第34話 友情相関図 -回答-
最終問題。
橘未央の本当の親友は誰か。
それは、一人を選ぶための問題ではなかった。
一人を選ばないために、一度だけ一人を選ばせようとする問題だった。
透真は、桃井から瀬戸へ視線を移した。
「でも、桃井一人の暴走じゃない」
桃井は答えない。
瀬戸は、未央の席を見つめたまま固まっていた。
「瀬戸」
透真が呼ぶと、瀬戸の肩が震えた。
「お前だな」
教室中の視線が瀬戸へ向かう。
瀬戸は顔を上げた。
その目は、泣きそうで、怒っていて、そしてどこか諦めていた。
「……何が」
「ゲームを終わらせなかった人物」
「違う」
「桃井に鍵を閉めさせたのも、お前だ」
「違う!」
瀬戸が叫ぶ。
しかしその否定は、強すぎた。
透真は続ける。
「お前は未央が理沙と計画していたことを知っていた。未央が旧体育倉庫で揺れているのを見ていた。未央がやめようとしているのも知った」
「知らない」
「未央がお前に相談したんだろ」
瀬戸の顔が歪む。
「未央さんは……」
声が詰まる。
「未央さんは、俺にだけ言ってくれた」
その言葉で、答えは出た。
瀬戸は、未央に相談された。
理沙でもなく、凛でもなく、咲良でもなく、自分に。
その事実が、彼にとって特別すぎたのだ。
「未央さんは、もうやめたいって言った。みんなを傷つけるかもしれないって。理沙さんにも言えないって。俺に、どうしたらいいかなって」
瀬戸の声は震えていた。
「俺、嬉しかった」
誰も言葉を挟めなかった。
「未央さんが、俺にだけ言ってくれた。俺を見てくれた。だから……」
「だから、やめさせなかった」
透真が言う。
瀬戸は首を振る。
「違う。俺は、未央さんを守りたかった」
「何から」
「みんなから!」
瀬戸の叫びが教室に響いた。
「未央さんは、いつもみんなに使われてた!理沙さんは親友って言って縛って、凛は未央さんを責めて、咲良は困ったら未央さんに頼って、葛西はクラスの空気を未央さんに任せて、黒川は未央さんに人が集まっているときだけ近づいて、先生まで未央さんに任せて!みんな、未央さんが優しいからって甘えてた!」
理沙が顔を伏せる。
咲良も、葛西も、黒川も、榊原でさえも、何も言えない。
瀬戸の言葉は歪んでいる。
だが、完全な嘘ではない。
「だから、未央さんを閉じ込めたのか」
透真が聞く。
「閉じ込めたんじゃない」
瀬戸は言った。
「離したんだよ。みんなから」
その言葉は、ひどく静かだった。
教室中が凍った。
「桃井には、未央さんが逃げないようにしてほしいって頼んだ。ゲームも、終わらせないでって言った。みんなが本当に自分のしたことを認めるまで、未央さんを返しちゃいけないって」
「それが守ることだと思ったのか」
透真が問う。
瀬戸は、透真を睨んだ。
「お前ならわかるだろ」
「何が」
「優しくされた人間が、どれだけそれに縋るか」
透真は黙った。
瀬戸は続ける。
「雨宮だって、未央さんの優しさを拒んだだけで気にしてたんだろ!だからずっと見てたんだろ。俺と同じだ!」
「違う」
「違わない!!」
瀬戸が叫ぶ。
「未央さんは、誰にでも優しい。だから誰のものにもならない。だったら、みんなから離すしかないだろ!」
「それは友情じゃない」
透真は言った。
声は、思ったより静かだった。
「お前が傷つきたくなかっただけだ」
瀬戸の顔が歪む。
「……お前に何がわかる」
「わかる」
透真は言った。
「俺も傷つきたくなかった。だから誰も信じなかった。見ているだけでいようとした」
瀬戸は黙る。
「でも、それで誰かを閉じ込めていい理由にはならない」
瀬戸は、唇を震わせた。
反論は出てこなかった。
