第21話 「本当に最低」
第二備品庫の扉は、普通の教室の扉とは違い、重く閉ざされていた。
廊下側に古い掛け金がついていて、そこに南京錠が通されている。
内側から鍵を回して開ける造りではない。
外から掛け金を落とされた時点で、中にいる人間は自力では出られない。
古い鉄の扉。
かすれた白い文字。
冷たい取っ手。
内側からの返事はない。
白石理沙は、その扉を叩き続けていた。
「未央!未央、聞こえる!?返事して!」
声は倉庫の中に反響するだけだった。
旧体育倉庫の奥。
積まれたパイプ椅子と古いマットの先にある、普段は使われていない小部屋。
第二備品庫。
匿名アカウントから送られてきた動画に映っていた文字と同じだった。
橘未央は、この扉の向こうにいるかもしれない。
それなのに、扉は開かない。
雨宮透真は、扉の取っ手をもう一度確認した。
鍵がかかっている。
力任せに開けられるようなものではない。
扉自体も古いが、金属製で厚い。
蹴破るのは難しい。
工具もない。
鍵もない。
そしてスマホには、新しい問いが表示されている。
> 第六問。
> 橘未央を第二備品庫に導いた人物は誰か。
> 制限時間 03:00:00
残り時間は、刻一刻と減っている。
理沙は扉に額をつけるようにして叫んだ。
「未央!お願い、返事して!私、ここにいるから!」
返事はない。
その沈黙が、理沙をさらに追い詰めていた。
早瀬凛は少し離れた場所で、拳を握っている。
瀬戸真琴は、青ざめた顔で扉を見つめていた。
「鍵は」
透真は瀬戸に聞いた。
「本当に知らないのか」
「知らない」
瀬戸の声はかすれていた。
「第二備品庫はほとんど使わない。俺が知ってるのは旧体育倉庫の入口のスペアだけで、ここの鍵は……」
「誰が持っている」
「たぶん、先生か事務室」
「たぶんじゃ困る」
「知らないんだよ!」
瀬戸の声が大きくなる。
「俺だって、こんなところに未央さんがいるなんて知らなかった!」
理沙が振り返る。
「じゃあ、誰が未央をここに入れたの」
「知らない!」
「瀬戸くん、あなたは一週間前、未央とここに来たんでしょ」
「ここじゃない。旧体育倉庫の入口までだ。未央さんが箱を見てたのも、向こうの棚のところ。第二備品庫には入ってない」
「本当に?」
「本当だ!」
瀬戸の目には、怒りと怯えが混じっていた。
透真はその顔を見た。
瀬戸は嘘をついているのか。
――わからない。
ただ、少なくとも今この瞬間、未央が扉の向こうにいるかもしれないことに動揺しているのは本物に見えた。
だが、それで潔白とは限らない。
人は、自分がやったことの結果が想定を超えたときにも、本気で怯える。
「白石」
透真は理沙を呼んだ。
「一度落ち着け」
「落ち着けるわけないでしょ!」
理沙が叫ぶ。
「未央がこの向こうにいるかもしれないの!動画も来た!声も聞こえた!なのに、なんであなたはそんな冷静でいられるの!」
「冷静じゃないと開かない」
「そんなこと――」
「扉を叩いても開かない。未央が返事できる状態なら、もう返事してる。返事がないなら、聞こえないか、返事できないか、ここにいないかのどれかだ」
理沙の顔が歪む。
「ここにいないって……」
「可能性の話だ」
「未央がここにいるって、動画で――」
「動画は第二備品庫を映していた。でも、今もそこにいるとは限らない」
理沙は言葉を失った。
その可能性を考えたくなかったのだろう。
動画に映っていた場所まで来た。
ここに未央がいる。
鍵を開ければ助けられる。
そう信じたかった。
だが、ゲームの主催者がそこまで親切とは思えない。
透真はスマホを見る。
第六問。
> 橘未央を第二備品庫に導いた人物は誰か。
導いた。
連れてきた、ではない。
閉じ込めた、でもない。
導いた。
未央が自分でここへ来るように仕向けた人物。
つまり、未央は力ずくで連れてこられたわけではない可能性がある。
「導いた人物」
透真はつぶやいた。
