第31話 「お前たちのルールでは終わらせない」
最終問題が表示されてから、二年三組の廊下には、奇妙な静けさが落ちていた。
> 最終問題。
> 橘未央の本当の親友は誰か。
> 制限時間 12:00:00
最初の問いに、すべてが戻ってきた。
橘未央を救いたければ、七十二時間以内に彼女の“本当の親友”を答えろ。
未央は見つかった。
第二備品庫から救出され、今は保健室で横になっている。
けれど、ゲームは終わっていない。
未央を見つければ終わると思っていた者もいた。
第二備品庫を開ければ、匿名アカウントは消えると思っていた者もいた。
鍵を閉めた桃井紗季を見つければ、それで終わると思っていた者もいた。
だが違った。
このゲームが本当に求めていたものは、未央の居場所ではなかった。
未央を中心にしたクラスの線。
相沢芽衣を消した過去の線。
白石理沙が消した線。
榊原直人が見なかった線。
そして、誰かを一人に決めようとする線。
それらすべてを、最後に一本の答えへ押し込もうとしている。
――本当の親友は誰か。
雨宮透真は、その問いを見て、はっきりと理解していた。
この問題に、誰か一人の名前で答えてはいけない。
廊下から教室へ戻った二年三組の面々は、誰もすぐに席へ着かなかった。
文化祭の飾りは、まだ中途半端に残っている。
黒板には、星空カフェの文字と、透真が書き足してきた事件の時系列が混ざっている。
机の上には、手書きの相関図。
去年の写真。
文化祭資料。
割れた芽衣のスマホ。
教室はもう、文化祭準備の場所ではなかった。
七十二時間のあいだに暴かれたものが、すべて散らばっている。
白石理沙は未央の席を見つめていた。
未央は今、ここにはいない。
保健室で休んでいる。
そのことが、逆にこの問いを残酷にしていた。
本人のいないところで、未央の“本当の親友”を決めろと言われている。
宮野咲良が、耐えきれないように言った。
「理沙でしょ」
その声は、少し震えていた。
「だって、未央の親友って言ったら理沙じゃん。ずっと一緒にいたし、未央も理沙のこと大事にしてたし」
理沙は返事をしなかった。
咲良は続ける。
「相関図が何て出してても、そんなの関係ないでしょ。親友?とか、独占欲とか、そんなので決められるものじゃないし、ましてや数値で計られるものでもないし」
「でも」
田辺麻衣が小さく言った。
「理沙さんだけって言われると……なんか、違う気もする」
咲良が田辺を見る。
田辺は慌てるように首をすくめたが、それでも言葉を続けた。
「未央ちゃんは、凛さんのこともすごく気にしてた。芽衣さんのことも。咲良ちゃんのことも。私のことも……たぶん」
最後の言葉は、とても小さかった。
咲良は反論しなかった。
早瀬凛は、窓際に立っていた。
ずっとそこが彼女の定位置だった。
けれど今の凛は、逃げるためにそこにいるわけではなかった。
「私は違う」
凛が言った。
全員が彼女を見る。
「未央の親友じゃない。私は未央を許してない。今もまだ、全部は許せない」
理沙が顔を上げる。
凛は理沙を見ない。
「でも、未央が芽衣のことを忘れてなかったのは知ってる。私のことも、見捨てようとしたわけじゃないのは……たぶん、知ってる」
「凛さん」
理沙が小さく呼ぶ。
凛は視線を逸らした。
「だからって、親友とは違う」
「じゃあ、誰なんだよ」
黒川奏太が苛立ったように言った。
「理沙じゃない、凛でもない、田辺でもない。相沢はもういない。俺でも瀬戸でもないだろ。だったら誰を答えるんだよ」
瀬戸真琴は、未央の席を見つめていた。
彼は、もう自分が答えだとは思っていないだろう。
未央に名前を呼ばれたこと。
優しくされたこと。
それを友情と呼びたかったこと。
第四問で暴かれた執着は、彼を深く傷つけた。
それでも彼は、ここに残っている。
「俺は」
瀬戸が口を開いた。
全員が少し驚いたように彼を見る。
「俺は、未央さんの親友じゃない」
彼は小さく言った。
「そんなの、わかってた。でも、わかりたくなかった」
教室は静かだった。
「未央さんは、俺に優しくしてくれた。でも、それは俺だけに向けたものじゃなかった。たぶん、それでよかったんだと思う。未央さんの優しさを、自分だけのものみたいに思ったから……俺は苦しくなった」
瀬戸の声は震えていた。
「だから、親友を一人に決めろって言われたら、たぶんまた誰かが同じことをする。未央さんを、自分のものだって思いたくなる」
その言葉に、理沙が目を伏せた。
瀬戸の言葉は、理沙自身にも刺さっている。
未央を自分だけの親友にしたかった。
未央の善意の行き先が自分ではないことが苦しかった。
その感情は、瀬戸の執着と形こそ違っても、同じ線の上にあった。
葛西悠真が黒板の前に立つ。
彼は、委員長らしく場を整理しようとして、しかし言葉を選びきれずにいるようだった。
「でも、答えなきゃいけない」
