風見蓮次
「研究を俺たちの手で止めよう」
蓮の言葉に、祐希と咲は力強く頷いた。
悟の死。
教会の地下施設。
不老不死の研究。
そして、国の命令に従い、研究を続けてきた一ノ瀬先生。
すべての真実を知った今、もう後戻りはできない。
だが――。
「……やっぱり、逃して正解だったね♪」
突然、背後から声がした。
「いろいろ聞けた♪ こっちに着いてよかったよ。楽しいものが見れそう♪」
四人の動きが止まった。
今まで、誰もいなかったはずの場所。
そこに、一人の男が立っていた。
自衛隊の制服を身にまとい、赤と白が入り混じった髪を無造作に揺らしている。
口元には、笑みが浮かんでいた。
しかし、その笑顔はどこかおかしかった。
楽しそうなのに、温かさがない。
人の苦しみさえ、面白い見世物として眺めているような笑顔だった。
「……誰だ!」
蓮が叫んだ。
男は大げさに肩をすくめた。
「蓮ちゃん、そんなに大きな声を出さないでよ♪ びっくりするじゃないか♪」
まるで、昔からの知り合いに話しかけるような口調だった。
男は顎に指を当て、少し考える素振りを見せた。
「うーん、僕は何だろう……風見蓮次とでも名乗っとこうかな♪」
「……蓮次?」
祐希の顔色が変わった。
「蓮次、なんでお前がこんなところに?!」
その反応を見て、蓮は祐希に視線を向けた。
「知り合いですか? 味方って感じでもなさそうですけど」
「そう言うなよ♪ 昔の知り合いに会ったんだから、もう少し喜んでくれてもいいんじゃない? 祐希ちゃん♪」
蓮次は相変わらず、ニコニコと笑っていた。
そして、不意に咲へ視線を向ける。
「そんなことより、咲ちゃん♪ なんで君が二人と一緒にいるのかな?♪」
咲は答えなかった。
ただ、警戒するように蓮次を見つめている。
「……黙っちゃうんだ♪ まあ、いいけどさ♪」
蓮次は楽しそうに笑った。
「蓮ちゃんから鍵を奪って教会を調べろって頼んだのに、まあ、見る限り失敗しちゃったみたいだね♪」
蓮の眉が動く。
「……鍵を奪え?」
「そうそう♪ 咲ちゃんには、ちょっとお願いしてたんだよ♪ ごめんね♪」
蓮次は悪びれる様子もなく、手をひらひらと振った。
「でも、そのおかげでいろいろ聞けたし♪ 結果オーライってやつかな♪」
蓮の目つきが鋭くなる。
「……よく喋るな」
「えー? そうかな♪ 僕、まだまだ話し足りないくらいなんだけど♪」
次の瞬間だった。
蓮次は、制服の内側から銃を取り出した。
そして、その銃口を咲へ向ける。
「そんな怖い顔するなよ♪ れ・ん・ちゃ・ん♪」
「――やめろ!」
蓮が一歩踏み出した。
直後。
パンッ!
乾いた銃声が、部屋中に響き渡った。
「咲!!!」
「千咲!!!」
蓮と千鶴の叫び声が重なる。
咲は目を見開き、その場に立ち尽くしていた。
しかし、身体に傷はない。
蓮次は銃を下ろすと、腹を抱えるようにして笑い始めた。
「あはははっ! 冗談、冗談♪ 音が鳴るだけのエアガンだよ♪」
そう言って、銃を指先でくるりと回す。
「二人とも、すごい顔♪ そんなに心配だった?♪」
「……てめえ!」
祐希が怒りに任せて蓮次に殴りかかろうとした。
だが、蓮次は笑顔のまま、懐からナイフを取り出した。
「おっと♪ やる気なら受けて立つよ♪ 祐希ちゃん♪」
祐希の足が止まる。
ナイフの刃が、部屋の明かりを受けて鈍く光った。
「何が目的だ?」
蓮が低い声で尋ねた。
蓮次は、待ってましたと言わんばかりに両腕を広げた。
「不老不死の研究の、か・ん・せ・い♪」
その言葉から、先ほどまでのふざけた調子が一瞬だけ消えた。
だが、すぐにまた不気味な笑顔が戻る。
「とりあえず、蓮ちゃんと咲ちゃん♪ 僕と一緒に来てよ♪」
「行くわけないだろ!」
蓮は即座に言い返した。
「えー、つれないなあ♪ せっかくお迎えに来てあげたのに♪」
蓮次は残念そうに首を傾げた。
「まあ、そうなるよね♪」
そして、ゆっくりとナイフを握り直す。
「なら、力ずくで連れてくか」
その瞬間。
蓮次の表情が変わった。
笑みが消え、目から感情が抜け落ちる。
先ほどまでのふざけた男とは、まるで別人だった。
その異様な変化に、蓮は息を呑んだ。
――こいつは、危険だ。
そう直感した。
次の瞬間、千鶴が動いた。
「――させない!」
机の上に置かれていた錐を掴み、蓮次に向かって振りかぶる。
不意を突かれた蓮次の顔に、錐が深々と突き刺さった。
「……っ!」
祐希が目を見開く。
千鶴はすぐさま蓮次から距離を取ろうとした。
しかし、蓮次は倒れなかった。
顔に錐が刺さったまま、ゆっくりと千鶴を振り返る。
「……危ないじゃん、千鶴おばさん♪」
そして、何事もなかったかのように錐を引き抜いた。
傷口から血が流れる。
だが、それも一瞬だった。
