洋文の覚悟
洋文は、決めていた。
一ノ瀬学を殺す。
それしか、千代と子供たちを守る方法はない。
千代には、そのことを話さなかった。
話せば、きっと止められる。
だから洋文は一人で計画を立てた。
学が一人になる時間。
研究施設への出入り。
逃げ道。
何度も頭の中で繰り返した。
だが。
洋文が隠れ家にしていた小さな防空壕戻ったとき、千代の姿はなかった。
「……千代?」
嫌な予感がした。
周囲を探しても、どこにもいない。
そのとき。
遠くから、一人の男が歩いてきた。
一ノ瀬学だった。
「洋文」
「……学」
学の後ろに、千代がいた。
両手を拘束され、苦しそうにこちらを見ている。
「千代!」
学は千代の首元にナイフを当てた。
「動くな、洋文」
洋文は足を止めた。
「千代を離せ」
「お前がこの薬を打って、千代との子供を作ると言うなら、解放してやってもいい。」
「彼女とお前は、私がずっと探していた答えそのものだ」
「……学」
「不死川の血。そして常盤の血。薬に耐えた身体」
学の目が輝いていた。
「あと少しなんだ」
洋文は拳を握りしめた。
「そんなもののために……俺と千代を利用するのか」
「利用?」
学は首を傾げた。
「違う。これは研究だ」
その言葉を聞いた瞬間、洋文の中で何かが切れた。
ゆっくりと学へ歩き出す。
「来るな、千代がどうなってもいいのか?」
「……千代を返せ」
洋文の声は低かった。
学が一歩後ろへ下がる。
「止まれ!」
それでも洋文は止まらない。
殺意が、全身から滲み出ていた。
学の顔から笑みが消える。
「……本気なのか」
「千代を返せ」
洋文がさらに近づく。
学は後ずさる。
「来るな!」
そして――。
「……っ!」
学の手が動いた。
ナイフが千代の首元を切り裂いた。
「千代!」
赤い血が、地面へ落ちた。
千代の身体が崩れる。
洋文が駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
千代は学を見た。
そして――静かに手を伸ばした。
「……もう、終わりにしましょう....」
千代の指が、学の額に触れる。
その瞬間。
学の中にあった記憶が、次々と流れ出していく。
研究。
薬。
不死川。
常盤。
そして――。
不老不死へ至る可能性。
千代は、最後の力を振り絞りそれらを一つずつ消していった。
「やめ……ろ……」
学の声が震える。
けれど千代は止めなかった。
「あなたから……この記憶永久に消します」
最後の記憶が消えた。
学の目から、狂気のような光が消えていく。
しばらくして、学は呆然と立ち尽くした。
「……私は……何をしていた?」
もうそこにいたのは、不死を追い求める男ではなかった。
ただ、人の命を救うことを願う一人の医師。
そして、研究を楽しむ一人の研究者。
「……洋文?」
学が名前を呼ぶ。
洋文は答えなかった。
ただ、倒れた千代を抱き起こした。
「千代……!」
身体を抱きしめる。
まだ温かい。
だが、その身体から力が失われていく。
「学……!」
洋文は怒りに任せて立ち上がった。
ナイフを握る。
「お前が……千代を……!」
学へ向かって歩く。
今度こそ殺す。
そう思った。
しかし。
「……洋文?」
学が、不思議そうに洋文を見つめていた。
「どうしたんだ?何故千代が倒れている....?」
その顔を見た瞬間。
洋文の中で、何かが蘇った。
まだ二人が研究者だった頃。
夜遅くまで研究室に残り、くだらない話をしたこと。
実験が失敗して、二人で笑ったこと。
新しい発見をした日は、子供のように喜んだこと。
学が研究を語るときの、あの楽しそうな顔。
すべてが、鮮明に蘇ってきた。
「……学」
洋文の手から、ナイフが落ちた。
殺せなかった。
目の前にいるのは、もう自分たちが知っていた狂気の研究者ではない。
ただの――。
昔の友だった。
「……お前は、何も知らないんだな」
学は答えられなかった。
洋文は再び千代を抱きしめた。
「……帰ろう」
千代はもう答えなかった。
洋文は、千代の身体を抱いたまま歩き出す。
振り返らない。
何も言わない。
ただ一人、大切な人を抱えて。
その場所から、静かに消えていった。
そして――。
千代が最後に残した力によって。
一ノ瀬学から、不老不死へ至る道を知る記憶は完全に消えた。
残されたのは、一人の医師と研究者。。。




