第9話 「親友って便利な言葉だな」
――相沢芽衣。
写真の中の彼女は、控えめに笑っていた。
凛の隣に立ち、少しだけ肩を寄せている。
未央は、少し離れたところにいる。
でも、その視線は芽衣のほうを向いていた。
理沙も写真を見た。
彼女の顔に、複雑な表情が浮かぶ。
「これ……ここにあるはずない」
理沙の声は、驚きよりも恐怖に近かった。
「去年の写真か」
透真が聞くと、凛は頷く。
「文化祭前。まだ、芽衣がいたころ」
「未央と芽衣は、この頃から関わっていた?」
「最初はあまり。芽衣は私と一緒にいることが多かったから」
「じゃあ、いつから未央が関わるようになった」
凛は少し沈黙した。
「噂が出てから」
「噂?」
理沙の顔が曇る。
凛はそれを見て、苦く笑った。
「白石さんは知ってるでしょ」
「……全部は知らない」
「そうやって、みんな言うんだよね」
凛は写真に視線を戻した。
「全部は知らない。自分は直接言ってない。自分は止められなかっただけ。だから、自分は悪くない」
理沙は唇を噛む。
凛は続ける。
「芽衣が誰かの悪口を裏アカに書いてるって噂が流れた。証拠みたいなスクショも出回った。でも、私は芽衣じゃないって知ってた」
「なぜ?」
透真が聞く。
「芽衣は、そんなこと書ける子じゃなかったから」
「それは根拠として弱い」
「わかってる」
凛はあっさり認めた。
「でも、私は信じてた。親友だったから」
その言葉に、理沙が目を伏せる。
親友だから信じる。
親友だから疑う。
親友だから縛る。
親友だから許せない。
同じ言葉が、いくつもの意味に変わっていく。
「未央は?」
透真が聞いた。
「未央は芽衣を信じたのか」
「信じようとした」
「信じた、じゃなくて?」
「未央は、みんなと話せば誤解は解けるって言った」
凛の声が冷える。
「芽衣に、ちゃんと説明すればわかってもらえるよって。悪口を言ってる人たちとも、話し合えば大丈夫って」
透真は少しだけ目を細めた。
未央らしい。
そして、残酷だ。
「芽衣はどうした」
「頷いた」
「本心で?」
「違うと思う」
凛は写真の中の芽衣を見つめる。
「芽衣は断るのが苦手だった。未央に優しく言われたら、嫌だって言えなかったんだと思う」
「それで?」
「話し合いの場が作られた」
理沙が小さく言った。
透真は理沙を見る。
「お前もいたのか」
「いた」
「何をした」
理沙はすぐには答えなかった。
だが、凛が先に言った。
「未央の隣にいた」
理沙の顔が硬くなる。
「未央が芽衣を助けようとするのを、止めなかった。でも、助けもしなかった」
「凛」
「違う?」
凛の声は静かだった。
「白石さんはずっと未央の隣にいた。でも、芽衣の隣には来なかった」
理沙は何も言わない。
それは肯定に近かった。
透真は、写真の理沙を見る。
未央の隣に立つ理沙。
けれど視線は芽衣ではなく、未央に向いている。
その頃から、理沙は未央だけを見ていたのかもしれない。
「未央は芽衣を助けたかった」
透真は言った。
「でもやり方を間違えた」
凛は何も言わなかった。
理沙が低く言う。
「未央だけが間違えたわけじゃない」
「そうだな」
透真は頷く。
「だから、この相関図はクラス全員に届いた」
その言葉に、理沙も凛も黙った。
透真はポスターから集合写真を外そうとした。
だが、写真の端は古いテープで貼りついていて、簡単には取れなかった。
「無理に剥がすな」
今にも泣きだしそうな声で
「何かあるのか」
「芽衣が写ってる最後の写真だから」
その声は、初めて少しだけ弱かった。
透真は手を止めた。
「最後?」
「たぶん」
凛は写真を見つめる。
「このあと、芽衣はほとんど写真に写らなくなった。写っても端っこ。誰かの影。見切れてる。まるで、最初からいなかったみたいに」
相沢芽衣。
削除済み。
相関図に表示された言葉が、透真の頭に浮かぶ。
削除済みとは、ただ転校したという意味ではない。
写真から。
会話から。
記憶から。
クラスの相関図から。
一人の名前が、少しずつ消されていった。
その時、理沙のスマホが震えた。
理沙は画面を見る。
表情が変わった。
「何だ」
透真が聞く。
理沙はしばらく黙ったあと、画面をこちらに向けた。
相関図の更新通知。
未央と理沙の線が拡大表示されている。
> 橘未央 → 白石理沙
> 親友? 43%
その下に、新しい注釈。
> 彼女は、本当に親友だったのか。
さらに、理沙から未央への線。