凛が反応する。
「連れてきた人じゃなくて?」
「ああ。言葉が違う」
「未央は自分でここに来た?」
「少なくとも、この問いはそう読ませようとしている」
理沙が顔を上げる。
「未央が自分でここに来る理由なんて……」
「ある」
透真は言った。
「この倉庫には、去年の相関図と写真があった。未央は一週間前にそれを見ている。もう一度確認しに来た可能性はある」
「でも、誰かに導かれたんでしょ」
「その誰かは、未央にこの場所を思い出させた人物かもしれない」
透真は倉庫内を見回した。
古い箱。
去年の写真。
未完成の相関図。
消された線。
田辺から理沙への線。
未央自身を守るという答え。
そして、第二備品庫。
未央はなぜこの部屋へ入ったのか。
入るには鍵が必要だ。
誰かが鍵を渡したか、開けたか、あるいは未央自身が鍵の場所を知っていたか。
「白石」
透真はもう一度呼んだ。
理沙は、今度は黙って彼を見た。
「未央は第二備品庫の存在を知っていたか」
「……知らないと思う」
「本当に?」
「未央は旧体育倉庫のことも、そんなに詳しくなかった。備品関係は瀬戸くんや葛西くんが詳しかったから」
「一週間前に来るまでは?」
「たぶん」
「じゃあ、その一週間前に誰かが教えた」
瀬戸が口を挟む。
「俺は第二備品庫までは教えてない」
「旧体育倉庫のことは?」
「未央さんが備品を探してたから、場所を教えただけ」
「何の備品」
「去年の飾り。使えそうなものがないか見たいって」
「誰に頼まれた」
「未央さんが自分で言った」
「それを未央は誰から聞いた」
瀬戸は黙った。
透真はそこに引っかかった。
「瀬戸。未央はなぜ、旧体育倉庫に去年の備品があると知っていた」
「……文化祭準備で話題に出たんだろ」
「誰が出した」
「知らない」
「思い出せ」
瀬戸は苛立ったように頭をかいた。
「たぶん、葛西か羽田か……いや、白石さんだったかも」
理沙の顔が固まった。
透真はその反応を見た。
「白石?」
「違う」
理沙は即座に否定した。
早すぎる。
「何が違う」
「私が未央をここに導いたわけじゃない」
「まだそうとは言ってない」
理沙は唇を噛んだ。
凛が理沙を見る。
「白石さん、何を話したの」
「……」
「また黙るの?」
理沙は視線を逸らした。
透真は静かに言った。
「白石。お前は旧体育倉庫の箱を知っていたのか」
理沙は答えない。
「未央が一週間前にここへ来る前、お前は未央と何か話している」
「……」
「その話が、未央をここへ導いた」
「違う!」
理沙の声が響いた。
「違う……私は、未央にここへ来てなんて言ってない」
「じゃあ何を言った」
理沙は両手を握りしめた。
「未央が……」
言葉が詰まる。
「未央が、去年のことをまた話し始めたの」
倉庫の中の空気が止まる。
「一週間前。放課後、二人で買い出しのリストを確認してたとき。未央が急に、芽衣さんのことを言い出した」
「何て」
「去年の文化祭の写真、まだどこかに残ってるかなって」
理沙の声は、かすかに震えている。
「私は、わからないって言った。でも未央は、旧体育倉庫に去年の備品があるなら、写真とか資料も残ってるかもしれないって言った」
「それをお前が教えた?」
「違う。未央が自分で言った」
「なら、お前は何をした」
理沙は目を閉じた。
「止めなかった」
凛が小さく息を吐く。
止めなかった。
何度も出てくる言葉だった。
「未央は、もう一度見たいって言った。去年のことをちゃんと思い出したいって。田辺さんのことも、凛さんのことも、私のことも、全部曖昧なままにしたくないって」
「お前は?」
「私は、やめたほうがいいって思った」
「でも言わなかった」
「言えなかった!」
理沙は叫んだ。
「未央がまた苦しむってわかってた。でも、止めたら、また私が未央の善意を邪魔してるみたいになる。去年みたいに、私が線を消したみたいになる」
彼女の声は、もう冷静ではなかった。