裂けた皮膚が、みるみるうちに塞がっていく。
傷は消え、刺されたはずの目も、何事もなかったかのように元の状態へ戻っていた。
「……嘘だろ」
蓮が呟く。
千鶴の顔から血の気が引いた。
再生。
それは、かつて父・洋文が記録に残した、不死川の血に宿る性質と同じものだった。
だが、蓮次は千鶴が考える時間すら与えなかった。
「さてと♪ 今度は僕の番かな♪」
蓮次が一気に距離を詰める。
千鶴は、とっさに手を伸ばした。
――記憶を消す。
この男の記憶を操作できれば、逃げる時間を稼げる。
千鶴の指先が、蓮次に触れようとした。
「そうはいかないよ♪」
しかし、その手が届くよりも早く、蓮次は千鶴の腕を掴んだ。
次の瞬間、千鶴の身体が壁際へと引き寄せられる。
ナイフが、千鶴の首元に突きつけられた。
「はい、捕まえた♪」
「……っ!」
千鶴は抵抗しようとしたが、蓮次の腕はびくともしなかった。
「千鶴さん!」
蓮が駆け寄ろうとする。
「来るんじゃない!」
千鶴の叫び声が響いた。
「蓮! 千咲! 祐希! 早く逃げなさい!」
「そんな……!」
咲が震える声を漏らす。
蓮次は千鶴の首元にナイフを当てたまま、楽しそうに笑っていた。
「いいねえ♪ 家族愛ってやつ?♪ でも、感動してる場合じゃないよ♪」
刃が、わずかに千鶴の肌へ食い込む。
「このおばさんがどうなってもいいなら、別だけどね♪」
「……やめろ」
蓮の拳が震えた。
千鶴を助けなければならない。
ここで逃げるわけにはいかない。
そう思うのに、足が動かなかった。
「早く行きなさい!」
千鶴が再び叫んだ。
「三人とも、生きなさい! こんなところで死んでは駄目!」
その声に、祐希が歯を食いしばった。
「……蓮! 咲! 行くぞ!」
「待ってくれ、祐希先輩! 千鶴さんが!」
「分かってる! 分かってるけど……!」
祐希は蓮の腕を掴んだ。
反対の手で咲の手首を掴み、無理やり出口へ引っ張る。
「離してください! 祐希先輩!」
咲が抵抗した。
それでも祐希は、二人を連れて走り出した。
「千鶴さん!!!」
蓮の叫び声が家の中に響く。
「千鶴さん!!」
咲も、何度も振り返った。
逃げなければならない。
頭では分かっている。
それでも、大切な人を置いていくことなどできなかった。
咲は必死に手を伸ばした。
「千鶴さん……!」
そして、震える声で叫んだ。
「……お母さん!!」
その言葉を聞いた瞬間。
千鶴の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
ずっと隠してきた真実。
ずっと伝えられなかった名前。
それでも、最後の最後に。
娘は、自分を母と呼んでくれた。
千鶴は、涙を流しながら微笑んだ。
「……千咲」
その声は、かすかに震えていた。
「最後に……お母さんって呼んでくれて、ありがとう」
「お母さん!!」
咲の叫びが遠ざかっていく。
千鶴は最後まで抵抗した。
蓮次の腕を振りほどこうと、必死にもがく。
「……この子たちには、手を出させない!」
「まだ頑張るんだ♪ すごいねえ、千鶴おばさん♪」
蓮次は笑っていた。
まるで、目の前の抵抗さえ楽しんでいるかのように。
「でも、もう終わりにしようか♪」
次の瞬間。
ナイフが、千鶴の身体に突き立てられた。
「――っ!」
千鶴の身体が大きく揺れた。
それでも、倒れる直前まで、彼女は逃げていく三人の姿を見つめていた。
蓮次はナイフを引き抜き、崩れ落ちる千鶴を見下ろした。
「さて♪ 邪魔者はいなくなったし……」
口元に、いつもの不気味な笑みが戻る。
「追いかけなきゃね♪」
*
三人は、全力で走っていた。
息が切れても、足がもつれても、止まることはできなかった。
「千鶴さん……!」
蓮は何度も後ろを振り返ろうとした。
そのたびに、祐希が腕を強く引いた。
「戻るな、蓮!」
「でも……!」
「戻ったら、俺たちまで殺される!」
祐希の声も震えていた。
咲は何も言えなかった。
ただ、涙を流しながら、必死に走り続けていた。
ついさっきまで、目の前にいた母。
ようやく、本当の意味で母と呼べた人。
その人を置いて、逃げるしかなかった。
千鶴の笑顔が、何度も脳裏に浮かぶ。
――最後に、お母さんって呼んでくれて、ありがとう。
「……お母さん……」
咲の声が、夜の集落に消えていった。
蓮は唇を強く噛みしめた。
守ると決めた。
研究を止めると誓った。
それなのに、また大切な人を失ってしまった。
背後から追手が来ているかどうかさえ、分からない。
それでも、三人は走り続けた。
千鶴が命を懸けて作ってくれた、この時間を無駄にしないために。
そして――。
不老不死の研究を止めるために。
もう、逃げるだけでは終わらせない。
蓮は涙を拭い、前を向いた。