> 白石理沙 → 橘未央
> 独占欲 88%
そこにも注釈が追加されていた。
> 彼女は、橘未央を誰から守りたかったのか。
理沙の顔が青ざめる。
凛が画面を見て、わずかに眉を寄せた。
「……誰から?」
透真はその言葉を繰り返した。
理沙が未央を誰から守りたかったのか。
芽衣からか。
凛からか。
クラスからか。
それとも、未央自身の善意からか。
「白石」
透真は言った。
「去年、未央が芽衣に関わるのを嫌がったか」
「……嫌だった」
理沙は、ほとんど絞り出すように答えた。
「どうして」
「未央が疲れてたから」
「それだけか」
理沙は黙る。
凛が言った。
「未央を取られたと思ったんでしょ」
「違う」
理沙の否定は早かった。
早すぎた。
透真は見逃さない。
「違うなら、何が違う」
「私は……」
理沙は言葉を探す。
「未央が誰にでも優しくして、誰の問題にも首を突っ込んで、それで自分が傷ついてるのが嫌だった。未央は頼まれたら断れない。困ってる人を見たら放っておけない。でも、全部抱えられるわけじゃない」
「だから止めたかった」
「そう」
「でも止めなかった」
理沙は、苦しそうに目を伏せた。
「止めたら、未央に嫌われると思った」
その言葉は小さかった。
けれど、廊下にはっきり響いた。
未央に嫌われると思った。
それが白石理沙の核心なのだろう。
未央を守りたかった。
でも、未央に嫌われたくなかった。
未央の一番近くにいたかった。
でも、未央が見ているものを一緒に見ようとはしなかった。
だから、未央と芽衣の間で起きたことを、隣で見ていた。
何もせずに。
「親友って」
透真は言った。
「便利な言葉だな」
理沙が顔を上げる。
「何よ」
「一番近くにいる理由にもなるし、踏み込まない言い訳にもなる」
理沙は透真を睨む。
だが、何も言い返さなかった。
凛が小さく笑う。
「雨宮くんって、本当に嫌われそう」
「もう嫌われてる」
「誰に?」
「たぶん全員に」
「自覚あるんだ」
「ある」
凛は一瞬だけ、ほんの少しだけ表情を緩めた。
それは笑顔と呼べるほどのものではなかった。
けれど、初めて凛の顔から棘が少し抜けたように見えた。
そのとき、廊下の先から物音がした。
カタン、と小さな音。
三人が同時に振り向く。
旧校舎二階の奥。
使われていない教室のほう。
誰かがいる。
理沙が息を呑む。
「未央?」
返事はない。
透真は手で理沙を制し、ゆっくり歩き出した。
廊下の奥には、半開きの教室がある。
扉の上には、古いプレート。
第二準備室。
文化祭用の廃材や古い備品が置かれている部屋だろう。
透真が扉に手をかける。
開ける。
中には、誰もいなかった。
机と椅子。
積まれた段ボール。
去年の看板。
折れた木材。
色あせた布。
そして、床に一枚の紙が落ちていた。
理沙がそれに気づき、拾い上げる。
古いコピー用紙。
手書きの線。
名前。
それは相関図だった。
ただし、今スマホに表示されているものほど複雑ではない。
未央、理沙、凛、咲良、黒川、葛西、羽田。
そして中央近くに、相沢芽衣。
鉛筆で薄く書かれ、ところどころ消しゴムの跡が残っている。
紙の右下には、小さく文字があった。
> 橘未央・白石理沙
理沙の顔から、完全に血の気が引いた。
凛が目を見開く。
「これ……」
透真は理沙を見る。
「去年の相関図か」
理沙は答えなかった。
だが、その沈黙が答えだった。
未央と理沙は、去年すでに相関図を作っていた。
芽衣を中心に。
クラスの関係を整理するために。
助けるためだったのかもしれない。
だが、それが今のゲームの原型なのは明らかだった。
透真のスマホが震えた。
匿名アカウントからのメッセージ。
> ようやく見つけたね。
> 友情相関図は、最初から君たちの中にあった。
続けて第二準備室の薄暗い空気の中で、カウントダウンが表示される。
> 68:11:27
理沙は手書きの相関図を握りしめたまま、動けずにいた。
透真は彼女の横顔を見た。
親友の疑問符。
その意味が、少しだけ見え始めていた。
白石理沙は、未央を助ける側にいる。
だが同時に、このゲームの入口にも立っている。
透真は静かに言った。
「白石」
理沙はゆっくり顔を上げる。
「次は、お前の話を聞く番だ」
理沙は何も答えなかった。
旧校舎の窓の外で、遠くから文化祭準備の笑い声が聞こえた。
その明るさは、この部屋には届かなかった。




