第17話 「守るために名前を隠す。でも、隠すことで相手が見えなくなる」
教室の扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
宮野咲良、葛西悠真、羽田千尋、黒川奏太。
四人は、田辺麻衣を迎えに駅へ向かった。
教室に残ったのは、雨宮透真、白石理沙、早瀬凛、瀬戸真琴の四人だけだった。
橘未央の席は、相変わらず空いている。
机の上の黄色い星の飾りは、朝の光を受けているのに、どこか冷たく見えた。
透真は黒板の前に立ち、書き込んだばかりの文字を見ていた。
未央が守ろうとした“あの子”。
未央が一人にした相手。
その二つは、同じではないかもしれない。
未央は「一人にしたくない」と言った。
だが、それは誰か一人を選ぶ言葉ではなく、誰かを選ぶことで別の誰かを置き去りにしてしまう恐怖だったのかもしれない。
去年、相沢芽衣を助けようとして、凛を置き去りにした。
芽衣に寄り添おうとして、理沙を置き去りにした。
クラス全体を繋ごうとして、芽衣本人の怖さを置き去りにした。
未央の善意は、いつも誰かに向かって伸びる。
けれど、その線が伸びるとき、別の線が切れる。
未央は、今回それに気づいたのではないか。
「雨宮くん」
理沙が言った。
声は、少し疲れていた。
「あなた、さっきからずっと考えてる顔してる」
「考えてるからな」
「何を?」
「未央が守ろうとしていた相手」
「田辺さんじゃないの?」
「田辺の可能性はある。でも、時系列が合わない」
透真は黒板に書いた時系列を指さした。
「未央が消えたのは昨日の昼。田辺の名前が消えたのは、そのあと。未央が『あの子を一人にしたくない』と言った音声がいつ録られたかは不明だが、未央が旧校舎へ向かった時点で、すでに守りたい相手がいたと考えるほうが自然だ」
理沙は未央の席を見る。
「じゃあ、昨日の昼の時点で一人になりかけていた人」
「そうだ」
「凛さん?」
凛は窓際に立ったまま、反応しなかった。
透真は首を横に振る。
「凛なら、未央は美術準備室で直接話している。そこで一緒に動けばよかった。未央が一人で旧校舎へ向かう必要がない」
「瀬戸くん?」
理沙の視線が瀬戸に向く。
瀬戸は机に座ったまま、俯いている。
第四問で、瀬戸から未央への執着が暴かれた。
それ以降、彼は教室の中で小さくなっていた。
透真は瀬戸を見る。
「瀬戸なら、未央は一週間前に旧体育倉庫で話している。だが、未央の音声にあった『あの子』という言い方は、瀬戸には少し合わない」
「どうして?」
「未央は瀬戸を『瀬戸くん』と呼んでいた。本人に向けて話すときも、誰かに話すときも、その呼び方を使うだろう」
理沙は少し考えて、頷いた。
「未央は、名前をぼかすときに『あの子』って言うことがある」
「どんなときだ」
「……言っていいのかわからないとき」
理沙はそう答えた。
「本人の名前を出していいのか迷うとき。誰かの悩みを私に話すときも、最初は『あの子がね』って言うことがあった」
「つまり、未央はその相手の名前を隠そうとしていた」
「たぶん」
透真は黒板に書く。
名前を隠す必要がある相手。
その文字を見て、凛が口を開いた。
「それ、去年もあった」
理沙が振り向く。
「去年?」
「未央が芽衣のことを話すとき、最初は名前を出さなかった。『困ってる子がいる』って言ってた」
凛は窓の外を見たまま続けた。
「私に対してもそうだった。私が芽衣の親友だって知ってから、やっと名前を出した」
「未央らしいな」
透真は言った。
「守るために名前を隠す。でも、隠すことで相手が見えなくなる」
理沙が少しだけ睨む。
「また未央を責めるの?」
「責めてるわけじゃない。性質の話だ」
「性質?」
「未央は名前を伏せる。誰かを傷つけないために。だが、名前を伏せられた相手は、問題の中心からも消える」
透真は相関図アプリの画面を見る。
未央から空白へ伸びる線。
> 橘未央 → ???
> 保護 87%
「相関図も同じことをしている。守るように名前を隠しているが、同時にその人物を不在にしている」
「じゃあ、名前を出せばいいの?」
理沙が聞く。
「そう簡単じゃない。名前を出した瞬間、その人物は全員の疑いの中心になる」
田辺麻衣のように。
葛西悠真のように。
瀬戸真琴のように。
相関図は名前を出すことで、人間を晒す。
守ることと暴くことが、同じ操作で行われている。
――最悪の仕組みだ。
その時、瀬戸が小さく言った。
「旧体育倉庫に、箱がある」
透真たちは瀬戸を見る。
瀬戸は顔を上げないまま続けた。
「未央さんが見てた箱。去年の文化祭の備品が入ってるやつ。そこに、写真と紙があった」
「さっきも言っていたな」
透真が言う。
「その紙、相関図だったの?」
「わからない」
「見てないのか」
「未央さんがすぐ閉じたから」
瀬戸は机の端を握る。
「でも、未央さんはそれを見たあと、『また同じことになるかもしれない』って言った」
「同じこと」
理沙が繰り返す。
「相沢芽衣と同じこと?」
「たぶん」
「その箱に、未央が守ろうとした相手の手がかりがある」
透真はそう判断した。
問題は、旧体育倉庫へどう行くか。
榊原は放課後に同行すると言った。
だが第五問は正午に提示される。
放課後では遅い。
「鍵は?」
透真が聞く。
瀬戸は少し黙った。
その沈黙に、透真は引っかかりを覚えた。
「瀬戸」
「……スペアがある」
理沙が目を見開く。
「スペア?」
「文化祭準備で、備品係が一時的に持ってた。去年からずっと、旧体育倉庫の裏のキーボックスに入ってる」
「それ、先生は知ってるの?」
理沙が聞くと、瀬戸は首を横に振った。
「知らないと思う。去年、鍵を戻し忘れたままになってて……葛西が気づいてたけど、面倒だからそのままにした」
「葛西くんが?」
「たぶん」
透真は眉を寄せた。
葛西は正しい側の人間に見える。
だが、小さな面倒を避けるための見逃しも多い。
席替えのときもそうだった。
大きな悪意ではない。
でも、その「まあいいか」が積み重なる。
「行くぞ」
透真は言った。
理沙が立ち上がる。
「私も行く」
「当然だろうな」
凛も窓際から離れた。
「私も」
透真は少しだけ意外に思った。
「いいのか」
「芽衣の写真があるかもしれない」
「未央のためじゃない?」
理沙が聞くと、凛は静かに答えた。
「芽衣のため」
理沙はそれ以上何も言わなかった。
瀬戸もゆっくり立ち上がる。
その動きは重かった。
「案内する」
彼は言った。
「旧体育倉庫の場所、俺が一番知ってる」
透真は瀬戸を見た。
瀬戸はまだ危うい。
未央への執着を暴かれた直後だ。
旧体育倉庫という場所に関しても、何かを隠している可能性がある。
だが、今は使える情報を使うしかない。
透真は頷いた。
「行く」
四人は教室を出た。
――透真達、4人が教室を出ていくとき、一人の少女のスマホが捉えていた。
「やっぱり、雨宮くんはいいなぁ……」
透真の姿を映した画像を見ながら、少女は静かに呟く。
その少女は誰にも気が付かれることなく、教室を後にした。




