第4話 「嫌いだったよ」
第一問。
> 橘未央が最後に会った人物は誰か。
> ヒント。
> その人物は、相関図上では橘未央と繋がっていない。
その文章が表示された瞬間、二年三組の教室は、また別の種類の沈黙に包まれた。
未央が消えた。
友情相関図が届いた。
七十二時間以内に“本当の親友”を答えろと脅された。
そこまでは、まだ大きすぎる恐怖だった。
現実感がなかった。
けれど「第一問」という言葉が出た途端、それは形を持った。
答えなければいけない。
間違えてはいけない。
誰かを疑わなければいけない。
その事実が、教室にいる全員の首筋に、冷たい指を添えた。
「最後に会った人物って……」
宮野咲良が、かすれた声で言った。
「さっきまで教室にいたじゃん。私たち、みんな会ってたじゃん」
「たぶん、教室を出たあとに会った人のことだろ」
葛西悠真が答える。
声は真面目だったが、いつもより少し早口だった。
「未央がいつ教室を出たのかを確認する必要がある。誰か見てないか?」
誰もすぐには答えなかった。
当然だった。
さっきまで、教室は文化祭準備で騒がしかった。
誰かが出入りしても、気にする者はいなかった。
段ボールを運ぶ者。
画用紙を取りに行く者。
廊下に出て電話をする者。
買い出しリストを確認しに行く者。
スマホのカメラで撮影を行う者。
その中で、未央がいついなくなったのか。
誰も、正確には見ていない。
「未央、最後に誰と話してた?」
黒川奏太が声を上げた。
「咲良じゃね?」
「え、私?」
咲良が顔を上げる。
「星の飾りの話はしたけど、そのあと未央は黒板のほう行ったよ」
「俺は買い出しの話した」
黒川が言う。
「でも、そのあと白石と話してたよな?」
視線が白石理沙に向く。
理沙はスマホから顔を上げた。
「話した。会計と買い出しの確認だけ」
「そのあと?」
「未央は、瀬戸くんにライトのことをお礼言ってた」
瀬戸真琴の肩が、わずかに跳ねた。
教室の後ろ。積まれた段ボールの近くに立っていた瀬戸は、急に注目されてうつむく。
「……お礼、言われただけ」
小さな声だった。
「それで終わり?」
黒川が聞く。
「終わり」
「ほんとかよ」
「黒川」
葛西がたしなめる。
「決めつけるな。順番に確認しよう」
「決めつけてねえよ。聞いてるだけだろ!」
黒川は苛立ったように言った。
透真は、自分の席に座ったまま教室全体を見ていた。
誰もが未央の最後の行動を思い出そうとしている。
しかし、その記憶は思ったより頼りない。
人は、見ていたつもりのものを見ていない。
そして、見ていないことを認めるのを嫌がる。
そういった曖昧な記憶を正当化しようとする。
「羽田」
葛西が羽田千尋を見る。
「誰か写真とか動画、撮ってなかったか?文化祭準備の」
「今探してる」
羽田は机にスマホを置き、片手で自分の端末、もう片手でクラスのグループアルバムを開いていた。
「咲良が星の飾り撮ってる。黒川くんたちが段ボール組んでる動画もある。あと、私が内装の進捗を撮ったやつ」
「未央は映ってる?」
「映ってる。十二時十二分の写真には窓際にいる。十二時十八分の動画だと黒板前。十二時二十一分の写真では……あれ、いない」
「じゃあ、その間か」
葛西が黒板に時間を書き出した。
十二時十二分。
未央、窓際。
十二時十八分。
未央、黒板前。
十二時二十一分。
未央、不在。
「三分の間に教室を出たってこと?」
咲良が言った。
「でも、三分って短くない?」
「出るだけなら短くない」
理沙が答える。
「問題は、出たあと誰に会ったか」
そこで、全員が再びスマホの相関図を見た。
ヒント。
> その人物は、相関図上では橘未央と繋がっていない。
「繋がってない人って、誰?」
誰かが言った。
羽田が指を動かす。
「未央ちゃんの周り、線が多すぎる。全員確認するの面倒……でも、主要な人とはだいたい繋がってる。咲良、理沙、黒川、葛西、瀬戸、凛、雨宮……」
そこで羽田は一瞬止まった。
「いや、雨宮は繋がってるっていうか、あの救済者の線があるし」
その言葉で、また視線が透真に集まる。
透真はそれを無視した。
「未央と繋がってないのは?」
「クラス全体で言えば何人かいる。普段ほとんど話さない人たち。でも、問題になるくらいなら、完全なモブじゃないと思う」
「モブって言い方やめろよ」
葛西が眉をひそめる。
「ごめん。でも、犯人がわざわざヒントにするなら、未央と接点がないと思われてる人って意味でしょ」
羽田は相関図を拡大した。
