第11話 「それでも俺は、何もしなかった」
「席替えの話を全部聞かせろ」
雨宮透真がそう言った瞬間、二年三組の教室は、また別の種類の静けさに包まれた。
葛西悠真は黒板の前に立ったまま、しばらく何も言わなかった。
机の上には、去年の文化祭実行委員ファイル。
旧校舎で見つかった、未央と理沙が作った手書きの相関図。
そして全員のスマホには、第三問が表示されている。
> 第三問。
> 相沢芽衣を最初に相関図から消した人物は誰か。
さらに、葛西から相沢芽衣へ伸びる灰色の線。
> 葛西悠真 → 相沢芽衣
> 沈黙 72%
そして、候補者として表示された葛西の名前。
残り時間は、一時間を切っていた。
「俺は……」
葛西がようやく口を開いた。
その声は、いつもの委員長らしい声ではなかった。
真面目で、落ち着いていて、正しいことを言う声。
今の葛西の声は言葉を選びすぎて、逆に何も選べなくなっている人間のものだった。
「俺は、芽衣を消そうとしたわけじゃない」
「それはわかってる」
透真は言った。
「でも、結果的に消したんだろ」
葛西の顔が歪む。
「言い方が――」
「悪いか?」
「悪い」
「でも、この相関図もそう言ってる」
透真はスマホの画面を葛西に見せた。
沈黙 72%。
その数字を見た瞬間、葛西は目を逸らした。
それが、何よりも答えだった。
「席替えは、文化祭準備のためだった」
葛西は言った。
「去年、二年三組は旧校舎で迷路をやることになってた。係ごとに作業しやすいように席を動かそうって話になって、俺が案をまとめた」
「芽衣は、元々誰の隣だった?」
透真が聞く。
「早瀬」
葛西は短く答える。
「芽衣さんと早瀬は、いつも一緒にいた。だから、同じ係にしたほうがいいと思った」
「なら、なぜ離した」
葛西は唇を噛む。
凛が窓際に立ったまま、静かに葛西を見ていた。
その目には、怒りというより、もう一度同じ場面を見せられているような疲れがあった。
「先生に言われたんだ」
葛西が言った。
「早瀬と相沢さんは、二人だけで固まりすぎてるって。文化祭はクラス全体でやるものだから、他の人とも関わらせたほうがいいって」
「先生って、榊原?」
羽田千尋が聞く。
葛西は頷く。
「担任もそう言ってたし、俺も……その方がいいのかと思った」
「その結果、芽衣は誰の隣になったんだ?」
透真が聞く。
葛西は答えづらそうに視線を落とした。
代わりに凛が言った。
「宮野さんの隣」
宮野咲良がびくっと肩を揺らした。
「私……?」
凛は咲良を見る。
「覚えてない?」
「覚えてるけど……でも、私が決めたわけじゃないし」
「そうだね」
凛は静かに言った。
「宮野さんは決めてない。ただ、芽衣が隣になってから、明らかに嫌そうな顔をしてた」
咲良の顔が赤くなり、次に青ざめる。
「そんなの……いきなり言われても困るでしょ。私だって他の子と一緒に準備したかったし。芽衣ちゃんとはそんなに話したことなかったし」
「だから、芽衣は何も言わなかった」
凛の声は淡々としていた。
「嫌がられてるってわかっても、席を戻してなんて言えなかった」
「私だけが悪いみたいに言わないでよ」
咲良の声が震える。
「そうは言ってない」
「言ってるじゃん!」
「言ってない。宮野さんだけじゃない」
凛は教室全体を見た。
「みんなだよ」
その言葉に、誰もすぐには言い返せなかった。
透真は葛西に視線を戻す。
「葛西。芽衣は席を変えられてから孤立したのか」
「……すぐにじゃない」
「すぐに、ではない」
透真はその言い方を繰り返した。
「つまり、兆候はあった」
葛西はうつむく。
「最初は、ただ馴染めてないだけだと思った。早瀬と離れて不安なんだろうって。未央が声をかけてたし、理沙も近くにいたし、俺は……大丈夫だと思った」
