第7話 「楽しんでると言ったら?」
相関図が更新される。
未央の名前の下に、赤い線が現れる。
その線は、中央から斜め下の空白へ伸びていく。
空白だった場所に、ゆっくりと文字が浮かび上がった。
> 相沢芽衣
> 削除済み
その瞬間、教室中のスマホが一斉に暗転した。
次に表示されたのは、古い写真だった。
去年の文化祭準備中と思われる教室。
今と同じように、画用紙や段ボールが散らばっている。
その端に、一人の少女が写っていた。
小柄で、控えめな表情。
長い前髪の奥に、少し不安そうな目。
隣には早瀬凛。
少し離れたところに橘未央。
そして、白石理沙、宮野咲良、羽田千尋、黒川奏太、葛西悠真も写っている。
クラス写真というには、あまりにも不自然だった。
その少女だけが、まるで写真の中で薄くなっているように見える。
理沙がつぶやく
「芽衣……」
凛は画面を見ていなかった。
けれど、その頬はわずかに強張っていた。
透真は写真を見つめた。
削除済み。
それは相関図の表示であると同時に、このクラスが相沢芽衣にしたことの名前なのだろう。
そして、相沢芽衣の名前が表示されたことで、未央が背負っていた後悔も形を持ち始めた。
だが、まだわからない。
なぜ今なのか。
誰がこのゲームを始めたのか。
なぜ未央は消えたのか。
そのとき、透真のスマホだけが、短く震えた。
個別通知。
周囲の誰にも届いていない。
差出人は、同じ匿名アカウント。
透真は画面を開いた。
> 雨宮透真。
> 君は、救う側に立つ資格があるのか。
> それとも、拒絶を続けるのか。
透真の指が止まる。
続けて、相関図の一部が拡大表示された。
中央に未央。
そこから透真へ伸びる赤い線。
> 橘未央 → 雨宮透真
> 救済者 92%
そして、新しい文字が追加される。
> 雨宮透真 → 橘未央
> 拒絶 ??%
透真は画面を見下ろしたまま、しばらく動かなかった。
「雨宮くん?」
理沙の声がした。
透真はスマホの画面を閉じる。
透真がスマホを閉じたとき、瀬戸真琴と目が合った。
瀬戸はすぐに視線を逸らした。
けれどその目には、怯えではなく、怒りに近いものがあったようにみえた。
理沙に声を掛けられたこともあり、そこまで気にしている余裕はなかった。
「何でもない」
「今、何か届いた?」
「何でもないって言った」
理沙の目が細くなる。
透真は彼女から視線を逸らした。
救済者。
拒絶。
くだらない。
そう思った。
未央が自分に何を見ていたのかなんて知らない。
自分が未央をどう拒んだのかなんて、今さら掘り返す必要はない。
だが、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚が残った。
あれは中学の頃だった。
今より少しだけ背が低く、今よりもっと人を信じるふりが下手だった頃。
教室の隅で一人でいた透真に、未央が声をかけたことがある。
同じ中学の同じ学年。
クラスは違った。
話したこともほとんどなかった。
それなのに未央は、何かの委員会で一緒になったとき、透真に笑いかけた。
『雨宮くんって、字きれいだよね』
たぶん、未央は覚えていない。
誰にでも言うような、なんでもない一言だったから。
けれど、その時の透真は腹が立った。
なぜ、自分のことを知っているような顔をするのか?
なぜ、誰にでも配るような優しさを、自分にも向けるのか?
なぜ、何も知らないくせに踏み込んでくるのか?
