第3話 「未央と理沙って、親友だよね?」
黒川の周りでも、男子たちが気まずそうにしている。
「利用価値ありって、なかなかだな」
誰かが冗談っぽく言った。
黒川は笑った。
「いや、だから悪戯だって。真に受けんなよ」
「でも黒川、未央と仲いいしな」
「仲いいのと利用してるのは違うだろ」
「いや、文化祭の宣伝とか未央に頼んでたじゃん。未央が言うと女子動くし」
黒川の笑顔が、わずかに固くなった。
「お前、何が言いたいの?」
「別に」
たったそれだけの会話で、黒川の周囲にも薄い壁ができる。
葛西は葛西で、スマホを見たまま立ち尽くしていた。
彼の周囲には、こう表示されている。
> 葛西悠真 → 二年三組
> 責任感 88%
一見、悪い表示ではない。
だが、別の線もあった。
> 二年三組 → 葛西悠真
> 面倒な相手 47%
責任感。
面倒な相手。
どちらもたぶん、嘘ではない。
葛西はそれを見て、何か言おうとして、結局黙った。
透真は、自分の画面を指で動かした。
相関図は全体図だけでなく、人物ごとに拡大できるようだった。
悪趣味なほど丁寧に作られている。
咲良。
黒川。
葛西。
羽田。
瀬戸。
理沙。
凛。
それぞれの名前の周囲に、線と数値が広がっている。
試しに未央の周辺を拡大する。
中央に、橘未央。
未央から各人物へ向かう線は、意外なほど薄かった。
> 橘未央 → 宮野咲良
> 友達 58%
> 橘未央 → 黒川奏太
> 信頼 64%
> 橘未央 → 瀬戸真琴
> 親切 21%
> 橘未央 → 早瀬凛
> 心配 82%
未央に向かう線は濃い。
けれど、未央から伸びる線はどれもどこか薄い。
まるで、未央という人間が周囲からたくさんの感情を向けられながら、自分からは一定以上踏み込まないようにしているみたいだった。
その中で、一つだけ異様な表示があった。
> 橘未央 → 白石理沙
> 親友? 43%
疑問符。
透真は、その文字を見つめた。
親友。
誰もがそう思っていた二人。
未央と理沙。
理沙と未央。
なのに、相関図はそこに疑問符をつけている。
透真が顔を上げると、理沙も同じ表示を見ていた。
理沙の表情は動いていない。
けれど、画面を握る手に力が入り、爪の先が白くなっていた。
「……白石さん」
咲良が、理沙の画面を覗き込んだ。
そして、気づいた。
「親友、はてな……?」
その言葉は、教室の中に落ちた。
とても小さな声だったのに、なぜか全員に聞こえたような気がした。
理沙がゆっくりと咲良を見る。
「今、それを言う必要ある?」
「いや、だって……」
咲良は言い淀んだ。
さっきまで自分が責められる側だったのに、今度は理沙の弱点を見つけたことで、わずかに表情が変わった。
人は、自分が責められているとき、別の誰かの傷を見つけると安心する。
咲良はその安心に飛びつきかけていた。
「未央と理沙って、親友だよね?」
誰かが言った。
それが誰の声だったのか、透真にはわからなかった。
「ずっと一緒にいたじゃん」
「でも未央からは四十三って……」
「しかも疑問符」
「やめなよ」
羽田千尋が低く言った。
彼女はスマホを握ったまま、周囲を睨むように見た。
「今それで白石さん責めても、未央ちゃん見つからないでしょ」
「責めてないし」
「言ってること、そう聞こえる」
羽田の声は強かった。
けれど透真には、羽田が本当に理沙を庇っているのか、それともこの場の情報が混乱しすぎるのを嫌っているのか、判断がつかなかった。
羽田は情報に強い。
SNSにも、噂にも、グループLINEにも詳しい。
だからこそ、自分が情報を扱う側ではなく、情報に扱われる側に回ることを嫌っているのかもしれない。
理沙は、静かに息を吐いた。
「親友かどうかを、こんな図に決められるつもりはない」
その声は、教室中に届いた。
「私は未央を探す。疑いたいなら疑えばいい。でも今は、未央を見つけることを優先して」
強い言葉だった。
けれど透真には、その言葉が少しだけ空洞に聞こえた。
――親友かどうかを、こんな図に決められるつもりはない。
普通なら正しい。
でも、もし本人が一番その疑問符を恐れているなら?