「大丈夫だと思ったんじゃない」
凛が言った。
「大丈夫なことにしたかったんでしょ」
葛西は顔を上げる。
「早瀬、俺は――」
「責めてるわけじゃないよ」
凛の声は冷たかった。
「ただ、そうだったって言ってるだけ」
責めているわけではない。
だが、その言葉は責めるよりずっと重かった。
葛西は何も言えなくなった。
透真は黒板を見た。
葛西が書いた時系列が残っている。
十二時十二分、未央は窓際。
十二時十八分、未央は黒板前。
十二時二十一分、未央は不在。
その下に、今度は去年のことを書き足す。
去年の文化祭準備。
席替え。
芽衣と凛が離される。
芽衣が咲良の隣になる。
未央が芽衣に関わり始める。
手書きの相関図が作られる。
相関図が紛失。
噂が広がる。
芽衣が孤立。
転校。
死亡。
点だったものが、少しずつ線になる。
けれど、その線はまだ一本ではない。
たくさんの小さな線が絡まっている。
「第三問の答えは、葛西でいいのか」
黒川奏太が言った。
声には焦りがあった。
「相関図にも候補って出てるし、席替えが最初ならそうなんだろ」
「ちょっと待て」
葛西が言う。
「俺は確かに席替え案をまとめた。でも、榊原先生も確認したし、クラスの意見も聞いた。俺だけで決めたわけじゃない」
「それ、さっき田辺さんが言ってたのと同じだよね」
羽田がぽつりと言った。
葛西が彼女を見る。
羽田は少し気まずそうにしながらも、続けた。
「私だけじゃない。みんな言ってた。私だけが悪いわけじゃない。……同じ言い方」
葛西の顔が強張る。
羽田自身も、その言葉を言いながら自分に刺さっているようだった。
透真はそれを見た。
羽田は情報を扱う側にいるつもりだった。
だが今、自分も情報を拡散した側だったことを思い出させられている。
「でも」
葛西は苦しそうに言った。
「それでも、俺だけの名前を送るのか?」
教室は黙った。
葛西が悪い。
だが、葛西だけが悪いわけではない。
その曖昧さが、全員を黙らせていた。
透真はスマホを見る。
残り時間。
> 00:42:19
誰かの名前が、また消える。
田辺麻衣のように、隠していたものを全員に見える場所へ置かれる。
今度は誰か。
咲良か。羽田か。黒川か。理沙か。葛西か。凛か。
誰もが、自分のスマホを見ている。
誰もが、自分ではない誰かの名前が送られることを願っている。
透真はその空気を読んだ。
これが犯人の狙いだ。
正解を求めさせる。
だが、その正解は誰か一人を差し出す形になる。
クラス全体の責任を、一人の名前に押し込める。
ひどく単純で、ひどく効率がいい。
「葛西」
透真は言った。
「お前は芽衣を消したのか」
葛西は息を詰めた。
「俺は……」
「言い訳じゃなくて、答えろ」
葛西の指が震えていた。
葛西は正しいことを言いたがる。
責任感がある。
だからこそ、責任を負わされることを恐れている。
けれど、この問いから逃げれば、沈黙の線はもっと濃くなる。
葛西は目を閉じた。
「消した」
咲良が息を呑む。
葛西は続ける。
「そのつもりはなかった。でも、俺が席を変えた。芽衣さんが早瀬と離れて不安そうにしてるのも見た。咲良たちと上手く話せてないのも見た。未央が無理して間に入ってるのも見た」
声が震える。
「それでも俺は、何もしなかった」
葛西はゆっくり顔を上げた。
「だから、最初に相関図から消したのが誰かと聞かれたら、俺だと思う」
その言葉に、教室が沈黙した。
葛西悠真は、委員長だった。
正しいことを言う側だった。
大人に相談しようと言う側だった。
その彼が、自分の沈黙を認めた。
それは教室にいる全員にとって、逃げ道を一つ塞がれることだった。
「送る」
