第33話 「このゲームで一番優しい仕掛けだよね」
「第4問から先は?」
透真が聞いた。
桃井はすぐには答えなかった。
古い相関図の紙を見る。
去年の写真を見る。
そして、机の上に置かれた割れた芽衣のスマホを見る。
それからようやく、桃井は口を開いた。
「……私が足した」
教室の空気が、もう一段冷たくなった。
「残っていた写真と動画、未央さんのメモ、理沙さんたちが作っていた相関図、それから私が去年から撮っていた記録を使って、問題を増やした。最初は、予約してあった三問で終わるはずだった。でも、瀬戸くんに言われた。終わらせないでほしいって」
「全部、その場で送っていたのか」
透真が聞くと、桃井は首を横に振った。
「違う。正解したかどうかと、時刻と、残り時間。条件を満たしたら、次の問題へ切り替わるようにしてあった」
桃井は手の中のスマホを見た。
「私がスマホに触らなくても進む。問題を追加したときに、表示条件も一緒に入れておいたから」
「だから、鍵を閉めた犯人だと分かったあとも問題が届いたんだ……」
羽田がつぶやく。
桃井は、小さく頷いた。
「毎回その場で送っていたら、すぐに私だとわかるから」
「そして、未央が戻ればゲームは終わるはずだった」
理沙が言った。
「未央は、最後に自分で出てきて、全部話すつもりだった。少なくとも、最初はそうだった」
桃井は、力なく頷いた。
「でも、未央さんが怖くなった。もうやめたいって言った。そこで終わらせればよかったのに……私は、終わらせなかった」
「なぜ」
透真が聞いた。
桃井は顔を上げない。
「私も、見てほしかったから」
その声は、ひどく小さかった。
「私はずっと記録してた。芽衣さんのことも、未央さんのことも、理沙さんのことも、クラスのことも。でも、誰も私を相関図には入れなかった。気が付いてもくれなかった。見ていたのは私なのに、見られていたのはいつも別の誰かだった」
桃井は、そこで一度唇を噛んだ。
「だから、瀬戸くんに言われたとき、止めなかった。未央さんを戻したら、また未央さんが全部受け止めて、みんながそれで終わった気になると思った。だから……終わらせなかった」
「相関図の数字も、あなたがつけた……」
羽田が聞いた。
その声は震えていた。
桃井は頷いた。
「全部が全部、私一人じゃない。最初は未央さんたちのメモがあった。去年の写真、チャット、文化祭の記録、私が撮っていた動画もあった。でも、数字は本当の測定じゃない」
「測定じゃない?」
葛西が聞き返す。
「そんなこと、できるわけない」
桃井は言った。
「嫉妬何パーセントとか、執着何パーセントとか、本当に測れるわけない。未央さんたちのメモと、私が見てきた反応をもとに、それっぽくつけただけ。正確な数字なんかじゃない」
そこで、桃井は顔を上げた。
「でも、全部が嘘でもなかった」
誰も、すぐには言い返せなかった。
嫉妬91%。
独占欲88%。
執着94%。
沈黙89%。
それらは正確な数値ではない。
だが、完全な嘘でもない。
だからこそ、クラスは揺れた。
だからこそ、誰も笑い飛ばせなかった。
友情相関図は、真実を測った装置ではなかった。
誰かの観察と、誰かの偏見と、誰かの記録を混ぜて作られた、暴力的な解釈だった。
「じゃあ、雨宮くんへの特別問題は?」
理沙が聞いた。
「雨宮くんが、最初に友達を信じなくなった理由。あれも、桃井さんが知っていたの?」
桃井は首を横に振った。
「知らなかった」
「じゃあ、どうして」
「未央さんのメモにあった」
透真の胸の奥が、わずかに冷える。
桃井は机の上の資料の中から、折りたたまれた小さなメモを一枚取り出した。
「未央さんは、相関図を作るとき、クラスメイトのことをいくつかメモしてた。責めるためじゃなくて、誰が何を抱えていそうか、考えるために」
桃井は、紙を見つめた。
「雨宮くんの欄には、こう書いてあった」
彼女は読み上げる。
