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友情相関図  作者: えんびあゆ


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第19話 「それから、笑った。そうだよねって」

旧体育倉庫の蛍光灯が、低く鳴っていた。


ジジ、と不安定な音を立てながら、白い光が何度も揺れる。

そのたびに、積み上げられたパイプ椅子や古いマットの影が、倉庫の床に歪んで伸びた。


白石理沙は、クリアファイルに挟まれていた手書きの相関図を握りしめたまま、動けずにいた。

相沢芽衣を中心にした古い相関図。


橘未央。

白石理沙。

早瀬凛。

宮野咲良。

葛西悠真。

羽田千尋。

黒川奏太。

田辺麻衣。


その中に一本、ほとんど消えかけた線がある。

田辺麻衣から、別の誰かへ伸びていた線。


線の先にあった名前は、消しゴムで強く消されていた。

紙が薄く毛羽立つほど、何度もこすられた跡がある。


けれど、完全には消えていない。


薄く残った文字。

理沙はそれを知っている。


雨宮透真は、彼女の顔を見てそう判断した。


「白石」

透真は低く呼んだ。


「この線に心当たりがあるんだな」

理沙は答えない。


旧体育倉庫の中には、四人しかいない。

透真、理沙、凛、瀬戸。


けれど沈黙は、教室全員分あるように重かった。

早瀬凛が一歩、紙に近づく。


「見せて」

理沙は反射的に紙を胸元へ引いた。

凛の目が細くなる。


「隠すの?」

「違う」

「じゃあ見せて」

「……今は」

「今じゃなきゃ、いつ?」


凛の声は静かだった。

けれど、その静けさの底に怒りがあった。


「芽衣の名前が出てる。田辺さんの名前も出てる。未央のことにも関係してる。なのに、白石さんだけが隠していい理由って何?」


理沙は唇を噛んだ。

瀬戸真琴は、倉庫の入口近くに立ったまま、何も言わない。

未央の名前が出るたびに顔を上げるが、自分が口を挟める場所ではないとわかっているようだった。


透真は理沙から紙を奪おうとはしなかった。

それをすれば、また相関図の思う通りだ。


暴く。

晒す。

追い詰める。


その手順は、確かに情報を得るには早い。

だが、今ここで必要なのは、それだけではない。


「白石」

透真は言った。


「お前が言わなくても、相関図はそのうち表示する」

理沙の肩がわずかに揺れる。


「たぶん、もっと悪い形でな」

理沙はゆっくり透真を見た。

その顔には、怒りではなく、恐怖があった。


「あなたは、いつもそうやって脅す」

「事実を言ってる」

「それが脅しになるって、わかってて言ってる」

「わかってる」


透真は認めた。

理沙の目が揺れる。


「最低」

「知ってる」

「でも……」


理沙は紙に視線を落とした。

「でも、たぶん、その通り」


彼女は震える指で、消された線の先をなぞった。

薄く残った名前。

凛が息を呑む。

瀬戸も、少し身を乗り出した。

理沙はようやく言った。


「この名前は……私」

倉庫の中の空気が、動きを止めた。


田辺麻衣から、白石理沙へ。

消された線。

透真は紙を覗き込む。


確かに、よく見れば読める。

完全に消されているわけではない。


> 田辺麻衣 → 白石理沙


線の上には、小さな字で何かが書かれている。

こちらも消えかけているが、かろうじて読めた。


> 相談できるかも


凛が眉を寄せる。


「田辺さんが、白石さんに?」


理沙は頷かない。

ただ、じっと紙を見つめている。


「どういうことだ」

透真が聞く。


理沙はしばらく黙っていた。

やがて、ゆっくり話し始める。


「去年、芽衣さんが孤立し始めたころ、未央は田辺さんのことを気にしてた」

「田辺が芽衣を助けられると思ったのか」

「未央は、そう思ってた」


理沙の声は、どこか遠かった。


「田辺さんは、咲良たちと一緒にいた。でも、未央は言ってた。田辺さんは本当は芽衣さんを嫌ってるわけじゃない。ただ、咲良たちから外れるのが怖いだけなんじゃないかって」

