葬送
朝から、集落には静かな雨が降っていた。
七年ぶりに戻ってきた故郷は、蓮の記憶の中とほとんど変わっていなかった。
山に囲まれた小さな集落。
古びた家々。
雨に濡れた細い道路。
そして、集落の奥にひっそりと佇む古い教会。
「……蓮くん」
声をかけられて振り返る。
そこにいたのは、悟の父親と母親だった。
二人とも、蓮が記憶していた姿よりずっと小さく見えた。
父親は俯いたまま、何も言わない。
母親は目を赤く腫らし、何度もハンカチで涙を拭っていた。
「……久しぶり」
母親が、かすれた声で言った。
「はい……お久しぶりです」
それ以上、言葉が続かなかった。
息子が死んだ。
あまりにも突然だった。
死因は急性心不全。
それだけが、二人に伝えられている。
病気を患っていたわけでもない。
前日まで、いつも通りに生活していた。
それなのに、突然。
二十五歳の息子が、この世からいなくなった。
父親がゆっくりと顔を上げた。
「……来てくれたんだな」
「はい」
「悟も……喜んどると思う」
父親の声が震えた。
「来てくれて……本当に、ありがとう」
「そんな……」
「七年も帰ってこなかったのに、悟のために戻ってきてくれたんだろ?」
蓮は答えられなかった。
七年間。
自分はこの集落に戻らなかった。
悟とも、ほとんど連絡を取っていなかった。
それでも、最後に会うことくらいはできた。
その思いが、胸を締め付ける。
「……すみません」
蓮が頭を下げる。
すると、悟の母親が首を横に振った。
「謝らなくていいの」
涙を流しながら、微笑んだ。
「来てくれて……ありがとう」
その言葉が、蓮の胸に深く刺さった。
蓮は、悟の死について聞いた。
「あ...あの...悟に...悟に何があったんですか?」
悟の母親は答える。
「急性心不全だそうよ。いつものように家に帰って寝ていたの、次の日全く起きて来ないから、心配になって部屋に見に行ったら...もう意識もなく...心臓が止まっていたの...」
泣き崩れる悟の母親を、父親が優しく抱く。
その姿を見て蓮は、話を聞くことをやめた。
「ごめんなさい...」
蓮は、深くお辞儀をして、その場を去った。
⸻
葬儀が始まるまでの間、蓮は集落の人々と何度も顔を合わせた。
「蓮か?」
「先生になったんか」
「大きくなったのう」
七年前まで、当たり前のように聞いていた声。
懐かしい。
それなのに、どこか息苦しい。
みんな昔と変わらない。
けれど、蓮には妙な違和感があった。
誰も悟の死について深く話そうとしない。
「まだ若いのにのう...」
それだけ。
誰も、それ以上は口にしなかった。
まるで、そこで話を終わらせることが決められているかのようだった。
⸻
葬儀が始まった。
読経が静かに響く。
蓮は悟の遺影を見つめていた。
写真の中の悟は、少し照れたように笑っている。
高校時代と変わらない笑顔だった。
ふと、昔の記憶が蘇る。
高校一年。
悟と初めて大喧嘩した日。
高校二年。
二人で山に入り、日が暮れて千鶴にこっぴどく叱られた日。
高校三年。
あの少女が消えた日。
「……」
蓮は目を伏せた。
あの日から、すべてが変わった。
少女は見つからなかった。
そして蓮は、この集落を出た。
七年間、一度も戻らなかった。
⸻
葬儀が終わり、参列者が悟の棺へと進んでいく。
蓮も列に並んだ。
そして、悟の顔を見た。
「……悟」
白い布に包まれた身体。
眠っているような顔。
けれど、もう二度と目を開けることはない。
そう思った瞬間、胸の奥から感情が溢れた。
「……なんでだよ」
蓮は棺に手を伸ばした。
頬に触れる。
冷たい。
「お前……」
涙が頬を伝う。
蓮は震える手で、悟の顔を強く撫でた。
「起きろよ……」
もう一度、頬に触れる。
その瞬間だった。
悟のまぶたが、わずかに動いた。
「……え?」
蓮の手が止まる。
閉じていたはずのまぶたが、ほんの少しだけ開く。
そして――
蓮は息を呑んだ。
瞳が、紫色に変色していた。
「……何、これ」
見間違いではない。
生前の悟の瞳とは明らかに違う。
紫。
蓮がもう一度確認しようとした、その時だった。
「触るな!」
腕を強く掴まれた。
「っ……!」
振り返る。
そこには、一ノ瀬透が立っていた。
集落で医師を務める男。
普段は穏やかな男だった。
しかし今は違う。
顔から血の気が引いていた。
「一ノ瀬先生……?」
「もう触るな」
「先生、今……悟の目が――」
「見るな!」
一ノ瀬が蓮を睨みつける。
その目には、恐怖があった。
「……なんで、そんなことを言うんですか?」