「“人を信じないふりをしている。でも、本当は誰かに踏み込まれるのが怖いのかもしれない。昔、善意で傷ついたことがあるのかもしれない”」
透真は何も言わなかった。
胸の奥に、古い棘が触れた。
未央は、知らなかったはずだ。
透真が中学時代に何を感じたのか。
なぜ、誰にでも向けられる優しさを信じられなくなったのか。
なぜ、友達という言葉を避けるようになったのか。
知らなかった。
それでも、見ていた。
何も知らないくせに、見えているような言葉を残していた。
それが、不快だった。
そして、少しだけ怖かった。
「だから、私はあの問題を作った」
桃井は言った。
「答えを知っていたわけじゃない。雨宮くん本人に言わせるしかなかった。そういう問題にした」
「最低だな」
黒川が低く言った。
桃井は頷いた。
「うん」
否定しなかった。
「正解の判定も、全部あなたが出していたの?」
羽田が聞いた。
桃井は首を横に振った。
「途中までは、私が手動で出してた。第4問から先の問題も、ほとんど私が足した。でも、最後の問題だけは違う」
「最後の問題?」
理沙が聞き返す。
桃井は、スマホの画面を見た。
そこにはまだ、最終問題の文字が表示されている。
> 橘未央の本当の親友は誰か。
「これは、未央さんが最初に入れてた。途中の問題が全部終わったら、自動で表示されるように」
桃井は言った。
「本当の親友を一人に決める問題。けど、未央さんは本気で誰か一人の名前を答えさせたかったわけじゃない」
「どういう意味だ」
葛西が聞く。
「未央さんは、最初から一人を答えたら終わらないようにしてた」
桃井の声は、少しだけ震えていた。
「誰か一人の名前を入れたら不正解。けど、“問いが間違っている”だけでも終わらない。だって、それだけだと、ただ問題を否定しただけだから」
透真はスマホを見る。
自分が送ろうとしていた言葉。
その問いが間違っている。
それは、たぶん半分だけ正しい。
だが、それだけでは終わらない。
「じゃあ、どうすれば終わるはずだったんだ」
透真が聞くと、桃井は少しだけ目を伏せた。
「みんなが、自分の線を認めること」
教室の空気が、静かに沈む。
「厳密な判定じゃない。キーワードと人数だけ。誰か一人を親友として選ばせるんじゃなくて、それぞれが自分の線を見て、認めたら終わるようにしてあった」
「それが、未央のやりたかったこと?」
桃井はすぐには答えなかった。
「……たぶん」
その声は、初めて少し曖昧だった。
「未央さんが、本当は何を考えていたのかまでは知らない。でも、少なくとも、システムに残っていた条件はそうだった」
桃井は続けた。
「未央さんは、最後にみんなが自分の線を認めたら終わるようにしてた。誰が未央を親友だと思っていたのか。誰が未央に甘えていたのか。誰が芽衣さんを見なかったのか。誰が誰を縛っていたのか。それを自分の言葉で送ったときだけ、終了するように」
「そんな仕組み、本当に作れたの?」
羽田が聞いた。
桃井は小さく首を振る。
「厳密な判定じゃない。キーワードと人数だけ。最初はもっと簡単なものだった。未央さんは、最後に自分で出てきて、みんなの言葉を受け止めるつもりだったから。自動で全部判断する必要なんてなかった」
「でも未央は戻れなかった」
透真が言う。
桃井は頷いた。
「だから、私が操作しなくても、最後の仕掛けだけは残って動いた。私が途中で問題を足して、瀬戸くんが終わらせないようにして、全部めちゃくちゃにした。でも、この最後の条件だけは壊せなかった」
「壊せなかった?」
「……壊したくなかったのかもしれない」
桃井は、苦しそうに言った。
「だって、そこだけは未央さんの考えだったから。誰か一人を悪者にして終わらせない。誰か一人を親友にして終わらせない。そういう仕掛けだったから……」
そして、ここまで黙っていた理沙が呟く。
「このゲームで一番優しい仕掛けだよね」
教室中が静まり返った。