その言葉は、誰に向けているのだろう。
周囲が黙ったあと、早瀬凛が小さく笑った。
笑った、といっても楽しそうなものではない。
教室の隅。
普段からあまり誰とも話さない女子。
黒髪を肩のあたりで切りそろえ、いつも少し眠そうな目をしている。
文化祭準備でも、誰かに言われた作業を淡々とこなしていた。
その凛が、ぽつりと言った。
「親友って、そんなに大事なんだ」
理沙が凛を見る。
教室の空気がまた一段、冷える。
「何が言いたいの」
「別に」
凛は視線を外した。
「未央って、誰にでも優しいから。親友だと思ってる人、たくさんいそうだなって思っただけ」
咲良が顔をしかめる。
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味」
「凛ってさ、未央に何かあるたびそういう言い方するよね」
「そう?」
「未央に助けてもらったことあるくせに」
その瞬間、凛の表情が消えた。
透真は、わずかに目を細めた。
今のは踏んだ――咲良は踏んではいけない場所を踏んだ。
「助けてもらった」
凛が繰り返す。
声は静かだった。
「そう見えてたんだ」
「だって、実際そうでしょ。未央が声かけてくれなかったら、凛ずっと一人だったじゃん」
「咲良」
理沙が止めようとした。
だが、凛はそれより早く言った。
「一人に戻してくれればよかったのに」
教室が静まり返る。
咲良は一瞬、意味がわからないという顔をした。
「……は?」
「なんでもない」
凛はスマホをポケットにしまった。
「未央を探すんでしょ。だったら、こんなことで騒いでる場合じゃないんじゃない」
正論だった。
けれどその正論は葛西のものとは違った。
正しさの形をしていながら、どこか投げやりで――冷たい。
透真は凛の背中を見た。
未央から凛へ伸びていた線。
> 心配 82%
そして、凛から未央へ伸びていた線。
透真はもう一度画面を拡大する。
> 早瀬凛 → 橘未央
> 憎悪 68%
> 救済願望 70%
相反する二つの感情。
憎悪。
救済願望。
透真は心の中でその言葉を転がした。
未央は凛を心配していた。
凛は未央を憎んでいる。
同時に、救いたいとも思っている。
わかりやすい関係など、一つもない。
いや。
わかりやすいと思い込んでいた関係が、今、順番に剥がされている。
「この相関図、誰が作ったんだろ」
羽田がつぶやいた。
彼女はスマホを操作しながら、画面を睨んでいる。
「外部リンクじゃない。アプリでもない。画像に見えるけど、更新されてる。ブラウザ上の何か……?でもURLが変」
「特定できないのか?」
黒川が聞いた。
「そんな簡単にできたら苦労しないよ」
羽田は苛立ったように答えた。
「でも、これ作った人、クラスのことかなり知ってる。適当に書いたにしては、反応が合いすぎてる」
「合ってない!」
咲良が叫んだ。
羽田は一瞬だけ咲良を見る。
「全部が正しいとは言ってない。でも、全部が嘘なら、ここまで荒れない」
その言葉に、また教室が沈黙した。
透真は羽田の評価を少しだけ改めた。
彼女は情報を扱う人間だ。
だから、情報が本当か嘘かより、情報によって人がどう動くかを見ている。
その点では、透真に少し似ている。
もっとも、透真はそれを口に出さない。
羽田は、口に出してしまう。
――その違いは大きい。
「雨宮」
突然、黒川が透真の名前を呼んだ。
教室中の視線が、また透真に集まる。
透真は面倒だと思いながら顔を上げた。
「お前、さっきから黙ってるけど」
「黙ってたら悪いのか」
「そうじゃなくて。お前の線、何なんだよ」
黒川の言う「線」が何を指しているのか、聞かなくてもわかった。
> 橘未央 → 雨宮透真
> 救済者 92%
あの表示。
咲良も、羽田も、葛西も、凛も、理沙も、透真を見る。
教室の中にいる誰もが、答えを待っている。
未央が消えた。
相関図の中心に未央がいる。
そして未央から透真に、救済者という線が伸びている。
疑うには十分だった。
「もう一度聞くけどさ」
少しの間。
「未央と何かあったのか?」
黒川が続ける。
「特にない」
「特にないのに救済者92%って出るのかよ」
「俺に聞くな。作ったやつに聞け」
「でも、未央からお前に向かってる線だろ」
「だから?」
透真の声は、自分でも少し冷たいと思うほど平坦だった。
黒川の眉が動く。
「お前、未央がいなくなってるのに、なんでそんな落ち着いてんの?」
教室の空気が、透真に向かって傾く。
疑い。
不安。
不満。
自分では抱えきれない恐怖を、誰か一人に押しつけたいという空気。
他者に疑惑を向けることで自分だけは安全圏に行きたい、そんな気持ち。
わかりやすい。