葛西は自分のスマホを手に取った。
「俺が送る」
「葛西くん」
理沙が呼び止める。
葛西は小さく首を振った。
「自分で送る」
回答欄に、文字が打ち込まれる。
> 葛西悠真
送信。
画面が暗くなる。
五秒。
十秒。
十五秒。
長い沈黙のあと、文字が表示された。
> 正解。
葛西は小さく息を吐いた。
だが、その下にすぐ次の文章が続いた。
> ただし、これは始まりにすぎない。
> 相沢芽衣を消したのは、一人ではない。
教室の空気がまた重くなる。
正解したのに、誰も安心できなかった。
相関図が更新される。
葛西から相沢芽衣へ向かう線が濃くなる。
> 葛西悠真 → 相沢芽衣
> 沈黙 72% → 沈黙 89%
そして、相沢芽衣の名前の周囲に、さらに複数の線が浮かび上がった。
> 宮野咲良 → 相沢芽衣
> 拒絶 64%
> 羽田千尋 → 相沢芽衣
> 拡散 58%
> 黒川奏太 → 相沢芽衣
> 無関心 61%
> 白石理沙 → 相沢芽衣
> 嫉妬 52%
> 橘未央 → 相沢芽衣
> 救済失敗 91%
最後の線を見た瞬間、理沙が息を呑んだ。
未央から芽衣へ。
救済失敗。
透真の胸の奥に、またあの言葉が浮かぶ。
救済者 92%。
救う。
失敗する。
救われる。
救われなかった。
相関図は、わざとその言葉を選んでいるように見えた。
葛西は椅子に座り込んだ。
「正解したのに……」
誰かが呟いた。
「終わらないんだ」
当然だった。
これはクイズではない。
過去を一つずつ掘り返すための儀式に近い。
窓の外は、いつの間にか夕方になっていた。
文化祭準備の時間は終わりに近づき、他のクラスからは片付けの声が聞こえてくる。
机を動かす音。
笑い声。
明日の準備について話す明るい声。
二年三組だけが、そこから切り離されていた。
担任の榊原が来れば、この異常な空気に気づくだろう。
だが今は、まだ誰も大人を呼んでいない。
呼べない。
未央の居場所の鍵を破棄すると脅されているから。
そして、何よりも。
自分たちが抱えているものを、大人に見せる準備ができていないから。
「今日はもう下校時間だぞ」
黒川が言った。
「このまま学校に残るのか?」
「残る」
理沙が即答した。
「未央はまだ見つかってない」
「でも、先生に何て言うんだよ」
「文化祭準備が長引いているって言えばいい」
「無理あるだろ」
「それでも残る」
理沙の声は揺るがなかった。
「未央の家には、今日は文化祭準備で帰りが遅くなるって連絡が入ってる。最初は、その予定だったから」
理沙は唇を噛んだ。
「でも、夜まで戻らなかったら絶対に怪しまれる。だから、今日中に見つけないといけない。だから残る」
葛西が顔を上げる。
「俺も残る。去年の資料を探す。席替え表だけじゃなくて、文化祭の係表、写真、当時の連絡メモもあるはずだ」
「私も」
羽田が言った。
「写真とグループチャットを洗う。去年の裏アカ投稿も、まだキャッシュとかスクショが残ってるかもしれない」
咲良は迷っていた。
顔色は悪い。
さっきから、田辺が飛び出していった廊下のほうを何度も見ている。
「咲良」
理沙が呼ぶ。
「無理に残らなくていい」
咲良はその言葉に、一瞬だけ傷ついた顔をした。
「……そういう言い方、嫌い」
「え?」
「未央みたい」
理沙が固まる。
咲良は唇を噛んだ。
「無理しなくていいよって言われると、逃げてもいいって言われてるみたいで嫌。でも残れって言われるのも嫌。……最悪」
そう言いながら、咲良は椅子に座り直した。
「残る。田辺のこともあるし」
凛は窓際に立ったままだった。
透真が聞く。
「早瀬は?」
「帰っても、どうせ何もできない」
「なら残るのか」
「資料を見るだけ」
「十分だ」
黒川は舌打ちした。