「……あれ」
「何?」
理沙が聞く。
「早瀬さん、未央ちゃんと繋がってない」
教室の空気が、わずかに揺れた。
早瀬凛。
教室の隅にいる彼女は、スマホを見ていなかった。
誰とも視線を合わせず、窓の外を見ている。
相関図が届いたあとも、ずっとそこにいる。
さきほど、透真が確認した相関図では、未央から凛へ「心配 82%」、凛から未央へ「憎悪 68%/救済願望 70%」という線があった。
しかし今、羽田の画面に映る全体図では、未央と凛の線が消えている。
透真は自分のスマホを開いた。
未央と凛の間に、線はない。
さっきまで見えたはずの線が、ない。
代わりに、凛の名前の周囲には薄いノイズのようなものがかかっていた。
「更新されたのか」
透真はつぶやいた。
「え?」
羽田が振り返る。
「さっきは線があった」
「見たの?」
「見た」
「どんな?」
「未央から凛へ、心配。凛から未央へ、憎悪と救済願望」
その言葉に、教室がざわついた。
咲良が目を見開く。
「憎悪って……」
「だから、今は消えてる」
透真は画面を見たまま言った。
「この相関図は固定じゃない。問題に合わせて、見せる情報を変えてる」
「そんなことできるのかよ」
黒川が言う。
「できるかどうかじゃなくて、実際にそうなってる」
透真は顔を上げ、凛を見た。
「早瀬」
凛は振り向かない。
教室の視線が、彼女に集まる。
「未央と最後に会ったのか」
透真が聞いた。
凛は少しだけ間を置いて、答えた。
「会ってない」
声は小さかったが、はっきりしていた。
「本当に?」
咲良が詰め寄る。
「会ってないって言ってる」
「でも相関図で繋がってないの、凛なんでしょ?ヒントに合ってるじゃん」
「だから何」
凛はようやく咲良を見た。
その目は、ひどく冷たかった。
「繋がってない人なんて他にもいるでしょ。私を疑いたいだけなら、そう言えば」
「疑いたいわけじゃ――」
「未央に助けてもらったくせに、とか言いたい?」
咲良が口を閉じる。
凛は笑わなかった。
「言えばいいよ。みんなそう思ってるんでしょ。未央は優しい。私は助けてもらった。だから私が未央を嫌うはずないって」
教室が静まる。
凛の言葉は、刃物のように薄く鋭かった。
「違うの?」
理沙が聞いた。
凛は理沙を見た。
「何が」
「あなたは未央を嫌っていたの?」
短い問い。
そこには焦りも怒りもあった。
だが、それ以上に知りたいという切実さがあった。
凛はすぐには答えなかった。
透真は、その沈黙を見ていた。
嘘をつくとき、人は必ずしも目を逸らすわけではない。
むしろ、目を逸らさないことで自分を保とうとする人間もいる。
凛は、目を逸らしていなかった。
ただ、答える言葉を選んでいた。
「嫌いだったよ」
凛は言った。
咲良が息を呑む。
「でも、死んでほしいとか消えてほしいとか、そういうのとは違う」
「じゃあ何」
黒川が言う。
「嫌いだけど、助けたいってやつ?意味わかんねえよ」
「わからなくていい」
凛は淡々と答える。
「私にも、よくわからないから」
透真は、ゆっくり立ち上がった。
教室の視線が彼に動く。
「早瀬。靴、見せて」
凛の眉がわずかに動いた。
「は?」
「靴」
「なんで」
「いいから」
「嫌」
「じゃあ、会ったんだな」
凛の目が細くなる。
「何?その決めつけ」
「決めつけじゃない。確認」
透真は席を離れ、凛のほうへ歩いた。
黒川が声を荒げる。
「おい雨宮、何してんだよ」
「見ればわかる」
透真は凛の前で足を止めた。
凛は逃げなかった。
ただ、不快そうに透真を見上げている。
透真は床を見た。
凛の上履きの側面。
白い布地の端に、淡い水色の汚れがついている。
――絵の具だ。
「それ、美術準備室の絵の具だろ」
凛は何も言わない。
透真は続けた。
「今日、内装係が使ってる絵の具は教室にある。青は濃い群青。水色は使ってない。美術準備室に置いてある古い水彩の色だ」
「それだけで私が未央と会ったことになるの?」
「ならない」
透真は言った。
「でも、未央のカーディガンにも同じ色がついてた」
「未央のカーディガン?」
理沙が反応する。
「今朝、未央が椅子にかけてたやつ。さっきなくなってた」
透真は黒板横の棚を指した。
「文化祭の写真を見ればわかる。十二時十八分の動画で、未央はそのカーディガンを持って教室を出ようとしている。袖の端に水色の汚れがある」
羽田がすぐに動画を開いた。
「待って。拡大する」
教室中が、羽田のスマホを覗き込んでいた。