葛西は言った。
「十二時間あるとはいえ、何が起きるかわからない。未央は助かったけど、また誰かが晒されるかもしれない。芽衣さんのスマホの中身だって、勝手に出されるかもしれない」
羽田千尋が割れたスマホを見る。
「それは嫌」
彼女ははっきり言った。
「もう、誰かの動画とかメッセージとか、そういうのを勝手にみんなで見るのは嫌」
桃井紗季が、教室の端で顔を上げた。
羽田は桃井を見る。
「私もやった。だから偉そうに言えない。でも、もう嫌」
桃井は何も言わなかった。
今の彼女には、以前のような不気味な余裕はない。
鍵を閉めたこと。
未央を閉じ込めたこと。
記録する側にいた自分自身が、ついに全員の前に引きずり出されたこと。
それらが、彼女から言葉を奪っているようだった。
榊原直人は、教室の後ろに立っていた。
教師でありながら、この場では誰よりも発言しづらい立場にいる。
相関図に表示された線。
> 榊原直人 → 相沢芽衣
> 管理対象 62%
> 後悔 91%
> 榊原直人 → 橘未央
> 任せすぎた生徒 84%
大人である彼も、もう外側にはいられなかった。
「雨宮」
理沙が言った。
透真は彼女を見る。
「あなたは、さっき言ったよね。この問い自体が間違ってるって」
「ああ」
「でも、相関図は人物名を求めてる。たぶん、一人の名前を送らないと正解にならない」
「そうとは限らない」
「どうして」
「今までの問題も、言葉通りに答えると半分しか正解じゃなかった」
透真は黒板の時系列を指す。
「未央が本当に守ろうとしていた人物は、橘未央自身だった。でもそれは半分だけ正解だった。鍵を閉めた人物は桃井だったが、主催者は別にいると思われる。相沢芽衣のスマホを隠したのは榊原だったが、それも主催者ではなかった」
彼はスマホを掲げる。
「相関図は、答えを一つに見せて、その裏にある関係を暴かせてきた。なら最後も同じだ」
「最後の裏にある関係って何?」
田辺が聞いた。
透真は少し黙った。
その問いに、すぐ答えるのは簡単だった。
未央と理沙。
未央と凛。
未央と芽衣。
未央とクラス全員。
けれど、本当に問題なのは、そのどれでもない。
「未央の親友が誰か、じゃない」
透真は言った。
「未央を誰か一人の親友にしようとしたことが問題なんだ」
理沙の指がわずかに動く。
「私は未央の親友だった」
彼女は言った。
その声は、今までのように強くはなかった。
「そう思ってた。未央の一番近くにいるのは私だって。未央が一番頼るのは私だって。そうじゃなきゃ嫌だった」
誰も遮らない。
「芽衣さんのとき、未央が私以外の誰かを見ているのが嫌だった。凛さんの痛みを見て、田辺さんの可能性を見て、咲良の弱さを見て、瀬戸くんの孤独まで見ようとして……私は、それが嫌だった」
理沙は深く息を吸う。
「未央が優しいのは知ってた。そういう未央が好きだった。でも、その優しさが私だけのものじゃないことが苦しかった」
凛が、理沙を見る。
理沙は凛へ顔を向けた。
「凛さん。私は、あなたのことも嫌だった」
凛の表情は変わらなかった。
「知ってる」
「未央が芽衣さんのことであなたを気にするたび、私は自分が外側に置かれた気がした。親友なのに、知らないことが増えていくのが怖かった」
「私も」
凛が言った。
理沙が目を見開く。
「私も、芽衣が未央を見たとき、同じことを思った。芽衣の親友は私なのにって」
その言葉は、二人の間に静かに落ちた。
似ている。
理沙と凛は、立場も性格も違う。
けれど、親友という言葉に縛られた点では似ていた。
自分だけのものにしたかった。
でも、それを言えなかった。
だから相手を責めた。
相手に気づいてほしかった。
そして、線が歪んだ。
結果、相関図に利用された。
「だから」
理沙はスマホを見た。
「私を答えにしたら、また同じになる」
その言葉に、咲良が息を呑む。
理沙は続ける。
「私が未央の本当の親友だって送ったら、きっと正解っぽく見える。でも、それは未央をまた私のものにする答えだと思う」
「理沙……」
咲良が呼ぶ。
理沙は小さく首を振った。
「私は未央の親友でいたかった。でも、未央の本当の親友を一人に決めるなら、それは私じゃない」
「じゃあ誰なんですか」
桃井が初めて口を開いた。
声はかすれていた。
「誰も答えじゃないって言うんですか?それなら、どうやってゲームを終わらせるんですか」
透真は桃井を見た。
「早く答えてください。何も考えずに理沙さんの名前をかけばいいじゃないですか」
彼女は、まだゲームにしがみついている。
自分が鍵を閉め、未央を追い詰め、クラスを暴いたこのゲームに。
だが、それは勝ちたいからではない。
ゲームに意味がなかったと思いたくないからだ。
自分がしたことに、何かしらの答えがあってほしいからだ。
「終わらせる」
透真は言った。
「でも、お前たちのルールでは終わらせない」