「じゃあ俺も残る。俺だけ帰ったら怪しいだろ」
「理由がそれか」
透真が言うと、黒川は睨んできた。
「悪いかよ」
「いや、正直でいい」
「お前、本当に腹立つな」
「よく言われる」
「誰にだよ」
「今、お前に」
黒川は何か言い返そうとして、やめた。
少しだけ、空気が緩んだ。
けれどその緩みは、すぐに消えた。
未央はまだ見つかっていない。
残り時間は六十七時間を切っている。
夜が来る。
そして二年三組は、去年の夜に置き去りにしたものを探さなければならない。
放課後のチャイムが鳴った。
他の生徒たちが帰り始める中、二年三組の数人だけが教室に残った。
葛西は文化祭実行委員のファイルを開き、去年の資料を机に並べる。
羽田は自分のスマホと学校の共有写真フォルダを見比べる。
咲良は去年の女子グループのチャット履歴を探し始める。
黒川は男子たちに去年の記憶を聞くため、数人にメッセージを送る。
凛は窓際で、古い文化祭写真を一枚ずつ見ている。
理沙は、旧校舎で見つけた手書きの相関図を机に広げた。
透真は黒板の前に立った。
そこに、今わかっていることを書いていく。
橘未央、失踪。
制限時間、七十二時間。
第一問、最後に会った人物――早瀬凛。
第二問、謝ろうとしていた相手――相沢芽衣。
第三問、最初に消した人物――葛西悠真。
ただし、複数人が関与。
最後に、未央から透真へ向かう線。
救済者 92%。
それだけは、書かなかった。
「雨宮くん」
理沙が声をかける。
「これ、見て」
彼女が差し出したのは、去年の文化祭写真だった。
旧校舎二階の迷路の前で撮られた集合写真。
写真の隅には、小さく"S.M."と書かれた撮影者らしき名前が残っていた。
そこには、笑っている生徒たちが写っている。
未央。
理沙。
咲良。
黒川。
葛西。
羽田。
凛。
そして相沢芽衣。
芽衣は端に立っていた。
けれど、その隣には凛がいる。
写真の中の凛は、今より少しだけ柔らかい顔をしていた。
未央は少し離れたところで笑っている。
その笑顔は明るい。
しかし、よく見ると。
未央の視線はカメラではなく、芽衣のほうに向いていた。
「これが、芽衣さんがちゃんと写っている最後の写真かもしれない」
理沙が言った。
凛はその写真を見た。
そして、指先でそっと芽衣の姿に触れた。
「この日までは、まだいたんだ」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
教室の蛍光灯が、低く鳴っている。
窓の外は、すっかり暗くなり始めていた。
夜の教室。
文化祭前の明るさから切り離された場所で、二年三組は一年前の写真を囲んでいた。
そのとき、理沙が机の上の手書き相関図を見つめながら、ぽつりと言った。
「これ、未完成だった」
透真は彼女を見る。
「どういう意味だ」
「未央と私で作った相関図には、最後に一本だけ線を足す予定だった」
「何の線」
理沙は、写真の中の芽衣を見た。
「芽衣さんが、本当に助けを求めていた相手」
教室の空気が止まる。
理沙は続けた。
「でも、その線を書く前に、相関図はなくなった」
透真は手書きの紙を見る。
相沢芽衣を中心にした、未完成の線。
それが今のゲームに繋がっている。
画面が震えた。
全員のスマホに、新しい通知が届く。
> 第一夜、終了。
> 君たちは少しだけ思い出した。
> けれど、まだ誰も本当の線を見ていない。
続いて、次の文字。
> 第四問は、明朝七時に提示する。
> それまでに、相沢芽衣が最後に望んだ関係を思い出せ。
カウントダウンが更新される。
> 残り時間
> 66:47:03
夜の教室に、誰の声もなかった。
ただ、古い写真の中で相沢芽衣だけが、今も静かに笑っていた。