「だから言ったの。『見たいなら見れば』って」
透真は黙って聞いていた。
「それだけ?」
理沙は一瞬、言葉を詰まらせた。
その一瞬で十分だった。
「まだあるな」
「……」
「白石」
「私は……」
理沙は、第二備品庫の扉を見た。
「未央に言った。そんなに過去が気になるなら、ちゃんと最後まで見ればって。中途半端に後悔するくらいなら、全部見てから決めればって」
「全部」
透真は倉庫の奥を見る。
「その『全部』が、第二備品庫だったのか」
「知らない」
「でも、未央はそう受け取った可能性がある」
「知らないって言ってるでしょ!」
理沙の目に涙が浮かぶ。
「私、そんなつもりじゃなかった。未央を閉じ込めるつもりなんてなかった。ここに来てほしいなんて思ってなかった。ただ……」
「ただ?」
「未央に、私の苦しさも少しはわかってほしかった」
その言葉は、理沙自身にも刺さったようだった。
彼女は顔を歪める。
「未央はいつも、誰かの苦しさを見つける。凛さんのことも、芽衣さんのことも、田辺さんのことも、咲良のことも。瀬戸くんのことだって、たぶん気づいてた。でも、私のことは……」
理沙の声が震える。
「私がどれだけ未央の隣にいるのに苦しかったか、気づいてくれなかった」
凛は理沙を見ていた。
責めるでもなく、慰めるでもなく。
ただ、その言葉を聞いていた。
「だから、少し意地悪を言った」
理沙は言った。
「過去を見たいなら、ちゃんと見ればって。私が消した線も、未央が見落としたものも、全部見ればいいって」
透真は目を細める。
「それが未央をここへ導いた」
「違う」
理沙は弱く否定した。
「違う……と思いたい」
その言葉で、倉庫内が静まり返った。
透真のスマホが震えた。
匿名アカウントからではない。
相関図の更新だった。
白石理沙から橘未央へ伸びる線。
> 白石理沙 → 橘未央
> 独占欲 88%
その下に、新しいラベルが浮かぶ。
> 誘導 64%
理沙の顔が青ざめる。
同時に、未央から理沙へ伸びる線も更新された。
> 橘未央 → 白石理沙
> 親友? 43%
> 罪悪感 77%
凛が画面を見る。
「誘導……」
瀬戸が理沙を睨む。
「白石さんが……未央さんをここに来させたのか」
「違う!」
理沙は叫ぶ。
「私は鍵も知らない!第二備品庫のことも知らなかった!未央を閉じ込めたのは私じゃない!」
「でも導いた」
透真は言った。
理沙の目が透真に向く。
「第六問は、橘未央を第二備品庫に導いた人物は誰か。閉じ込めた人物ではない」
「……私を答えにするの?」
「可能性は高い」
「違ったら?」
「未央を助ける手がかりを失うかもしれない」
「私だったら?」
「次の情報が出る」
「それだけ?」
理沙の声が震えた。
「私の名前を送って、それでまた何かが晒されて、それであなたは満足?」
「満足はしない」
「楽しんではいる?」
透真は答えなかった。
理沙のその問いは、第一日目からずっと彼に向けられている。
あなたは未央を助けたいのか。
それとも、この状況を楽しんでいるのか。
答えは、まだはっきりしない。
ただただ、この友情相関図の真意を読み取ること、観察することに夢中になっていたのかもしれない。
だが、第二備品庫の向こうに未央がいるかもしれない今、透真の中にあるものは、少なくとも観察だけではなかった。
「今は、開けたい」
透真は言った。
理沙の目が揺れる。
「この扉を開けるために必要なら、俺はお前の名前を送る」
理沙はしばらく透真を見ていた。
その顔に、怒りと恐怖と諦めが混ざっていく。
やがて、彼女は小さく笑った。
「本当に最低」
「知ってる」
「でも、未央なら……たぶん、送らないでって言う」
「だろうな」
「それでも送るの?」
「未央が言いそうなことより、未央を助けることを優先する」
理沙は目を閉じた。
その言葉は、未央には言えない種類の言葉だった。
誰かを傷つけても助ける。
誰かを晒しても進む。