未央の失踪は怖い。
相関図も怖い。
誰が犯人かわからないのも怖い。
だから、目の前に怪しい線を持つ人間がいれば、そこに全部向けたくなる。
透真は立ち上がらなかった。
机に肘をつき、黒川を見た。
「落ち着いてるように見えるなら、お前が騒ぎすぎなんだろ」
「は?」
「未央が心配なら、俺を睨んでる時間が無駄だ」
黒川の顔が険しくなる。
「なんだよ、その言い方」
「そのまま」
空気がさらに悪くなる。
葛西が間に入ろうとした。
「二人とも、今は――」
「雨宮くん」
理沙が透真を呼んだ。
透真は彼女を見る。
理沙の目は、まっすぐだった。
怒っているわけではない。
怯えているわけでもない。
ただ、探っている。
「未央と、本当に何もなかったの?」
「何もない」
「救済者って表示に心当たりは?」
「ない」
「嘘は?」
「ついてない」
「本当に?」
しつこい問答に透真はじっと理沙を睨みつける。
「仮に俺と未央に何かあったとして、お前たちに話す義務はあるのか?」
実際のところ、過去に未央と何も無かったわけではなかった。
救済者92%の表示も数字はともかく覚えはある。
だが、本人達しか知らないはずの出来事に対して、正直に答える義務は無い。
否――この場で正直に答えたところで信じてもらえる可能性は低い。
「なるほど……ね」
それを聞いた理沙は数秒、透真を見つめた。
その視線には、信じたいという甘さはなかった。
疑いたいという雑さもなかった。
ただ、判断しようとしている。
透真は少しだけ不快になった。
人を見る側でいるのは慣れている。
だが、見られる側になるのは嫌いだった。
「……今は保留にする」
理沙は言った。
「保留?」
「あなたを疑ってる。でも、未央を探すのに必要なら話を聞く」
「合理的だな」
「感情で動いて未央を見失いたくないだけ」
その言葉に、透真は少しだけ口元を歪めた。
理沙は、たぶん本気でそう思っている。
けれど本当に感情で動いていない人間なら、未央から自分に向けられた「親友?」の疑問符を見た瞬間、あんな顔はしない。
透真は何も言わなかった。
そのとき、スマホがまた震えた。
匿名アカウントからの新しい通知。
教室中が一斉に画面を見る。
> 友情相関図は、まだ完成していない。
> 君たちが答えを出すたび、線は更新される。
少し間を置いて、次の文章が表示された。
> 第一問。
> 橘未央が最後に会った人物は誰か。
教室がざわつく。
「最後に会った人物……?」
「そんなの、さっきまで教室にいたんだから全員じゃないの?」
「いや、消える直前ってことじゃない?」
「誰か見てないの?」
メッセージは続いた。
> ヒント。
> その人物は、相関図上では橘未央と繋がっていない。
透真は画面を見つめた。
未央と繋がっていない人物。
相関図には、未央を中心に大量の線が伸びている。
友達、信頼、心配、嫉妬、執着、救済者。
線が多すぎるほど多い。
だが、繋がっていない人物がいる。
それはつまり、未央と表向きには関係がない人物。
あるいは、誰にも気づかれていない接点を持つ人物。
教室の中で、また疑いが広がっていく。
咲良が未央の友人グループを見る。
黒川が男子たちを見る。
葛西が出席表を見る。
羽田が相関図を拡大する。
理沙が画面を睨む。
透真は、教室全体を見た。
誰が焦っているか。
誰が考えているふりをしているか。
誰が自分の名前を探しているか。
誰が未央の心配より、自分が疑われないことを優先しているか。
――そして、誰が動かないか。
早瀬凛は教室の隅に立ったまま、スマホを見ていなかった。
透真はそのことを覚えておく。
カウントダウンは続いている。
> 71:36:02
七十二時間は、長いようで短い。
そしてこの教室は、まだ一問目を前にしただけで、もう壊れ始めていた。
透真は、黒板に貼られた黄色い星の飾りを見た。
それは未央が選んだ星で、未央が消えたあとも、何も知らない顔でそこに残っている星だった。
彼は静かにスマホを握り直した。
未央を救いたいかと聞かれれば、そこまでの興味は無い。
けれど、この相関図が暴こうとしているものには興味があった。
誰が嘘をついているのか。
誰が未央を隠しているのか。
誰がこのクラスの友情を、一番信じていなかったのか。
なぜ、友情相関図を作ったのか。
解き明かしたい。追い詰めたい。楽しみたい。
そして友情という名で塗り固められた、このクラスが相関図を通して、どこに行きつくのかを見届けたい。
その気持ちだけが透真を沸き立たせていた。
透真は、そっと呟く。
「……始めるか」
果たして、人を信じられなくなっていた少年が行きつく先はどこなのか――。