だから透真は言った。
『そういうの、いらない』
未央は少し驚いた顔をして、でも怒らずに笑った。
『そっか。ごめんね』
その「ごめんね」が、また嫌だった。
責められたほうが楽だった。
嫌な奴だと言われたほうがよかった。
未央は怒らない。
傷ついた顔をしても、すぐに自分のせいにする。
だから、透真のほうが悪者になる。
あのときから、透真は未央が少し苦手だった。
優しい人間は、ずるい。
誰かを救った顔をする。
救えなかったときは、自分が傷ついた顔をする。
けれど、救われなかった側のことまでは背負わない。
透真はそう思っていた。
今でも、完全には間違っていないと思っている。
「雨宮くん」
もう一度、理沙が呼んだ。
透真は顔を上げる。
「さっきの個別通知、見せて」
「嫌だ」
「未央に関係あるかもしれない」
「俺にも関係ある」
「なら、なおさら見せて」
理沙は引かなかった。
透真は彼女を見た。
教室の他の生徒たちは、相沢芽衣の写真に動揺している。
咲良は泣きそうな顔をしている。
葛西は何かを考え込んでいる。
羽田は写真の保存を試みている。
凛は窓の外を見続けている。
その中で、理沙だけが透真を見ていた。
「白石」
透真は言った。
「お前、未央の親友なんだよな」
理沙の目がわずかに揺れる。
「そうだけど」
「相関図は疑問符をつけてた」
「だから何」
「お前、本当に未央のこと全部知ってるのか」
理沙の表情が冷たくなる。
「全部知ってる人なんていない」
「なら、俺のことを知ろうとする前に、自分が知らなかったことを考えたほうがいい」
「……あなた、最低ね」
「よく言われる」
「誰に」
「誰にも」
同じやりとり。
だが今度は、理沙は笑わなかった。
「私は未央を助けたい」
「知ってる」
「あなたは?」
透真は答えなかった。
理沙はさらに踏み込む。
「あなたは未央を助けたいの?それとも、この状況を楽しんでるだけ?」
その問いは、まっすぐだった。
そして、痛いところを正確に突いていた。
透真は自分の中を見た。
未央が心配か。
助けたいか。
怖いか。
怒っているか。
どれも、少しずつ違う。
相関図が届いたとき、透真は恐怖よりも先に納得した。
クラスが壊れていくのを見て、どこか冷静に観察していた。
誰が嘘をつき、誰が怯え、誰が誰を疑うのか。
そのすべてを、見たいと思った。
それは否定できない。
「楽しんでると言ったら?」
透真が聞く。
理沙の目に、軽蔑が浮かんだ。
「あなたを信用しない」
「賢いな」
「でも、利用はする」
透真は少しだけ眉を上げた。
理沙は続ける。
「あなたは性格が悪い。人を傷つける言い方をする。未央のことも、本気で心配してるようには見えない」
「ずいぶん言うな」
「でも、見てる。私たちが見落としているものを見てる。だから未央を探すために必要なら、あなたを使う」
透真は、少しだけ笑った。
その言い方は嫌いではなかった。
綺麗ごとを並べるより、ずっと信用できる。
「協力しろってことか」
「そう」
「俺を疑いながら?」
「当然」
「俺もお前を疑ってる」
「それでいい」
理沙はそう言い切った。
「信用できない者同士でも、情報は共有できる」
透真は彼女を見た。
未央の親友。
独占欲。
疑問符。
何かを隠している目。
白石理沙は、たぶん安全な人間ではない。
だが、役に立つ。
そしてこのゲームでは、善人かどうかより役に立つかどうかのほうが重要だった。
「いいだろ」
透真は言った。
「ただし、俺もお前を使う」
「構わない」
「未央が謝りたかった相手は相沢芽衣。じゃあ次に必要なのは、未央と相沢芽衣の間に何があったかだ」
理沙は頷く。
「去年の資料を探す。文化祭の記録、席替え表、委員会の名簿。芽衣さんが転校する前後に何があったか」
「旧校舎も調べる」
「今から?」
「未央がそこへ向かったなら、確認する価値はある」
理沙は一瞬迷った。
だが、すぐに頷いた。
「行く」
その返事は早かった。
透真は、教室の中を見回した。
「羽田。去年の文化祭写真、共有できるか」
「できるけど、今?」
「今」
「……わかった」