つまり、この相関図ゲームの構図は、こうだったのだ。
発端:白石理沙
計画者:橘未央
制作者:桃井紗季
介入者:瀬戸真琴
――とても歪んでいる。
計画者の意図していた物語から大きく外れてしまった。
スマホが震える。
最終問題の画面が更新される。
> では、最終問題に答えなさい。
> 橘未央の本当の親友は誰か。
教室は、もう誰も騒がなかった。
――真相は出た。
理沙が始めた。
元々は未央が計画していた。
桃井が仕組みを作り、瀬戸が暴走させた。
だが、それでも最後の問いは残っている。
透真は、スマホの回答欄を見た。
誰か一人の名前を入れる欄。
彼は、そこに文字を打ち始めた。
理沙が言う。
「雨宮くん」
「大丈夫だ」
「誰を入れるの」
透真は答えなかった。
入力欄には、こう打った。
> その問いが間違っている
送信。
画面が黒くなった。
数秒。
そして表示された文字。
> 不正解。
教室中が息を呑む。
理沙が叫ぶ。
「雨宮くん!」
しかし透真は動じなかった。
すぐに次の文章が表示される。
> 一人に決めなさい。
> 橘未央の本当の親友は誰か。
「やっぱり、一人を入れないと駄目なんじゃ……」
咲良が不安そうに言った。
「違う」
透真は言った。
「“問いが間違っている”だけじゃ足りないんだ」
桃井が、かすかに息を呑む。
透真は続けた。
「否定するだけなら簡単だ。親友を一人に決めるのは間違ってる。そんなの、今なら誰でも言える。でも、それだけじゃ何も引き受けてない」
透真は教室を見回す。
「この相関図は、誰か一人を答えさせて終わらせようとしてきた。俺たちはそれに乗ってきた。早瀬を答えにして、相沢を答えにして、葛西を答えにして、瀬戸を答えにして、桃井を答えにして、榊原を答えにした」
誰も反論しない。
「でも最後は違う。誰か一人の名前じゃなく、自分の線を出すしかない」
透真はもう一度入力欄を開いた。
今度は、理沙が彼の隣に立った。
「私も送る」
透真は彼女を見る。
理沙は震える指で、自分のスマホに文字を打つ。
> 私は未央の親友でいたかった。
> でも、未央を私だけのものにはしない。
送信。
画面は黒くならない。
次に、凛がスマホを開く。
> 私は未央をまだ許していない。
> でも、未央が芽衣を忘れていなかったことは知っている。
送信。
咲良が続く。
> 私は未央に甘えていた。
> でも、今度は未央に任せない。
田辺も震える指で打つ。
> 私は誰かの便利な友達じゃない。
> でも、咲良ちゃんともう一度話したい。
葛西。
> 俺は正しいことを言うだけで逃げていた。
> でも、もう沈黙を正しさにしない。
羽田。
> 私は記録と拡散の違いをわかっていなかった。
> もう誰かの傷を面白がらない。
黒川。
> 俺は無関心だった。
> でも、無関心も線を切ることだと認める。
桃井。
> 私は見てもらえなかったことを理由に、人を閉じ込めた。
> 記録するだけでは、誰も救えなかった。
瀬戸は、長くスマホを見つめていた。
やがて、打った。
> 未央さんを守りたかった。
> でも、閉じ込めることは守ることじゃなかった。
最後に、榊原。
> 私は生徒に任せすぎた。
> 見るべき線を、見なかった。
全員の送信が終わった瞬間、桃井の手元のスマホが震えた。
桃井は何も操作していない。
それでも、教室中のスマホが一斉に震えた。
相関図が表示される。
未央を中心に、無数の線が伸びている。
理沙へ。
凛へ。
咲良へ。
田辺へ。
瀬戸へ。
桃井へ。
葛西へ。
羽田へ。
黒川へ。
榊原へ。
透真へ。
そして、薄く、相沢芽衣へ。
線の上に書かれていたラベルが、一つずつ消えていく。
親友?
