第15話 「そんな言い方しないでよ」
ホームルームは、異様なほど短かった。
榊原直人は、出席を取った。
文化祭準備の連絡をした。
今日の放課後、各クラスの進捗確認があることを伝えた。
いつも通りの声だった。
落ち着いていて、淡々としていて、余計な感情を含まない声。
けれど二年三組の生徒たちは、その声をほとんど聞いていなかった。
全員の視線は、何度も橘未央の空席に向かう。
そこには、誰もいない。
机の上に置かれた黄色い星の飾りだけが、昨日から変わらず残っていた。
未央は欠席扱いになっていた。
榊原は出席簿に印をつけるとき、一瞬だけ手を止めた。
けれど、何も言わなかった。
その一瞬を、透真は見ていた。
榊原は気づいている。
少なくとも、何かがおかしいことには気づいている。
だが、踏み込まない。
昨日、凛が言った通りだった。
先生は、聞くだけだった。
何が起きている。
大丈夫か。
困ったことはないか。
そう聞いて、答えが返ってこなければ、それ以上は踏み込まない。
踏み込まなければ、自分は知らなかったことにできる。
こういうところに大人の卑怯な部分が凝縮されていると感じる。
透真は、教卓に立つ榊原を見ながら思った。
大人の沈黙は、子どもの沈黙よりずっと重い。
ホームルームが終わると、榊原は教室を出る前に一度だけ振り返った。
「葛西」
「はい」
「今日の放課後、旧体育倉庫の確認に行くなら、俺に声をかけろ」
「……はい」
「勝手に行くなよ」
榊原の視線は葛西に向いていた。
けれど、その言葉は教室全体に向けられていた。
勝手に行くな。
それは教師として当然の注意だった。
だが今の二年三組には、別の意味を持って聞こえる。
大人に言うな。
勝手に行くな。
でも、時間は減っていく。
榊原が教室を出ると、全員が同時に息を吐いた。
まるでそれまで息を止めていたみたいだった。
黒川奏太が机に肘をつき、低く言う。
「どうすんだよ。放課後まで待つのか?」
「待てない」
白石理沙が即答した。
「第五問は正午に出る。旧体育倉庫が関係してるなら、放課後じゃ遅い」
「でも鍵は職員室だろ」
葛西が言う。
「榊原先生が持ってるか、職員室の管理ボックスにある。生徒が勝手に借りるのは無理だ」
「じゃあどうするの」
宮野咲良の声は不安定だった。
「また先生に嘘ついて借りる?それでバレたら?」
「バレる以前に、未央ちゃんのことを言えない」
羽田千尋がスマホを見ながら言う。
「匿名アカウントは大人に話すなって言ってる。さっきも榊原先生がいるタイミングで通知してきた。こっちの状況を見てる可能性がある」
「見てるって、どうやって」
「わからない。スマホのカメラか、教室の誰かか、ただのタイミングか」
羽田は唇を噛む。
「でも、こっちが大人に話しそうになると反応する。少なくとも、何かしら監視してると思ったほうがいい」
監視。
その言葉で、教室の何人かが自分のスマホを見た。
便利な道具だったはずのスマホが、今は首輪のようだった。
透真は黒板の前に立った。
昨日から書き込んだ時系列は、すでに文化祭準備の黒板とは別物になっている。
未央失踪。
友情相関図。
第一問、早瀬凛。
第二問、相沢芽衣。
第三問、葛西悠真。
第四問、瀬戸真琴と橘未央。
第五問、未央が守ろうとした“あの子”。
その横に、榊原、と書く。
さらにその下。
去年の席。
「まず、旧体育倉庫に行く前に整理する」
透真が言うと、咲良が顔をしかめた。
「また整理?」
「行き当たりばったりで動いても、時間を使うだけだ」
「でも、未央は――」
「未央を探すために整理する」
咲良は黙った。
理沙が透真の隣に立つ。
「去年の席替えから確認しよう」
葛西は、文化祭実行委員のファイルを開いた。
「席替え表はこれだと思う」
机の上に、コピー用紙が広げられる。
去年の二年三組。
文化祭準備期間の座席配置。
透真はそれを見下ろした。
最初の配置では、相沢芽衣の席は窓際後方。
隣に早瀬凛。
二人の名前は、並んでいる。
だが、文化祭準備用に変更された配置では、芽衣の席は中央寄りに移動していた。
隣は宮野咲良。
前には黒川。
斜め後ろに羽田。
凛とは、教室の端と端に分かれている。
未央は芽衣の近くではない。
少し離れた席にいる。
だが、その未央の席の隣には白石理沙がいた。
「露骨だな」
透真は言った。
葛西が顔をしかめる。
「何が」
「芽衣と凛を離した。未央と理沙は離してない」
教室が静かになる。
葛西は一瞬言葉に詰まった。
「未央と白石は、会計と装飾の連絡があったから」
「芽衣と凛は?」
「……二人で固まりすぎるって、先生が」
「榊原が言ったのは覚えてる。でも、お前は納得した」
葛西は答えない。
凛が席替え表を見つめたまま言った。
「芽衣は嫌がってた」
全員が凛を見る。
「その日、帰りに言ってた。私と離れるの、少し怖いって。でも、クラスのためなら仕方ないよねって笑ってた」
凛の声は平坦だった。
けれど、その平坦さが逆に痛かった。
「私は、嫌なら嫌って言えばって言った。でも芽衣は言えなかった。葛西くんにも、先生にも、宮野さんにも」
咲良は席替え表を見つめたまま、顔を伏せた。
「……私、そんなに嫌な顔してた?」
凛はすぐには答えなかった。
「してたと思う」
咲良の肩が揺れる。
「でも、私だって困ったんだよ」
咲良は小さく言った。
「いきなり芽衣ちゃんが隣になって。何話せばいいかわかんないし、凛とずっと一緒にいる子って印象しかなかったし。私の周りの子も、なんで咲良の隣なのって言ってて……」
「だから拒絶した」
透真が言う。
咲良が顔を上げる。
「そんな言い方しないでよ」
「相関図にも出てる」
透真はスマホを示す。
> 宮野咲良 → 相沢芽衣
> 拒絶 64%
咲良は唇を噛んだ。
「拒絶って……そんなつもりじゃなかった」
「その言葉、昨日から何回目だろうな」
透真の言葉に、咲良は涙目になった。
「雨宮くんはさ、何でも上から見てるからそう言えるんでしょ。自分は関係ありませんって顔して、みんなのこと責めて」
「責めてるんじゃない。確認してる」
「同じだよ!」
咲良の声が教室に響く。
「言われた側は同じなの!あんたは悪い、あんたは拒絶した、あんたは支配したって、そうやって言われたら、もう何言っても言い訳にしかならないじゃん!」
その叫びは、咲良一人のものではなかった。
葛西も、羽田も、黒川も、理沙も、どこか同じような顔をしていた。
相関図は、言葉を与える。
嫉妬。支配。拒絶。沈黙。拡散。無関心。独占欲。
だが、その言葉を貼られた人間は、そこから逃げられなくなる。
弁解すれば言い訳になる。
黙れば肯定になる。
怒れば図星に見える。
だから相関図は怖い。
透真は、咲良の言葉を否定しなかった。
「そうだな」
咲良が目を見開く。
「え?」
「相関図は乱暴だ。人間の感情を一語で決めつけてる。お前が芽衣を拒絶したとしても、その全部が悪意だったわけじゃないんだろう」
咲良は黙る。
「でも、芽衣が拒絶されたと感じたなら、それも事実だ」
透真は席替え表を見る。
「だから、どっちも消せない」
咲良は何も言い返せなかった。