「葛西。去年の席替え表か委員記録、持ってるか」
葛西は少し驚いたように顔を上げた。
「たぶん、文化祭実行委員のファイルに残ってる」
「探せ」
「命令するな」
「じゃあお願いする」
「言い方だけ変えても同じだろ」
葛西はそう言いながらも、棚のほうへ向かった。
「早瀬」
透真が呼ぶと、凛は窓から視線を戻した。
「旧校舎の階段まで案内してくれ」
「嫌」
「未央が通った道を知ってるのはお前だけだ」
「だから嫌」
「未央を助ける気はないのか?」
凛の目が鋭くなる。
その反応だけで十分だった。
透真は言い直す。
「未央を許す必要はない。でも、未央が死ぬのを見たいわけじゃないんだろ」
凛はしばらく黙っていた。
やがて、小さく舌打ちするように息を吐く。
「……階段までなら」
「十分だ」
咲良が不安そうに声を上げる。
「私たちは?」
「ここにいろ」
透真が言うと、咲良はむっとした顔をした。
「なんで雨宮くんに決められなきゃいけないの」
「動いても邪魔だから」
「ほんと最低」
「必要なら呼ぶ」
「何それ」
咲良は怒っている。
だが、その怒りには少し安心も混じっていた。
自分で動かなくて済む。
自分が過去を掘り返さなくて済む。
その安心を、透真は見た。
黒川が立ち上がる。
「俺も行く」
「いらない」
「なんでだよ」
「声が大きい」
「喧嘩売ってんのか」
「今は買う時間がない」
黒川は不満そうだったが、理沙が口を挟んだ。
「黒川くんは教室にいて。人が減りすぎると、ここで何か起きたとき困る」
「……白石が言うなら」
黒川は渋々座った。
透真はその反応も覚えておく。
黒川は透真の指示には従わない。
理沙の言葉なら、少し考える。
人間関係は、どんな場面でも出る。
教室を出る直前、透真のスマホがもう一度震えた。
画面を見る。
匿名アカウントではない。
相関図の通知だった。
未央から透真への線が、また表示される。
> 救済者 92%
その下に、小さく文字が追加されていた。
> 救うとは、何をすること?
透真は画面を閉じた。
――救う。
そんな言葉は嫌いだった。
誰かを救うという言葉には、いつも上から見下ろすような響きがある。
救う側と救われる側。
強い者と弱い者。
正しい者と間違えた者。
未央は、たぶんその線引きをしたつもりはなかった。
だからこそ、人を傷つけたのだろう。
透真は教室の扉に手をかけた。
廊下の向こうに、旧校舎へ続く薄暗い階段が見える。
理沙が隣に立つ。
凛が少し離れて続く。
信用できない協力者。
未央の親友。
未央を嫌っていた少女。
奇妙な組み合わせだった。
「雨宮くん」
理沙が低く言う。
「何」
「さっきの問い、まだ答えてもらってない」
「何の」
「あなたは未央を助けたいのか、それとも楽しんでるだけなのか」
透真は廊下の先を見た。
答えは、まだわからなかった。
だから、正直に言った。
「最初は楽しんでいた。今は――どっちでもない」
「じゃあ何」
「この相関図を作ったやつが、何を暴きたいのか知りたい」
理沙はしばらく透真を見ていた。
「最低」
「知ってる」
「でも、今はそれでいい」
理沙は前を向いた。
「未央に近づけるなら」
透真は何も返さなかった。
廊下に出ると、教室のざわめきが少し遠くなった。
壁には、文化祭のポスターが貼られている。
明るい色。
笑顔のイラスト。
手書きの文字。
その下を、三人は黙って歩いた。
文化祭まで、あと三日。
けれど二年三組はもう、文化祭の前に戻れないところまで来ていた。
透真はスマホをポケットにしまい、旧校舎へ続く廊下の暗がりを見た。
友情相関図。
自分に向けられた「救済者」という不愉快な線。
その線をたどれば、何かに辿り着くのだろうか。
未央の居場所か。
相関図の主催者か。
それとも、自分が拒んだものか。
透真にはまだわからない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
このゲームは、未央を探すだけでは終わらない。
――これは、相関図を使って二年三組が消した名前を、もう一度戻すためのゲームだ。