独占欲。
嫉妬。
依存。
支配。
拒絶。
沈黙。
拡散。
無関心。
救済失敗。
救済者。
すべてが消える。
数値も消える。
線だけが残る。
そして、最後に画面に文字が表示された。
> 正解。
誰も声を出せなかった。
続けて、最後の文章。
> 本当の親友は、一人に決めるものではない。
> 友情相関図は、これで終了します。
その瞬間、全員のスマホから相関図の画面が消えた。
ただのホーム画面に戻る。
通知もない。
カウントダウンもない。
線もない。
終わった。
いや、終わらせた。
教室の中に、長い沈黙が落ちる。
その沈黙は、これまでのような恐怖ではなかった。
誰かが泣き出した。
咲良だった。
それをきっかけに、田辺も泣いた。
理沙は未央の席に手を置き、声を殺して泣いていた。
凛は窓の外を見ていたが、その肩は小さく震えていた。
瀬戸は膝から崩れ落ちた。
桃井は、机に座ったまま顔を覆っている。
榊原は、何も言わずに頭を下げた。
透真は、黒板を見た。
そこには、まだ大きく書かれている。
友情相関図。
文化祭の飾りの下に、事件の時系列と一緒に残ったその文字。
透真はチョークを手に取り、その下に一本だけ線を引いた。
そして、小さく書き足す。
――誰か一人を選ばないこと。
それが、今回の答えだった。
保健室の扉が開いたのは、その少し後だった。
未央が、保健の先生に支えられて立っていた。
顔色はまだ悪い。
けれど、意識ははっきりしているようだった。
理沙が駆け寄る。
「未央!」
未央は理沙を見て、そして教室全体を見た。
線の消えた相関図。
泣いている咲良と田辺。
立ち尽くす凛。
うつむく瀬戸。
顔を覆う桃井。
頭を下げる榊原。
黒板の文字。
未央は、かすかに笑おうとした。
けれど途中でやめた。
「……ごめん」
言いかけて、止まる。
透真が見ていたからではない。
理沙が、未央の手を握って首を振ったからだった。
「今は、謝らなくていい」
未央の目に涙が浮かんだ。
凛が一歩近づく。
「謝るなら、あとで聞く」
未央は凛を見る。
凛は続けた。
「今じゃない。私がちゃんと聞けるときにして」
未央は、小さく頷いた。
「うん」
瀬戸が震える声で言った。
「未央さん……俺……」
未央は瀬戸を見る。
瀬戸は何も言えなくなった。
未央は、少しだけ目を伏せる。
「あとで、話そう」
その言葉は、優しさだった。
けれど、以前のように全部を受け止める優しさではなかった。
約束をして、線を引く優しさだった。
透真はそれを見ていた。
未央は、少しだけ変わったのかもしれない。
理沙も。
凛も。
咲良も。
田辺も。
瀬戸も。
桃井も。
葛西も。
羽田も。
黒川も。
榊原も。
そして、自分も。
未央が透真を見る。
「雨宮くん」
「何」
「ありがとう」
透真は少しだけ顔をしかめた。
「俺一人じゃないって言っただろ」
「うん」
未央は頷いた。
「でも、ありがとう」
透真は返事をしなかった。
その代わり、窓の外を見た。
文化祭まで、あと一日。
二年三組の星空カフェは、もう予定通りにはできないだろう。
でも、もしかしたら。
このクラスは初めて、本当の準備を始められるのかもしれない。
――誰かを中心に置くのではなく。
――誰かを一人に決めるのでもなく。
――それぞれの線を、自分で引き直すための準備を。
黒板の「友情相関図」という文字の下で、黄色い星の飾りが小さく揺れていた。