一ノ瀬は答えない。
ただ、棺の中の悟を見つめている。
「悟は……本当に急性心不全なんですか?」
一ノ瀬の表情が、一瞬だけ固まった。
「それが死因だ」
「でも……」
「蓮」
低い声だった。
「この集落では、知らないほうがいいこともある」
「どういう意味ですか?」
一ノ瀬はしばらく黙っていた。
そして、蓮の肩に手を置いた。
「……今見たものは、忘れろ」
「無理ですよ」
「忘れろ」
その声には、懇願にも似た響きがあった。
蓮は一ノ瀬を見つめた。
その瞬間。
背後から、聞き覚えのある声がした。
「……蓮先輩?」
振り返る。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
高校時代の記憶が、一気に蘇る。
「……咲ちゃん?」
鷹宮咲。
蓮の一つ下の後輩だった。
七年前とあまり変わっていない。
「お久しぶりです、蓮先輩」
「久しぶり、咲ちゃん」
咲は微笑んだ。
けれど、その表情にはどこか不安が滲んでいた。
「帰ってきてくださったんですね...」
「ああ。悟の葬式だからな」
「……そうですよね」
咲は俯いた。
「悟先輩……本当に、急に亡くなってしまって」
「急性心不全って聞いた」
「はい……」
咲は小さく頷いた。
「蓮先輩……何か見ましたか?」
蓮は答えに迷った。
しかし、咲の目を見ていると、嘘をつくことができなかった。
「……悟の目が開いた」
咲の表情が変わった。
「え……?」
「ほんの少しだけだけどな」
「そんな……」
「それで、目が……」
蓮が言葉を止める。
その沈黙が、すべてを物語っていた。
咲が小さな声で言う。
「やっぱり……」
「何が?」
「この集落……変です」
蓮は黙った。
「私、ずっとそう思っていました」
咲は周囲を見回した。
「悟先輩のことだけじゃありません」
「……どういうことだ?」
「七年前、あの女の子がいなくなった時もそうでした」
蓮の表情が変わる。
「……あの子のこと、覚えてるのか?」
「もちろんです」
咲は蓮を見つめた。
「みんな、何かを知っているような顔をしていました。でも、誰も何も教えてくれませんでした」
「……」
「それに、この集落の人たち……何かを隠していると思います」
咲の声は震えていた。
それでも、蓮から目を逸らさなかった。
「私も、ずっと調べていました」
「咲ちゃんが?」
「はい」
「危ないことはしてないだろうな?」
「……少しだけ」
「少しだけってなんだよ」
蓮が苦笑する。
咲も少しだけ笑った。
「でも、蓮先輩が戻ってきたなら……」
咲は一度言葉を止めた。
「私も、力になりたいです」
「……ありがとう」
「蓮先輩のためなら、私……何でもします」
「無茶はするなよ、咲ちゃん」
「はい」
咲は素直に頷いた。
その頬が、ほんの少しだけ赤くなっていた。
⸻
「おい、蓮」
突然、背後から声がした。
振り返る。
そこには、大柄な男が立っていた。
「……祐希くん?」
高尾祐希。
蓮の一つ上の先輩だった。
高校時代と変わらない。
鋭い目つきと、がっしりした身体。
「久しぶりだな、蓮」
「お久しぶりです、祐希くん」
「堅ぇな。昔みたいに話せよ」
「いや、先輩ですから」
「相変わらずだな、お前」
祐希が笑った。
そして、蓮の隣にいる咲を見る。
「咲もいたのか」
「はい」
「何の話だ?」
咲が答える。
「この集落についてです」
祐希の笑顔が消えた。
「……やっぱり、お前もそう思うか」
咲が頷く。
「祐希くんも?」
蓮が尋ねる。
「ああ」
祐希は集落を見渡した。
「俺は頭が切れるほうじゃねぇから、うまく説明できねぇけどな」
「それでも、何か感じてるんですね」
「ああ」
祐希の声が低くなる。
「昔から、この集落は何かがおかしい」
蓮は祐希を見る。
「何か知ってるんですか?」
「知らねぇ」
祐希は即答した。
「だから調べるんだろ」
「……」
「俺も付き合う」
蓮は少し驚いた。
「祐希くんまで……」
「仲間だろ?」
祐希は蓮の肩を軽く叩いた。
「昔から、そうだったじゃねぇか」
蓮は小さく笑った。
「……ありがとうございます」
七年間。
一度も戻らなかった故郷。
そこには、まだ自分を待っている人間がいた。
そして今。
蓮の前には、二人の仲間がいる。
この集落に疑問を抱く、鷹宮咲。
そして、仲間のためなら迷わず動く、高尾祐希。
三人はまだ知らなかった。
悟の死も。
消えた少女も。
古い教会も。
そして、この集落に潜む違和感も。
すべてが、同じ一つの秘密へと繋がっていることを。