誰も悪者にしないために全員を止めるのではなく、悪者になることを引き受けてでも動く。
未央とは逆のやり方。
理沙は静かにスマホを取り出した。
「私が送る」
「いいのか」
「いいわけない」
理沙は答えた。
「でも、未央がこの向こうにいるかもしれないなら、私が逃げるわけにはいかない」
凛が小さく言った。
「白石さん」
理沙は凛を見る。
「何」
「謝らないでね」
理沙は一瞬、意味がわからないという顔をした。
凛は続ける。
「今ここで謝られると、私も何か許さなきゃいけない気がするから」
理沙は少しだけ目を見開いた。
そして、かすかに頷いた。
「わかった」
謝らない。
それは、彼女たちなりの距離だった。
理沙は回答欄に、自分の名前を打つ。
> 白石理沙
送信。
旧体育倉庫の中で、時間が止まる。
蛍光灯が鳴る。
どこかで水が滴るような音がする。
第二備品庫の扉は、相変わらず黙っている。
画面が暗転した。
そして、文字が表示される。
> 正解。
理沙は息を止めた。
続けて、次の文章。
> 白石理沙は、橘未央を第二備品庫へ導いた。
> けれど、鍵を閉めた人物ではない。
透真は画面を見つめる。
予想通りだった。
理沙は未央を導いた。
だが、閉じ込めた人物は別にいる。
さらにメッセージが続く。
> 第七問。
> 第二備品庫の鍵を閉めた人物は誰か。
> ただし、その人物は今、君たちの中にいない。
透真の背筋に冷たいものが走った。
今、君たちの中にいない。
つまり、この倉庫にいる四人ではない。
教室に残っている誰か。
あるいは駅へ向かった四人のうちの誰か。
それとも、教師か。
画面がまた切り替わる。
短い動画。
今度は第二備品庫の内側からではない。
薄暗い廊下。
誰かの手。
鉄の鍵。
鍵を閉める音。
そして一瞬だけ映る、制服の袖。
映像はすぐに切れた。
理沙が震える声で言う。
「今の……」
透真も見ていた。
袖だけでは誰かわからない。
けれど、鍵を閉めた人物は生徒だ。
少なくとも、制服を着ている。
瀬戸が青ざめた顔で言う。
「俺じゃない……」
透真は彼を見た。
「この中にはいないらしい」
瀬戸は少しだけ安堵したように見えた。
その安堵さえ、今は疑いの材料になる。
凛がスマホを握りしめる。
「じゃあ、誰」
答えはまだ出ない。
だが第七問の制限時間が表示される。
> 制限時間
> 02:00:00
透真は第二備品庫の扉を見る。
未央はこの向こうにいるかもしれない。
だが、鍵を閉めた人物を答えなければ、開かない。
理沙が扉に手を当てる。
「未央……待ってて」
その声は、もう叫びではなかった。
祈りに近かった。
透真はスマホをしまう。
「教室に戻る」
理沙が振り向く。
「戻るの?」
「鍵を閉めた人物はここにいない。なら、ここにいても解けない」
「でも未央が――」
「未央を助けるために戻る」
理沙は苦しそうに頷いた。
凛も、瀬戸も動き出す。
四人は第二備品庫の扉を背に、旧体育倉庫を出た。
扉を閉めるとき、理沙は最後まで奥を見ていた。
未央の声は聞こえない。
ただ、古い鉄の扉だけが、静かにそこにあった。
外へ出ると、昼前の光がまぶしかった。
校舎のほうから、文化祭準備の明るい声が聞こえる。
その普通の明るさが、今はひどく残酷だった。
透真のスマホがまた震えた。
咲良からのメッセージだった。
> 田辺、見つけた。
> 今から戻る。
> でも、麻衣が変なこと言ってる。
> 「鍵を閉めたの、見たかもしれない」って。
透真は足を止めた。
理沙が振り返る。
「どうしたの?」
透真は画面を見せた。
理沙の顔色が変わる。
田辺麻衣。
昨日名前を消された生徒。
今日、駅で一人になっていた生徒。
そして去年、未央が芽衣と繋ごうとしていた生徒。
その田辺が、鍵を閉めた人物を見ていたかもしれない。
相関図の線は、また一本増えた。
そして今度の線は、未央の命へ直接つながっているかもしれなかった。




