不死川洋文の記録
咲は、二人を見つめていた。
祐希も、蓮も、まだ何も知らない。
咲がここへ来た本当の理由も。
蓮からネックレスを盗んだことも。
悟のノートから、図面を千切ったことも。
――全部、自分の口から説明することができない。
「……ごめん」
小さく呟く。
二人に問い詰められれば、きっと答えられない。
なぜ一人で教会へ来たのか。
なぜ蓮のネックレスを持っていたのか。
なぜ悟のノートから図面を千切ったのか。
どれも、今の自分には二人を納得させられる言葉がなかった。
だから――
咲は、2人の頭に触れる、髪の色が白か輝きだし、二人の記憶に触れた。
消すのではない。
必要な部分だけを、別の記憶へと置き換えていく。
まず、咲が「用事がある」と言って二人とは別に教会へ来たという記憶。
それを消す。
次に――
蓮からネックレスを盗んだという記憶。
それも消す。
そして、悟のノートから図面を千切ったのが咲だったという記憶。
それも。
代わりに、ひとつの出来事を植え付ける。
――最初から、三人で教会へ来た。
悟のノートから千切った図面を三人で持っていた。
その図面を頼りに、地下室へ行き、一ノ瀬と正樹に遭遇、正樹から逃げるために、図面を頼りに教会の奥にある防空壕へ辿り着いた。
それが、二人の中での「事実」になる。
咲は最後に、蓮の記憶へ触れた。
ネックレス。
それだけは残す。
千鶴からもらったもの。
古びた銀色の鍵の形をしたネックレス。
ずっと自分が身につけていたもの。
――ただし。
「咲に盗まれた」という部分だけを消す。
記憶の中で、ネックレスは最初から蓮の首にあった。
咲はゆっくりと手を離した。
「……これで」
もう、説明する必要はない。
二人の中では、最初から三人でここへ来た。
図面を頼りに、この場所を見つけた。
そして――
咲がネックレスを盗んだという事実も存在しない。
「……ごめんね」
咲は、二人に聞こえない声で呟いた。
二人を騙したかったわけじゃない。
ただ、自分には説明できなかった。
信じてもらえる言葉が、見つからなかった。
だから――
記憶そのものを、書き換えるしかなかった。
その後、三人は何事もなかったように防空壕の奥へすすんでいく。
その先で蓮があるものを見つける。
「……これ」
雑草の奥。
土に半分埋まるようにして、小さな箱が置かれていた。
古びた金属製の箱だった。
「なんだ、それ?」
祐希が近づく。
「分からない」
蓮は箱を持ち上げた。
見た目よりも重い。
表面には錆が浮いているが、壊れている様子はない。
祐希が蓋の隙間に指を入れる。
「開くか?」
「無理だと思います」
「やってみなきゃ分からないだろ」
祐希が力を込める。
しかし――
びくともしない。
「……硬ぇな」
「力ずくでは無理そうですね」
咲が箱を覗き込む。
そして、小さな声を上げた。
「蓮先輩……」
「ん?」
「ここ」
箱の正面。
錆に隠れるようにして、小さな鍵穴があった。
蓮は胸元を見る。
いつも身につけている、鍵の形をした銀色のペンダント。
「……まさか」
蓮はそれを手に取った。
これまで何度も触れてきた。
千鶴から渡された、ただのお守りだと思っていた。
だが――
今、目の前にある鍵穴を見た瞬間。
初めて、この鍵の本当の意味を考えた。
「蓮、試してみろよ」
祐希が言う。
「……はい」
蓮は恐る恐る、鍵を鍵穴へ差し込んだ。
――すっ。
驚くほど自然に入った。
三人が息を呑む。
「……回してみてください」
咲の声が小さく震えている。
蓮はゆっくりと鍵を回した。
――カチャ。
「……開いた」
金属の蓋が、ゆっくりと持ち上がる。
中には、1冊の書物が入っていた。
表紙には何も書かれていない。
