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友情相関図  作者: えんびあゆ


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第29話 「見たくないなら、見ないほうがいい」

橘未央は、保健室へ運ばれた。

旧体育倉庫から出たとき、彼女は理沙の手を握ったまま、ほとんど目を開けられなかった。


顔色は悪く、唇は乾いていた。

制服にはほこりがつき、髪も乱れている。

それでも、かすかに息をしていた。


――生きていた。


その事実だけで、二年三組の空気は一度、わずかに緩んだ。

けれど、安心は長く続かなかった。

未央を保健室に運んだ直後、全員のスマホに新しい問いが表示された。


> このゲームを始めた人物は誰か。

> 制限時間 24:00:00


残り一日。


未央は見つかった。

だが、友情相関図は終わらない。


むしろ、ようやく本題に入ったと言わんばかりだった。

これを放置すれば、クラスの線は暴かれて崩壊するのは確実だった。

そのためにも、このゲームの主催者――、すなわち犯人を捜す必要がある。


保健室の前の廊下には、重い沈黙が落ちていた。


榊原直人は、保健の先生と連絡を取り、救急搬送の必要があるか確認している。

葛西悠真は、職員室へ事情を伝えに行くか迷っていた。

羽田千尋はスマホに記録をまとめているが、指が何度も止まる。

黒川奏太は壁にもたれ、苛立ったように何度も髪をかき上げていた。


宮野咲良は、田辺麻衣の隣にいる。

田辺はまだ青ざめていたが、さっきよりは落ち着いている。

咲良は、もうその手を離そうとはしなかった。


早瀬凛は、少し離れた場所で保健室の扉を見つめていた。

扉の向こうに未央がいる。

だが、彼女は近づかない。


瀬戸真琴は、廊下の隅に立ち尽くしていた。

未央が見つかった安堵と、自分が何もできなかった悔しさの間で、表情を失っているように見えた。


桃井紗季は、榊原に別室で待つよう言われていた。

だが彼女はまだ廊下に残り、誰とも目を合わせずに立っている。


そして白石理沙は、保健室の扉のすぐ横に座り込んでいた。

未央の手を離したあと、力が抜けたようにそこから動けなくなっている。


雨宮透真は、廊下の窓際に立ち、割れたスマホを見下ろしていた。

第二備品庫の中に落ちていたスマホ。

画面は割れていて、電源は入らない。

裏面には、小さなシールが貼られている。


> S.M.


桃井紗季。

Saki Momoi。


イニシャルは合う。

だが、桃井は本気で否定した。


透真は、彼女が嘘をついている可能性も考えた。

しかし、あの一瞬の反応は、少し違った。


自分のものだと疑われることへの恐怖ではない。

それを見たこと自体への驚き。

あるいは、それがそこにあるはずがないという顔。


つまり、このスマホは桃井のものではない可能性が高い。

だとすれば、S.M.とは誰か。

桃井紗季以外のS.M.。


二年三組の名簿を思い出す。


咲良は宮野咲良。

Sakura Miyano。

イニシャルはS.M.。


透真は、廊下の向こうにいる咲良を見た。


咲良は田辺の手を握っている。

表情はまだ不安げだが、田辺のほうを何度も見ている。


未央を閉じ込めた犯人に見えるか。


わからない。


だが、彼女が未央のカーディガンを持つ機会はあった。

旧体育倉庫へ行く時間が本当にあったかは曖昧だ。

そして、S.M.というイニシャルは一致する。


けれど、相関図が示した「鍵を閉めた人物」は桃井紗季だった。

そこは正解した。


なら、このスマホは鍵を閉めた人物のものではなく、別の誰かのもの。


主催者。

あるいは、主催者に繋がる人物。


透真はスマホを裏返した。


古い機種だった。

今どきの高校生がメインで使うには少し古い。

予備端末か、誰かから譲り受けたものか。


「雨宮くん」


理沙の声がした。

透真が顔を上げると、理沙が廊下の壁に手をついて立ち上がっていた。


顔色は悪い。

けれど、その目は逃げていなかった。


「それ」

理沙は割れたスマホを見る。


「第二備品庫に落ちてたやつ?」

「ああ」

「桃井さんの?」

「本人は違うと言った」

「信じるの?」

「完全には。でも、嘘にしては反応が変だった」


理沙はスマホを見つめる。


「S.M.……」

「心当たりは」


理沙は少し黙った。

そして、小さく言う。


「咲良」

「俺も考えた」

「でも、咲良が主催者だとは思えない」

「理由は?」

「咲良は、そんなに器用じゃない」


かなりひどい言い方だったが、透真も同感だった。

咲良は感情的で、流されやすく、見栄もある。

田辺との関係にも支配的な部分があった。


だが、このゲームを組み立てる冷静さや継続力は感じにくい。

もちろん、表に見えている人格だけで判断はできない。

だが、桃井を動かし、相関図を更新し、未央を追い詰めるほどの計画性があるかといえば――違和感がある。


「他にS.M.は?」


透真が聞く。

理沙は考える。


「桃井紗季、宮野咲良。あとは……」


言いかけて、理沙の顔が止まった。

透真はそれを見逃さない。


「誰だ」

「……相沢芽衣」


廊下の空気が、わずかに変わった。


相沢芽衣。

Mei Aizawa。


「イニシャルは違う」

透真が言う。

理沙は首を横に振る。


「違う。芽衣さん、昔は母方の名字だったって聞いたことがある」

「母方の名字?」

「詳しくは知らない。でも、凛さんが前に言ってた。相沢はお父さんの名字で、小さい頃は別の名字だったって」

「それがS?」


理沙は頷いた。

「たしか、佐伯」


佐伯芽衣。

S.M.


