千鶴
蓮は家に戻った。
「ただいま」
返事はなかった。
「……千鶴さん?」
靴を脱ぎ、家の中へ入る。
居間に明かりがついていた。
その奥に、千鶴が座っている。
「……おかえり」
千鶴は蓮の方を見た。
「うん」
「遅かったね」
「悟のことで、咲ちゃんと祐希くんと話してた」
「え?チ...咲?...そうかい」
それだけだった。
千鶴はそれ以上、何も聞かなかった。
蓮は少し不思議に思った。
蓮は千鶴の向かいに座った。
七年前と比べても、千鶴はそれほど変わっていないように見えた。
「……千鶴さん」
「なんだい?」
「俺、しばらくここにいる」
千鶴が顔を上げた。
「島根には帰らないのかい?」
「少しだけ調べたいことがある」
「悟のことかい?」
「それもある」
蓮は少し考えた。
「あと……七年前のことも」
千鶴の表情が、ほんの少しだけ曇った。
「……あの子のことかい」
蓮は黙って頷いた。
七年前。
高校最後の年に消えた少女。
あの日から、蓮の中にはずっと引っかかっているものがあった。
「まだ、何も分かってない」
「そうかい」
「千鶴さんは……何か知らない?」
千鶴はしばらく黙っていた。
「知らないよ」
短い答えだった。
蓮は千鶴の目を見る。
「本当に?」
「……本当に」
千鶴は何も言わなかった。
蓮は視線を落とす。
「……ごめん」
「何を謝るんだい」
「急に帰ってきて、こんな話ばかりして」
千鶴は小さく笑った。
「いいんだよ」
そして、立ち上がる。
「ご飯、食べるかい?」
「……うん」
「久しぶりなんだから、ちゃんと食べなさい」
「分かった」
千鶴が台所へ向かう。
その背中を、蓮はじっと見つめていた。
何かがおかしい。
けれど、それが何なのかは分からない。
ただ――
七年前にこの家を出たときと同じように、千鶴は何かを胸の奥にしまっている。
そんな気がした。
⸻
夕食を終えたあと。
蓮は自分が昔使っていた部屋に入った。
ほとんど何も変わっていない。
古い机。
本棚。
壁に残った小さな傷。
「……懐かしいな」
机の引き出しを開ける。
古いノートや教科書が残っていた。
一冊ずつ手に取っていく。
高校時代の記憶が、少しずつ蘇ってくる。
悟とくだらない話をしたこと。
咲や祐希と遊んだこと。
そして――
あの少女のこと。
蓮はノートを閉じた。
「……絶対に、何かある」
そう呟いた。
そのとき。
廊下から足音が聞こえた。
「蓮」
千鶴だった。
「ん?」
「今日はもう寝なさい」
「うん」
千鶴は部屋の入口に立ったまま、蓮を見つめていた。
「……どうしたの?」
「いや」
千鶴は少しだけ笑う。
「顔を見ておきたかっただけだよ」
「何それ」
蓮は苦笑した。
「明日もいるよ」
「……そうだね」
千鶴は静かに頷いた。
「おやすみ」
「おやすみ、千鶴さん」
扉が閉まる。
蓮は一人になった。
その頃。
廊下を歩いていた千鶴は、ふと足を止めた。
閉じた扉を見る。
その表情から、先ほどまでの笑顔が消えていた。
「……帰ってきてしまったんだね」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
千鶴はしばらく扉を見つめる。
そして、何かを決意するように目を閉じた。
「……お願いだから」
声が震える。
「もう、あの子を巻き込まないで」
千鶴はそう呟き、ゆっくりと自分の部屋へ戻っていった。
その部屋の奥。
古い箪笥の一番下には、長い間開けられていない引き出しがあった。
その中には――
一枚の古びた写真が、静かにしまわれていた。
写真に写っているのは、一人の少女。
そして、その少女の顔は――
千鶴と、あまりにもよく似ていた。
しかし、その写真が何を意味するのかを知る者は、まだ誰もいなかった。