「本当は話せるかも」


透真は紙の線を見た。

相沢芽衣から田辺麻衣へ伸びる線。


「未央は、芽衣と田辺を繋ごうとしていた」

「うん」

「でも、田辺からお前にも線がある。相談できるかも」


理沙は、かすかに息を吸った。


「未央は、私に頼もうとしてた」

「何を」

「田辺さんと話してほしいって」


凛が理沙を見た。


「白石さんが?」

「田辺さんは咲良のグループにいた。でも、咲良に直接言うと、咲良が傷つくかもしれない。だから、まず田辺さんと落ち着いて話せる人が必要だって」

「それが白石さん」

「未央は、そう考えた」


理沙は薄く笑った。

笑顔には見えなかった。


「未央らしいでしょ。誰も傷つけたくないから、間に誰かを挟む。直接ぶつからずに済む道を探す。みんなが少しずつ我慢すれば、うまくいくと思ってる」

「それで、お前は引き受けたのか」


透真が聞く。

理沙は首を横に振った。


「断った」


短い言葉だった。

だが、それだけで凛の表情が変わった。


「どうして」


凛が聞く。

理沙は答えない。


「どうして断ったの」


凛の声が強くなる。


「芽衣を助けるためだったんでしょ。田辺さんと話せば、何か変わったかもしれないんでしょ。なのに、どうして」

「怖かったの」


理沙の声が震えた。

凛が止まる。


「怖かった?」

「未央に、また頼られるのが怖かった。未央が私を信じて、私に何かを任せて、その結果うまくいかなかったとき、私まで芽衣さんの問題に巻き込まれるのが怖かった」


理沙は自分の言葉に傷つくように顔を歪めた。


「それに……」

「それに?」


透真が促す。

理沙は、目を伏せた。


「未央が、また芽衣さんのことばかり考えているのが嫌だった」

倉庫の中に、蛍光灯の音だけが響いた。


「私は未央の親友だった」

理沙は続けた。


「そう思ってた。未央が困ったときは、まず私に相談してほしかった。未央が泣きそうな顔をするなら、私の前でそうしてほしかった。でも、未央は芽衣さんのことで苦しんでいて、田辺さんのことも気にしていて、凛さんのことも気にしていて……私のほうを見てなかった」

凛は何も言わない。


理沙の言葉は、凛自身にも刺さっているはずだった。

芽衣が未央を見たとき、凛も同じように思ったのだから。


「だから私は言った」

理沙の声が、さらに小さくなる。


「未央に。そんなに全部抱えなくてもいいんじゃないって。田辺さんが本当に芽衣さんを助けたいなら、自分で動くはずだって。私たちがそこまでしなくてもいいって」

「それで未央は?」

「黙った」


理沙の目が、どこか遠くを見る。


「それから、笑った。そうだよねって」


その「笑った」が、重かった。


未央はきっと笑ったのだろう。

相手を困らせないように。

理沙に罪悪感を持たせないように。

自分の迷いを自分の中へ戻すために。


凛が低く言う。

「それで、その線を消したの?」


理沙の手が震える。

「……消したのは私」


透真は、黙っていた。


「未央がいないときに、この相関図を見て、田辺さんから私への線を消した。相談できるかもって書かれているのが嫌だった。私がその役をやらなきゃいけないみたいで。未央の善意を、私が支えなきゃいけないみたいで」

理沙の声が崩れ始める。

「私は、未央の親友でいたかった。でも、未央の善意の手伝いをしたかったわけじゃない」

その言葉は、あまりにも正直だった。


だからこそ、誰もすぐには責められなかった。


理沙は未央を好きだった。

大切に思っていた。

助けたいと思っていた。


けれど、未央の善意の行き先が自分ではないことが苦しかった。

親友であることと、未央のすべてを受け止めることは同じではない。

それを言葉にできなかった理沙は、線を消した。

その小さな行為が、今になって相関図の中から掘り返されている。


「そのあと、この相関図がなくなった」

理沙は言った。


「未央は、消えた線に気づいたのか」

透真が聞く。


「たぶん気づいた。でも、何も言わなかった」

「責めなかった?」

「うん」

「未央らしいな」


理沙は顔を上げた。

「そういうところが、嫌だった」

その声には、涙が混じっていた。

「責めてくれればよかった。怒ってくれればよかった。理沙はひどいって言ってくれればよかった。でも未央は、何も言わなかった。ただ、私が嫌がってるのを察して、また一人で抱えようとした」


凛が小さく息を吐いた。

「未央は、そういう子だよね」

理沙は頷いた。

「そう。そういう子」



そして、それが優しさでもあり、残酷さでもあった。

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