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Myosotis 〜すべてを忘れるために〜  作者: こんにゃくミ


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記憶の片鱗

挿絵(By みてみん) 日本は敗戦を迎えた。


 長く続いた戦争が終わり、街にはようやく静けさが戻り始めていた。


 焼け落ちた建物、瓦礫の山、家族を失った人々。


 昨日まで当たり前だった日常は、あまりにも簡単に失われていた。


  人々は、戦争が終わったことを喜び、これから始まる新しい時代に希望を抱こうとしていた。


  しかし――。


 洋文と千代にとって、敗戦は解放を意味しなかった。


 戦争が終われば、すべてが終わる。

 そう思っていた。


  だが、二人が背負っていた秘密は、戦争とともに消えてくれるほど簡単なものではなかった。


  むしろ、敗戦によって、それまで隠されていたものが明るみに出ることを二人は恐れていた。


 二人は、子どもたちを守るために逃げ続けなければならなかった。


 洋文と千代。


 そして、二人の子ども。


 常盤千鶴と、不死川蓮蔵。


 戦争は終わった。


 それでも、二人の逃亡生活は終わらなかった。


 四人は人目を避けるように、山間の小さな村で暮らしていた。


 食料は十分にない。


 住む場所も決して快適とは言えなかった。


 それでも、戦争中に比べれば穏やかな日々だった。


 ある日。


 食料が底をつきかけていた。


「……今日の分も、これだけか」


 洋文が小さな袋を覗き込む。


 中には、わずかな米しか残っていない。


「子どもたちには、ちゃんと食べさせないと」


 千代が言った。


「俺が何とかする」


 洋文は立ち上がった。


 しかし、その日の夕方。


 家の外から声がした。


「千代さん?」


 千代が振り返る。


 そこには、近くの村に住む女性が立っていた。


 手には食料の入った袋を抱えている。


「これ、よかったら使って」


「……え?」


 千代は驚いた。


「お米と野菜。少しだけだけど」


「どうして……?」


 女性は不思議そうな顔をした。


「どうしてって……昔から仲良くしてるじゃない」


「……昔から?」


「そうよ」


 女性は笑った。


「あなた、昔からこの村にいたじゃない」


 千代は言葉を失った。


 そんな記憶はない。


 この村へ来たのは、つい最近だ。


「……そう、でしたね」


 なぜか。


 否定することができなかった。


 女性は何も疑うことなく帰っていった。


 千代は、その後ろ姿を見つめていた。


「……おかしい」


 洋文が尋ねる。


「どうした?」


「私、この人と……昔から知り合いだったんでしょうか?」


「そんなわけないだろ」


 洋文は答えた。


「俺たちがこの村に来たのは、数か月前だ」


「……ですよね」


 千代は首を傾げた。


 それでも、その女性は確かに千代を昔から知っているようだった。


 それからだった。


 奇妙なことが少しずつ起こり始めた。


 別の日。


 別の村人が食料を持ってきた。


「千代さん、これ持っていきな」


「ありがとうございます」


「遠慮するなよ。昔から世話になってるんだから」


 まただった。


 別の村人も。


 また別の村人も。


 まるで千代が、この村で何十年も暮らしてきた人間であるかのように接してくる。


 最初は偶然だと思っていた。


 だが、数が増えていく。


「……洋文さん」


「なんだ?」


「やっぱり、変です」


「何が?」


「みんな、私のことを昔から知っているみたいなんです」


 洋文は黙っていた。


「この村に来てから、まだそんなに経っていない」


「……ああ」


「なのに、誰も疑わない」


 千代は自分の手を見つめた。


「どうしてでしょう」


 その答えが分かるまで、さらに時間がかかった。


 ある日。


 村の子どもが千代の家へ遊びに来た。


「千代おばちゃん!」


 千代は笑って迎え入れる。


 子どもは家の中を走り回った。


 その途中。


 棚に置いてあった皿を落とした。


 ――ガシャッ。


「……!」


 皿が割れる。


 子どもが青ざめる。


「ご、ごめんなさい……」


 千代はしゃがみ込み、子どもの目を見る。


「大丈夫ですよ」


 その瞬間だった。


 千代の頭の中に、奇妙な感覚が走った。


 何かが、指先から抜けていくような感覚。


「……?」


 子どもが瞬きをする。


「……あれ?」


「どうしました?」


「今、何してたんだっけ?」


 千代は固まった。


 子どもは割れた皿を見ている。


 しかし、その顔には恐怖がない。


「お皿……?」


 子どもが首を傾げる。


「どうしてここにあるの?」


 千代の背筋が冷たくなった。


 子どもは、皿を落としたことを忘れていた。


 千代は何も言えなかった。


 その夜。


 洋文にすべてを話した。


「……記憶を?」


「分かりません」


 千代は首を振る。


「でも、あの子は……確かに忘れていました」


「偶然じゃないのか?」


「では、村の人たちは?」


 洋文が黙る。


 千代は続けた。


「みんな、私と昔から知り合いだったと思っている」


「……」


「私が、この村にずっと住んでいたと思っている」


 洋文は考え込んだ。


「もし、それが本当なら……」


 千代は小さく頷く。


「私が、みんなの記憶を変えている?」


 自分で口にした言葉に、千代自身が恐ろしくなった。


「そんなこと……できるわけがない」


 洋文もそう言った。


 だが。


 翌日。


 千代は、試してみることにした。


 村人の一人に、簡単なお願いをした。


「昨日、私と会いましたよね?」


「もちろん」


「どこで?」


「えっと……」


 村人が考え込む。


 千代は、その人の目を見る。


 ほんの少しだけ。


 意識を集中する。


 すると――


 頭の中に、何かが流れ込んできた。


 その人の記憶。


 昨日の出来事。


 村の道。


 畑。


 家。


 そして、千代。


 存在しないはずの記憶の中に、自分がいる。


 千代は驚いて意識を離した。


「……千代さん?」


「……はい」


「昨日、畑で会ったよな」


 村人は何の疑いもなく言った。


 千代の顔から血の気が引いた。


 それは違う。


 そんな出来事は存在しない。


 なのに。


 相手の中では、それが確かな過去になっていた。


 千代は自分の能力を理解し始めた。


 自分には、人の記憶へ干渉する力がある。


 記憶を消す。


 書き換える。


 そして――


 存在しなかった出来事さえ、そこへ埋め込むことができる。


「……私、何者なんでしょう」


 千代は震える声で呟いた。


 洋文は答えられなかった。


 ただ、千代の力を知れば知るほど。


 あの研究で作ろうとしていた「不老不死」が、単純に肉体だけの問題ではないことを感じ始めていた。


 千代は鏡に映った自分の姿を見る。


 六十二歳とは思えない、若い姿。


 薬を投与されても死ななかった身体。


 そして――


 人の記憶を書き換える力。


 まだ、自分自身でも理解できない。


 けれど。


 この力があれば、二人の子どもを守れる。


 そう思った。


 千代は静かに鏡から目を逸らした。


 この日を境に。


 彼女は少しずつ、自分の中に眠る異質な力を理解していくことになる。

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― 新着の感想 ―
1話からサスペンス仕立て! 次々と謎が出てきて、面白い。 人として禁断の研究。その結果、いったい何が起きたのか? 少女は誰なのか? なぜ蓮は彼女のことを思い出せないのか? そして、そもそも蓮に手紙…
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