07
「あんたなんか大嫌い! もう絶交してやる!!」
「ふん、俺だってお前のことなんか嫌いだ! たかがプリンをちょっと食べただけで、ここまで怒るなんてな!!」
「カス……! カスぅ……! あんたなんか! あんたなんかァ! 絶対に覚えてろぉ!!」
けたたましい怒声が、平和な昼下がりの町に響き渡る。
私の名前は、マーシャ・アドミニストレーター。
当時、まだ七歳の女の子であり……この小さな町で一番恐れられている、札付きの「不良少女」だった。
土埃の舞う路地裏を抜け、優雅に町の大通りを闊歩する私を、誰も止めることはできない。
大人たちでさえ、私の不機嫌な顔を見ると苦笑いして道を譲るほどだった。
そんな私が、さっきまで顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた相手。
それは、私が楽しみに取っておいた特製のカスタードプリンを、私の許可もなしに勝手に食べやがった憎きクソガキ――ロイド・アガルタだった。
「もう二度と口利かないんだから!」と捨て台詞を吐いて絶交を宣言したものの、私の怒りは一向に収まらなかった。
あんなに楽しみにしていたのに。
表面のカラメルが絶妙に焦げていて、とびきり美味しそうだったのに。
それにしても……まだあいつ、私の後ろをコソコソとつけてきている。
しつこいわねえ、あのガキぃ。
足音も隠しきれていないじゃないの。
私はピタリと足を止め、振り返らずに声を張り上げた。
「おい、ロイド・アガルタァ! そこの木箱の裏に隠れてないで、さっさと出てきなさい!!」ビクッ、と木箱が揺れ、観念したようにロイド・アガルタが物陰から姿を現した。
服には土埃をつけ、頭には寝癖を跳ねさせた、同い年の生意気な男の子だ。
「クソっ、なんで分かったァ!! 完璧な尾行だったはずなのに!」「あんたの荒い息遣いなんて、百メートル先からでも分かるわよ! それで、何が目的よ、このクソガキ!! まだ私から何か奪う気!?」私が腰に手を当てて睨みつけると、ロイドはバツが悪そうに視線を泳がせ、やがてぽつりと呟いた。
「マーシャ……! その……悪かった。
お前のプリン、勝手に食べて」「……ふーん」私は、少しだけ目を丸くした。
こいつ……ちゃんと自分から反省できるんだ。
孤児院育ちで、いつもなら意地を張って絶対に謝らないのに、今日はやけに素直じゃないの。
少しは感心してあげてもいいかもしれない。
「だから、今度から気をつける」ロイドは、真剣な顔をして深く頷いた。
「何を? ……ま、私はあんたのこと許すなんて、まだ一言も言ってないけど!」私が少しだけ態度を軟化させて腕を組むと、ロイドは胸を張って、堂々とこう言い放った。
「今度からは、お前にバレないように『こっそり』食べる……から!」「…………ぁ゙ぁ゙?」私のこめかみで、プツンと何かが切れる音がした。
夏の暑さも相まって、頭に血が上るのが自分でもわかった。
「いや……! だから、お前が悲しまないように、完全犯罪で……!!」「歯ぁ゙食いしばれ、ロイド」「え……! ちょ、まっ……うわあぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁぁ゙!!」
私は、背中に提げていた愛用の木製の杖を引き抜くと、一切の容赦なく、全力でロイドの頭頂部に向かって振り下ろした。
ゴッ、という鈍い音と共に、ロイドの悲鳴が夏の青空に響き渡った。
(………………)それから、私は自分の家に帰ってきた。
「マーシャ。
またロイドくんのことをボコボコにしたの?」夕食のシチューの準備をしていたお母さんが、呆れたような、それでいて少し怒ったような顔で私を叱りつけてきた。
窓の外からでも、ロイドの泣き叫ぶ声が聞こえていたのだろう。
まあ、確かにあれは少しやりすぎたかな、と心の片隅で思いつつも、私はぷいっとそっぽを向いた。
「いや、ちょっと喧嘩しただけだし。
それに、先に手を出したのはあっちよ。
私のプリン食べたんだから」
「にしても、あれはやりすぎでしょ!? マーシャ!! ロイドくんの頭、すごく大きなタンコブができてたって、近所のおばさんが言ってたわよ!」
確かにそうだ。