蓮が慎重に取り出す。
「……日記、か?」
「分かりません」
咲が隣から覗き込む。
最初のページ。
そこには、古い文字で名前が記されていた。
――不死川洋文。
蓮の表情が固まる。
「……不死川」
墓地で見つけた名前。
そして、この書物にも同じ名前がある。
蓮はゆっくりとページをめくった。
そこには、こう記されていた。
⸻
これを読む者へ。
願わくば、この記録を読む者が、不死川家、あるいは常盤家の者であってほしい。
この記録を残す。
今は戦時中だ。
我々は国からの命を受け、この島で極秘裏に「不死」の研究を進めている。
目的は、人間の寿命を超越させること。
戦争において、死なない兵士を作ること。
それが、この研究を始めた理由だった。
蓮は息を呑んだ。
祐希も、冗談を言うことなくページを見つめている。
記録は続いていた。
研究中の薬は、まだ完成していない。
複数の村人が、この島へ被験体として連れてこられた。
薬を投与された人間には、ある共通した変化が起きた。
瞳が、紫色へ変色する。
そして、その後に死亡する。
蓮の指が止まる。
「……紫色」
悟の顔が頭に浮かんだ。
棺の中で、ほんの一瞬だけ開いた瞳。
あの紫色の目。
蓮は無意識にページを強く握った。
「……嘘だろ」
祐希が呟く。
蓮は何も答えられなかった。
記録には、研究に関わった人物の名前も残されていた。
この研究を進めているのは、二人。
不死川洋文。
集落の医師、一ノ瀬学。
「一ノ瀬……」
蓮が呟く。
現在の一ノ瀬透と同じ名字。
偶然なのか。
それとも――。
ページをめくる。
そこから先は、研究の経過が細かく記されていた。
何人もの被験体。
投与。
紫色に変わる瞳。
そして、死。
成功例は、存在しなかった。
そんなある日。
新たな女性が村へ連れてこられた。
名前は――
常盤千代。
本人の申告によれば、年齢は六十二歳。
しかし、私には到底そうは見えなかった。
彼女の容姿は、どう見ても三十代の華麗な女性だった。
蓮の目が大きく見開かれる。
「……常盤」
墓地に刻まれていた、もう一つの名前。
常盤。
その名が、ここでも出てきた。
記録は続いている。
彼女へ薬を投与することが決定した。
投与前には、必ず問診を行う。
これまで何度も繰り返してきた、いつもの手順だ。
だが――
そこで、文章が一度途切れていた。
次の行から、文字の雰囲気が変わっている。
私は、なぜか彼女に対して不思議な感情を抱いていた。
研究対象として見なければならない。
そう頭では分かっている。
それなのに、彼女をただの被験体として見ることができなかった。
その頃。
日本が他国への侵略に成功したという報告が、この島にも届いた。
戦況は、日本にとって有利に進んでいた。
しかし、その知らせを聞いた洋文と学は、喜ぶことができなかった。
もし、この研究が成功したら。
もし、本当に不老不死の人間が生まれてしまったら。
その力を持つ国は、どうなるのか。
他国を支配し、永遠に戦争を続ける国家が生まれてしまうのではないか。
洋文は、初めて研究そのものに疑問を抱き始めていた。
そして――
常盤千代への薬の投与日がやってきた。
そこには、短い一文だけが残されていた。
「明日、千代さんに薬を投与する。」
その下には、さらに小さな文字で書かれていた。
「どうか、何も起こらないでほしい。」
蓮は、そのページを見つめたまま動けなかった。
教会の裏。
古い墓地。
不死川。
常盤。
そして――
紫色の瞳。
すべてが、一本の線で繋がり始めている。
だが。
蓮はまだ知らなかった。
この記録に書かれている「常盤千代」という女性が――
自分たちの物語に、深く関わる人物になることを。