透真は割れたスマホを見る。

もしこれが、相沢芽衣――佐伯芽衣のものだったとしたら。


なぜ第二備品庫にある。

なぜ今まで見つからなかった。

誰が持っていた。

誰が使っていた。


そして、なぜ相関図ゲームの主催者に繋がるような場所に落ちていたのか。

「凛を呼べ」

透真は言った。


理沙は少し迷ったあと、凛のほうへ向かった。

凛は保健室の扉から視線を離し、こちらへ来る。


「何」

透真はスマホを見せた。

「これ、相沢芽衣のものか」

凛の表情が、一瞬で変わった。


血の気が引く。

目が大きく開く。

そして、唇が震える。


「どこに……」

「第二備品庫の中」


凛はスマホに手を伸ばしかけて、途中で止めた。

「芽衣の」

声がかすれていた。


「間違いないか」

「うん」

「なぜわかる」

「このシール、私が貼った」


凛は震える指で、裏面の小さなシールを指さした。

「芽衣、小学生の頃の名字が佐伯だったから、S.M.って。本人はもう相沢だから変だよって笑ってたけど、私はそのまま貼った」


凛の目に、涙はなかった。

涙が出るより先に、何かが凍ってしまったような顔だった。


「でも、芽衣のスマホは……」

「どうなった」

「転校するとき、持っていったはず。少なくとも、学校には残ってなかった」

「なら、誰かが持ち込んだ」


透真は言った。

「あるいは、最初から第二備品庫に隠されていた」

凛は首を振る。

「そんなはずない。私、芽衣が転校する前に、荷物を一緒にまとめた。スマホは鞄に入れてた」

「その後、戻ってきた可能性は?」

「芽衣が?」

凛の声が揺れる。


「ない。転校したあと、芽衣は学校に来てない」

「本人ではなく、誰かが持ってきた」

理沙が言った。


「芽衣さんのスマホを持っていた誰かが」

凛はスマホを見つめたまま、動かない。


透真は考える。


相沢芽衣のスマホ。

第二備品庫。

友情相関図。

過去の動画。

相関図に名前を載せてもらえなかった人物。


もし芽衣のスマホの中に、去年の真相に関わるものが残っていたら。

そして誰かがそれを使って、今回のゲームを組み立てたのだとしたら。


「電源が入らないのは痛いな」


羽田がいつの間にか近づいていた。

彼女はスマホを見て、眉を寄せる。


「壊れてる。でも、データが残ってる可能性はある。修理すれば中身を見られるかも」

「今すぐは無理か」

「たぶん無理。充電口も歪んでるし、画面も割れてる。パソコンにつないで認識するか試すくらいはできるけど」

「視聴覚準備室のパソコン」

透真が言うと、羽田は頷いた。


「古いけど、USBで認識するかは試せる」

凛はスマホから目を離さない。

「中、見られるの?」

「わからない。ロックがかかってたら無理かも」

「芽衣のスマホを勝手に見るの」

凛の声は低かった。


「それは……」

羽田が言葉に詰まる。

凛の言うことは正しい。


いくら事件の手がかりでも、亡くなった少女のスマホを勝手に見ることには抵抗がある。

だが、時間はない。


残り二十四時間。

主催者を探さなければ、何が起こるかわからない。


「凛」

透真は言った。


「見たくないなら、見ないほうがいい」

凛が彼を見る。


「でも、俺たちは見る必要がある」

「どうして」

「このスマホが第二備品庫にあった。主催者がそこへ誘導した。なら、中身は主催者に繋がる可能性が高い」

「芽衣の秘密が出てくるかもしれない」

「出てくるかもしれない」

「それを、またみんなで見るの?」


凛の声に、鋭い痛みが混じった。

去年と同じだ。


芽衣の動画。

芽衣の噂。

芽衣の秘密。

誰かが記録し、誰かが広め、誰かが見た。


それをまた繰り返すのか。

透真は、すぐには答えなかった。


見れば、傷つける。

見なければ、進めない。


相関図はいつも、その二択を突きつける。


「全員では見ない」

透真は言った。


「必要最低限だけで確認する。凛、お前も立ち会え。芽衣のスマホなら、お前にはその権利がある」

「私に?」

「親友だったんだろ」


凛の目が揺れた。


――親友。


その言葉は、彼女にとって今も痛い。

それでも凛は、小さく頷いた。


「……わかった」

そのとき、理沙のスマホが震えた。

理沙は画面を見て、顔をこわばらせる。


「何だ」

透真が聞く。


理沙は画面をこちらに向けた。

匿名アカウントからの個別メッセージ。


> まだ、線を見るの?


