囚われた医師
椅子に座った男は、俯いたまま動かない。
「……近づくな」
祐希が蓮の肩を掴んだ。
「でも……」
「確認する」
祐希が慎重に近づいていく。
「悟!」
呼びかけても反応はない。
祐希が男の肩に手を置いた。
「……おい」
ぐらり。
悟の身体が横へ傾いた。
「っ!」
祐希が慌てて身体を支える。
その瞬間――
悟の顔が、はっきりと見えた。
「……間違いない」
祐希の声が低くなる。
「悟だ」
蓮は動けなかった。
何度も見た顔。
子供の頃から、一緒に過ごしてきた親友。
そして――
数日前に、葬儀を終えたばかりの男。
「……死んでる」
蓮が呟く。
祐希が悟の首元に手を当てた。
「脈がない」
胸元にも手を当てる。
「呼吸もない」
やはり、死んでいる。
間違いなく。
「……でも」
蓮は震える声で続けた。
「悟は……火葬されたはずだ」
祐希も答えられなかった。
二人の脳裏に、火葬場の光景が蘇る。
棺が炉の中へ入っていく。
扉が閉じる。
そして、火葬が終わった。
この村では、火葬後に遺骨を拾う習慣がない。
昔からそうだった。
だから、二人は悟の骨を見ていない。
だが――
「……それでもおかしい」
祐希が呟いた。
「火葬したんだぞ」
蓮は悟の身体を見つめた。
焼けていない。
傷んでもいない。
まるで、火葬される前の悟そのものだった。
「……じゃあ」
蓮の声が震える。
「俺たちが火葬したのは……誰なんだ?」
その瞬間。
二人の間に、重い沈黙が落ちた。
答えはない。
ただ、目の前には――
確かに死んだ悟の身体がある。
「……悟は、ここで何をされてたんだ?」
答えは返ってこない。
そのとき。
祐希が悟の服のポケットに何かが入っていることに気づいた。
「……これ」
取り出したのは、小さな紙だった。
祐希がゆっくりと開く。
そこには、
一行だけ文字が書かれていた。
――被験体・竹中悟
蓮の目が見開かれた。
「……被験体?」
その言葉を見た瞬間。
蓮の背筋を、
冷たいものが走った。
牢獄のような施設を、蓮と祐希はゆっくりと進んでいた。
鉄格子。
小さな独房。
壁に残された無数の傷。
ここで、誰かが長い間閉じ込められていた。
その事実だけが、嫌というほど伝わってくる。
「……誰が、こんなものを」
祐希が呟いた。
蓮は答えなかった。
並ぶ独房を、一つずつ確認していく。
そして――
「……祐希先輩」
蓮が足を止めた。
「どうした?」
蓮が、一番奥の独房を指差す。
そこに、人影があった。
薄暗い独房の中。
壁にもたれかかるようにして、一人の男が座っている。
白衣は汚れ、顔には疲労が浮かんでいた。
だが、その顔を見た瞬間。
蓮は息を呑んだ。
「……先生?」
祐希も目を見開く。
「……一ノ瀬?」
間違いない。
この島の医師。
悟の死を診断した男。
そして、あの教会へ入ることを止めた男。
一ノ瀬透だった。
「先生!」
蓮が鉄格子へ駆け寄る。
一ノ瀬がゆっくりと顔を上げた。
そして蓮を見る。
驚いたような表情。
だが、それは一瞬だった。
すぐに、何かを諦めたような顔に変わる。
「……蓮くん」
「どうして先生が、ここにいるんですか?」
一ノ瀬は答えなかった。
「先生!」
蓮は鉄格子を掴んだ。
「ここで何をしてたんですか?」
「……」
「悟のことを知っているんですよね?」
一ノ瀬の視線が揺れた。
蓮はそれを見逃さなかった。
「悟は……本当に急性心不全だったんですか?」
沈黙。
「教えてください!」
一ノ瀬は目を伏せた。
「……もう、帰りなさい」
「帰れるわけないでしょう!」
蓮の声が牢獄に響いた。
「悟がここにいたんです!」
一ノ瀬の顔が強張る。
「……見たのか」
「はい」
「……そうか」
それだけだった。
「先生、知ってたんですか?」
一ノ瀬は答えない。
「じゃあ、なぜ先生までここにいるんですか?」
「……」
「先生は、この施設のことを知っていたんじゃないんですか?」
一ノ瀬は、ただ黙っていた。
祐希が鉄格子を調べる。
「蓮、これ……鍵がかかってる」
「壊せませんか?」
「やってみる」
祐希が鉄格子を掴み、力を込める。
ガシャン!
鉄格子が大きく揺れる。
しかし、びくともしない。
「くそ……」
祐希が歯を食いしばる。
蓮も周囲を見回した。
鍵はない。
何か使えるものも見当たらない。
どうすれば、一ノ瀬をここから出せるのか。
そのときだった。
「……蓮くん」
一ノ瀬が、突然小さな声で言った。
「え?」
「後ろ――」
一ノ瀬の目が大きく見開かれた。
だが、その言葉が最後まで届くより早く――
ガッ。
蓮の身体が、後ろから強く引き寄せられた。
「……っ!」
腕を取られる。
首元に腕を回され、完全に動きを封じられた。
「蓮!」
祐希が振り返る。
そこに立っていたのは――
黒い服の男だった。
「動くな」
低い声が響く。
蓮は必死に身体を動かそうとする。
だが、びくともしない。
「離せ!」
「抵抗するな」
男の腕に、さらに力が込められる。
祐希は拳を握った。
だが――
動けない。
男の腕が蓮の首元を押さえている。
「蓮を離せ!」
「なら、お前はそこから動くな」
男が冷たく言う。
その顔を見た瞬間。
祐希の表情が凍った。
「……父さん?」
高尾正樹。
祐希の父親だった。
「父さん……なぜここに?」
正樹は答えない。
「なんで……?」
祐希が一歩踏み出そうとする。
「来るな」
正樹の腕に力が入る。
「……っ」
蓮が苦しそうに息を漏らした。
祐希は足を止めた。
「蓮を離せよ……」
「なら、余計なことをするな」
「なんでだよ……」
祐希の声が震える。
「なんで父さんが、こんなところにいるんだよ!」
正樹は何も答えなかった。
ただ、蓮を拘束したまま、一ノ瀬へ視線を向ける。
一ノ瀬は目を伏せていた。
まるで、この状況を予想していたかのように。
「先生……」
蓮が苦しそうに声を絞り出す。
「……知ってたんですか?」
一ノ瀬は答えない。
「先生……なんで……」
それでも、一ノ瀬は口を閉ざしたままだった。
祐希は父親を睨みつける。
「父さん……頼むから、蓮を離してくれ」
正樹は静かに言った。
「……祐希。お前も、これ以上関わるなと言ったはずだろ!」
「ふざけんな!」
「この男がどうなるかは、お前次第だ」
その言葉に、祐希は完全に動きを止めた。
牢獄の中に、重い沈黙が落ちる。
一ノ瀬は俯いたまま。
蓮は正樹に拘束されたまま。
祐希は拳を握りしめながら、父親を睨み続ける。
誰も動けない。
その均衡を崩すように――
遠くで、重い鉄の扉が閉まる音が響いた。




