閃光
千代を失ってから、しばらくの時が過ぎた。
洋文は、二人が身を隠していた防空壕の近くに、小さな墓を建てた。
そこに、名前を刻んだ。
――常盤。
洋文は墓の前にしゃがみ、持ってきた花をそっと置いた。
勿忘草。
青い小さな花が、風に揺れている。
「……千代」
返事はない。
それでも、洋文は静かに語りかけた。
「千代...いつまでもお前を忘れない。愛している。」
「お前が守ろうとしたものは、俺が守る」
千鶴も。
蓮蔵も。
二人がどこで生きているのかを、洋文は誰にも話さなかった。
それが、千代との最後の約束だった。
*
それから、さらに時が流れた。
戦況は悪化の一途をたどり、日本各地で空襲が相次いでいた。
島の住民たちも、いつ終わるとも知れない戦争に怯えながら暮らしていた。
洋文は、研究を続ける傍ら、千鶴と蓮蔵を守りながら、ただ静かに日々を過ごしていた。
そして――。
八月六日午前八時十五分
その日は、洋文は島から街の方角を眺めていた。
遠くの空に、不自然な光が見えた。
「……何だ?」
次の瞬間。
目を開けていられないほどの閃光が、街の方角を焼き尽くした。
昼間の景色が、一瞬にして白く染まる。
目の奥まで焼き付けるような光。
遅れて、地の底から響くような轟音が届いた。
洋文は思わず顔を覆った。
何が起きたのか、理解できなかった。
やがて、遠くの空に巨大な雲が立ち上った。
黒く、赤く、そして不気味なほど大きな雲。
それは、空へ向かって膨れ上がり、やがて巨大なキノコのような形を作り上げた。
「……あれは……」
洋文は言葉を失った。
街が、一瞬で消えたように見えた。
あの光は何だったのか。
あの雲は何なのか。
考えることさえできなかった。
ただ、本能が告げていた。
――あそこでは、人間が死んでいる。
その日の夜、島の海岸に異変が起きた。
波打ち際に、人が流れ着いていた。
一人や二人ではない。
何人もの人間が、海岸に打ち上げられていた。
動かない者。
かすかに息をしている者。
全身にひどい火傷を負い、声を出すことさえできない者。
衣服は焼け、皮膚はただれ、誰もが何かを求めるように手を伸ばしていた。
「水を……」
「助けて……」
か細い声が、海岸に響いた。
洋文は駆け寄った。
「しっかりしろ! 今、助ける!」
だが、何をすればいいのか分からなかった。
目の前にいる人間たちは、ただの空襲で負った傷とは明らかに違っていた。
身体を覆うひどい火傷。
原因の分からない衰弱。
そして、助けを求める声さえ、次々と消えていく。
洋文は、島の住民たちとともに、生きている者を運び、手当てを試みた。
しかし、助けられる者は限られていた。
翌朝になっても、海岸には新たな犠牲者が流れ着いた。
誰もが同じ方角から来ていた。
街で何が起きたのか。
洋文には、少しずつ分かり始めていた。
あの光。
あの巨大な雲。
そして、目の前で苦しむ人々。
人間の手によって、これほどの惨劇が生み出されたのだ。
「……こんなことが、許されていいはずがない」
洋文は、震える拳を握り締めた。
不老不死の研究も、戦争も。
人を救うという言葉の裏で、どれほど多くの命が犠牲になっているのだろう。
そのとき、洋文はまだ知らなかった。
自分自身もまた、あの光によって放たれた目に見えない脅威に侵されていたことを。
*
やがて、日本は敗戦を迎えた。
長く続いた戦争が終わったのだ。
しかし、島に平穏が戻ったわけではなかった。
街から流れ着いた人々の中には、手当てを受けても回復しない者がいた。
火傷が癒えても、原因の分からない体調不良に苦しむ者がいた。
そして、何も知らずに救助へ向かった者たちまでもが、次第に体調を崩していった。
洋文も、その一人だった。
最初は、疲労だと思っていた。
咳が続く。
身体が重い。
時々、血が混じる。
だが、休んでも症状は改善しなかった。
自分の身体に何かが起きている。
そう気づいたときには、すでに遅かった。
洋文は、自分が不治の病に侵されていることを知った。
あの日、街を焼き尽くした光。
海岸に流れ着いた人々。
そして、自分の身体に起きている異変。
それらが、一本の線でつながった。
「……そうか」
洋文は静かに呟いた。
「俺も……長くはないのか」
千代を失ったばかりだというのに。
自分の命まで、残り少ない。
それでも、洋文にはやらなければならないことがあった。
自分たちの意思を記録として残し、一族に伝えること。
自分たちが残してしまった研究を、いつか終わらせるための道筋を残すこと。
戦争は終わった。
だが、人間が不老不死を求める限り、研究は終わらない。
戦争が終わっても、誰かが力を求め、誰かがそのために犠牲になる。
洋文は、それを身をもって知っていた。
だからこそ、記録を残さなければならなかった。
自分たちの意思を、未来へ伝えるために。
洋文は机に向かった。
紙を広げ、一文字ずつ書き始める。
自分たちが行っていた研究。
不死川の血。
常盤の血。
薬のこと。
一ノ瀬学のこと。
そして――二人の子供たちのこと。
これは、研究を完成させるための記録ではない。
自分たちが何をしてしまったのか。
何を守ろうとしたのかを記すことで
不死川、常盤の血を引くものが不老不死そのものの記憶を消し去るその日がくる。
「俺は親友を殺すことは出来なかった...だから、俺たちの血を引くものが、記憶を操れるようになれば、研究そのものを消し去る事が可能なはずだ。。。」
やがて、洋文は最後のページを書き終えた。
その記録を一冊にまとめ、箱へ収める。
そして、その箱を防空壕の奥深くへ隠した。
だが――。
箱を開けるための鍵だけは、そこに置かなかった。
洋文は小さな鍵を手に取った。
「……これは、富士川家へ送ろう」
箱と鍵を、別々の場所に残す。
それならば、防空壕を見つけただけでは記録を読むことはできない。
洋文は、その鍵を富士川家へ送った。
いつの日か。
この記録を読むべき者が現れたときのために。
そして、最後にもう一度だけ千代の墓へ向かった。
墓石には、ただ一つ。
――常盤。
洋文は墓の前に立ち、しばらく黙っていた。
「……千代」
風が吹く。
勿忘草が揺れる。
洋文は静かに目を閉じた。
そして、防空壕に残した書記の最後を思い出す。
そこには、こう記されていた。
――一族だけは、俺たちが行きた証、俺たちの意思を忘れないでくれ。
――不老不死の研究は、今後先も続いていく、薬を投与した常盤と不死川は決して交わってはならない。
――俺たちは、研究の完成を先送りにしたに過ぎない、記憶を操れる異能を使い、この記録と研究、不老不死そのものの記憶をこの世から消し去ってくれ。
――全てを知って、すべてを忘れるためにこの記録を一族へ残す。
それが、洋文が未来へ残した最後の願いだった。




