」
祐希が口を開く。
「はい。あのとき、私は以前見つけた研究室の近くにいました。そこから蓮先輩たちの声が聞こえてきたんです」
咲は二人を見つめた。
「正樹さんが蓮先輩たちを追い詰めていると分かって、助けなきゃと思いました。だから、二人がいた場所へ向かったんです」
「待てよ」
祐希が眉をひそめた。
「俺たちは、三人で教会に向かっただろ?」
「……いいえ」
咲は小さく首を横に振った。
「そこは、私が二人の記憶を操作しました」
「何だって……?」
「私が鍵を盗んだことが蓮先輩たちにバレてしまったので……そのままでは、二人に納得してもらえる説明ができなかったんです。だから、仕方なく……」
咲は俯いた。
「三人で教会へ向かったという記憶に変えました」
小屋の中に、重い沈黙が落ちた。
祐希は、信じられないものを見るように咲を見つめていた。
蓮も、すぐには言葉を返せなかった。
自分たちが覚えていた出来事。
あの教会へ向かった理由。
その一部が、咲によって作られた記憶だった。
咲は、二人に向かって深く頭を下げた。
「……ごめんなさい」
声が震えていた。
「今まで黙っていて、本当にごめんなさい」
そして、顔を上げる。
「悟くんが亡くなったのは……私のせいです」
「……咲」
蓮が名前を呼ぶ。
「蓮先輩から、悟くんの目が紫色になっていたことを聞いたとき、気づいたんです。悟くんは、私たちが見てしまった研究に巻き込まれたんじゃないかって……」
咲の頬を涙が伝った。
「私が蓮次さんの言うことを聞いて、教会を調べなければ……悟くんは、あんなことにならなかったかもしれない」
「違う!」
蓮が強く言った。
咲が驚いて顔を上げる。
「悟を殺したのは一ノ瀬先生だ。そして、殺すように命じたのは正樹さんだ。咲が悪いんじゃない」
「でも……!」
「咲は、俺を助けようとしたんだろ?」
蓮は、咲の目をまっすぐに見つめた。
「だったら、自分を責めないでくれ」
咲は唇を震わせた。
「……蓮先輩」
蓮は咲の肩に触れる、すると咲が見て来た情景が蓮の中に広がった。
「咲が言っている事は本当です。」
その言葉に、咲の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
しかし、祐希はまだ黙っていた。
咲を疑う気持ちが、完全に消えたわけではない。
祐希は大きく息を吐き、壁にもたれかかった。
「……まだ、全部を信じたわけじゃないからな」
「……はい」
「でも、今はお前を責めている場合じゃない。俺たちがやるべきことは、ほかにある。多分親父は沢山の人を殺している。俺は絶対親父を許さない。」
咲は小さく頷いた。
しばらくして、蓮が口を開いた。
「……祐希先輩」
「ん?」
「風見蓮次って、いったい何者なんですか?」
祐希の表情が変わった。
その名前を聞いた瞬間、遠い過去を思い出したように視線を落とした。
「……俺も、詳しく知っているわけじゃない」
祐希はゆっくりと話し始めた。
「あいつは、小学生の頃の同級生だった」
「同級生……?」
「ああ。昔から、何を考えているのか分からないやつだった。いつもニコニコしていて、怒っているところも、悲しんでいるところも、まともに見たことがなかった」
祐希は、膝の上で拳を握った。
「ある日、俺たちのクラスで、いじめがあったんだ」
蓮と咲は、黙って耳を傾ける。
「いじめられていたのは、俺の友達だった。何人かのやつらに囲まれて、毎日のように殴られたり、物を隠されたりしていた」
祐希は、苦々しい表情を浮かべた。
「俺も止めようとはした。でも、子どもだった俺には、どうすればいいのか分からなかった」
「……それで、蓮次が?」
「ああ。あいつが、そいつを助けたんだ」
祐希は、ゆっくりと頷いた。
「最初は、いじめっ子たちを止めるだけだった。けど、そいつらが反抗した瞬間……蓮次の様子が変わった」
「様子が……?」
「笑っていたんだよ」
祐希の声が低くなる。
「ずっと、ニコニコ笑いながら、いじめっ子たちを殴り続けた」
蓮は息を呑んだ。
「相手が倒れても、意識を失っても、あいつは殴るのをやめなかった。止めに入った先生たちが駆けつけるまで、ずっと……」
祐希は顔を上げた。
「いじめっ子たちは、全員が大怪我をした。一人は意識不明の重体になった」
小屋の中に、重苦しい沈黙が流れた。
「蓮次は、そのまま警察に連れていかれた。そして、少年院に送られたんだ」
「……友達を助けたのに?」
咲が小さく尋ねる。
「助けたこと自体は、間違っていなかったのかもしれない。でも、あいつのやり方はあまりにも酷かった」
祐希は、ゆっくりと首を横に振った。
「それに、あいつは反省しているようには見えなかった。警察に連れていかれるときも、ずっと笑っていたんだ」
その笑顔を思い出したのか、祐希の表情が強張った。
「それから、学校ではあいつのことをこう呼ぶようになった」
祐希は、一度言葉を切った。
「――悪魔、ってな」
蓮の脳裏に、あの男の姿が浮かんだ。
赤と白の髪。
自衛隊の制服。
人の命を弄ぶような笑顔。
そして、目に錐を刺されても、すぐに傷を修復した異常な身体。
「……悪魔、か」
蓮が呟いた。
「でも、祐希先輩。どうして、そんな男が自衛隊にいるんですか?」
「それは、俺にも分からない」
祐希は苦しそうに答えた。
「少年院を出たあと、あいつがどうなったのか、俺は知らなかった。まさか、こんなところで再会するなんて思ってもいなかった」
蓮は俯いた。
千鶴を殺した男。
不老不死の研究を完成させようとしている男。
そして、自分たちを追い詰める男。
風見蓮次。
あいつは、いったい何者なのか。
なぜ、あれほどの再生能力を持っているのか。
なぜ、咲を利用してまで自分たちを教会へ向かわせたのか。
疑問は、増えるばかりだった。
蓮は拳を握りしめた。
「……絶対に、止める」
声には、怒りと決意が込められていた。
「正樹も、蓮次も。不老不死の研究も……全部、俺たちの手で終わらせる」
祐希が頷く。
咲も涙を拭い、顔を上げた。
三人は、もう一度互いの顔を見つめた。
失ったものは、あまりにも大きい。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
千鶴が命を懸けて守ってくれたものを、無駄にはできない。
山の中の古びた小屋。
その外では、夜の闇が深くなっていた。
そして、闇の向こうでは――。
赤と白の髪を持つ男が、今も笑っているのかもしれなかった。