凛にも同じ通知が来ていた。

続けて、全員のスマホが震える。


> 存在しない線に気づいた人から、傷ついていく。

> でも、そこに答えがある。


相関図が表示される。


中心には橘未央。

その周囲に、理沙、凛、咲良、田辺、葛西、羽田、黒川、瀬戸、桃井。


そして、下に薄く表示される相沢芽衣。

けれど、透真はその図に違和感を覚えた。


線が多い。

関係が複雑だ。


だが、一つだけ、あるはずの線がない。


「存在しない線」


透真はつぶやいた。

理沙が反応する。


「何?」

「相関図にない線がある」

「誰と誰?」


透真は画面を拡大する。


相沢芽衣から凛への線はある。

未央への線もある。

田辺への線もある。

葛西、咲良、羽田、黒川への線も薄く表示されている。


だが、ない。


芽衣と榊原直人の線がない。


担任。

大人。

去年、芽衣の異変を知っていたはずの人物。


葛西の席替え案にも関わった。

芽衣と凛を離す提案をした。

未央が相談した可能性もある。


なのに相関図には、榊原の名前がほとんど出ていない。

まるで、意図的に消されているように。


「榊原だ」


透真は言った。

理沙が息を呑む。


「先生?」

「この相関図は、クラスメイト同士の線ばかりを見せている。でも、去年の芽衣の件に大人が関わっていないはずがない」


葛西が近づいてくる。

「榊原先生は……確かに席替えに関わった。でも、主催者ってことはないだろ」

「主催者とは言ってない」

「じゃあ」

「存在しない線だ」


透真は相関図を見せる。

「芽衣と榊原。未央と榊原。葛西と榊原。全部、あるはずなのに表示されていない。これは友情相関図だから大人は対象外、というだけかもしれない。でも、匿名アカウントは『存在しない線に答えがある』と言った」


羽田が考え込む。

「相関図に出てこない関係……」

「榊原先生が、芽衣のスマホを持っていた?」

凛の声がかすれる。


その問いは、誰もすぐには否定できなかった。


もし榊原が芽衣のスマホを預かった。

あるいは、何らかの理由で保管した。

それが第二備品庫に隠されていた。


では、誰がそれを見つけたのか。


未央か。

理沙か。

桃井か。

主催者か。


「榊原先生に聞く」

葛西が言った。

その声は震えていたが、逃げてはいなかった。


「先生に、去年のことを全部聞く」

凛が静かに言う。

「今度は、聞くだけじゃなくて?」

葛西は頷いた。

「答えてもらう」


その時、保健室の扉が開いた。

保健の先生が顔を出す。


「橘さん、少し意識がはっきりしてきたわ。長くは無理だけど、一人か二人なら話せると思う」


理沙がすぐに立ち上がる。

だが、透真は彼女を制した。


「白石。未央に聞くことは一つだ」

「何を?」

「榊原に何を相談したのか」


理沙の顔が固まる。


「未央が先生に?」

「たぶん、相談している」

「でも未央は、私にはそんなこと……」

「だからだ」


透真は言った。

「未央はお前に言えなかったことを、榊原に言った可能性がある」


理沙は言葉を失った。

親友なのに知らなかった。

その痛みが、また彼女を刺したのだろう。

だが今度の理沙は、それで立ち止まらなかった。


「行く」

彼女は言った。

「未央に聞く。知らなかったことも、聞く」


凛も一歩前に出た。

「私も」


理沙は凛を見る。

「……うん」


二人は、初めて並んで保健室へ入っていった。


透真は廊下に残った。

窓の外では、文化祭準備の声がまだ聞こえている。


未央は助かった。

だが、相関図ゲームは終わらない。


存在しない線。


芽衣と榊原。

未央と榊原。

そして、第二備品庫にあった芽衣のスマホ。


透真は割れたスマホを握りしめた。

主催者を探すには、相関図に描かれた線だけでは足りない。

描かれなかった線を見なければならない。

その線の先に、大人がいる。


そしておそらく、桃井、――ゲームを始めた人物は、その大人の沈黙まで暴こうとしている。


透真のスマホがまた震えた。


> 第八問。

> 相沢芽衣のスマホを、第二備品庫に隠した人物は誰か。


制限時間は表示されない。

ただ、一文だけ続いた。


> 答えは、存在しない線の先にある。


透真は保健室の扉を見た。


理沙と凛は、未央に何を聞くのか。

未央は、何を話すのか。

榊原は、何を隠しているのか。


ゲームは、クラスの中だけでは終わらない。

透真は初めて、相関図の外側を見た。


そこには、今まで誰も引こうとしなかった線が、確かに存在していた。

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