私の会心の一撃を食らったロイドの頭には、立派なタンコブがそびえ立っていた。
でも……ロイドだって、たいしたことやってないのかもしれないけど、放っておけばとんでもないトラブルを引き起こす問題児なのだ。
例えば、私のプリンを食べようとしたのは可愛いほうだ。
この前なんて、町の商人の金庫を指して「あそこからお金を取ってくれば、一生お菓子が食べ放題だぞ!」と言って本気で銀行強盗めいたことを企てようとしたから、私が必死に止めに入ったのだ。
他にも、町のお祭りの日に広場のど真ん中で大量の爆竹を爆発させようとして、私が身を挺して阻止したこともあった。
アイツは、私が目を光らせていないと、すぐにバカなことをする。
う〜ん。
でも、やっぱり今日のプリンの恨みは深い。
あのバカなガキとは、しばらく絶交のままで良いだろう。
やっぱ。
(………………)
これは、そんな他愛のない日常が、永遠に続くと思っていた、ある日のことだった。
「マーシャ! おはよう!!」「おはよ〜! お母さん! ……あれ、お父さんは?」いつものように起きてきて食卓についた私だったが、いつも窓辺で新聞を読んでいるはずのお父さんの姿が見当たらなかった。
「お父さんはね。
今、お仕事で王都の王宮に行ってるところよ」ふ〜ん。
お父さんが王宮へ……か。
ただの地方役人だと思っていたけれど、お父さんはずいぶん出世したもんだ。
私はそんなことを呑気に考えながら、焼きたてのパンにたっぷりとイチゴジャムを塗っていた。
すると、お母さんの表情が、ふっと険しいものに変わった。
今まで見たこともないような、ひどく冷たくて、切羽詰まったような顔だった。
「あと、マーシャ」「なに? お母さん。
急に怖い顔して……」お母さんは、私の目を真っ直ぐに見据えて、冷徹な声で言い放った。
「ロイドくんには、もう絶対に、話しかけてはいけません」「……え?」パンを持った手が止まった。
この一言を聞いたとき、私は「ロイドに話しかけられないことの悲しさ」よりも、「なんでお母さんが、急にあいつのことをそんな風に言うんだろう?」という純粋な疑問が勝っていた。
いつもなら、「喧嘩ばかりしてないで仲良くしなさい」と笑って言うお母さんが、どうして。
しかし、その疑問がただの強がりであったことに、私はすぐに気づかされることになる。
その日の午後、お母さんが「少し遠く離れた町の知り合いのところへ行ってくる」と言って家を空けたあと。
誰もいなくなった静かな家の中で、一人ぼっちになった私の頬を、冷たいものが伝った。
ポロポロと、大粒の涙がこぼれ落ちていく。
拭っても、拭っても、涙は止まらなかった。
――なんだろう。
この気持ち。
私、なんでこんなに悲しくなっちゃってるんだろう。
あんなクソガキ、絶交したって清々するだけのはずなのに。
どうして、胸の奥がこんなにギリギリと締め付けられて、涙が止まらなくなってるんだろう。
私は、誰もいない薄暗い部屋の中で、膝を抱えながら独り言を呟いた。
「……会いたいよ。
ロイド」思えば、あいつと出会って三年。
あいつと出会って、いっぱい話して、一緒に町を駆け回って、いっぱい喧嘩して。
お互いにバカなことを言い合いながら、いっぱい助け合っていくうちに……。
私は。
あいつのこと……ずっと前から、好きになってたのかもしれない。
彼が隣にいない日常なんて、考えられないくらいに。
(………………)お母さんの言いつけなんて、もうどうでもよかった。
私は家を飛び出し、石畳の道を無我夢中で走った。
ロイドがいつも暇を潰している、あの大広場へと向かって。
息を切らして広場に到着すると、案の定……木漏れ日の下、ベンチにちょこんと座って下を向いているロイドの姿を見つけた。
「ロイド! 会いにきたよ!」私が期待に胸を膨らませて駆け寄ると、ロイドはゆっくりと顔を上げた。
「お前……」「ロイド! 私……!」謝ろうと思った。
プリンのことなんてどうでもいい。
絶交なんて嘘だと言いたかった。
お母さんに止められたけど、私には関係ないって伝えたかった。
しかし、私を見つめるロイドの瞳は、これまでに見たことがないほど、氷のように冷酷なものだった。
「……なんで来た。
マーシャ」その低く冷たい声に、私の足はピタリと止まった。
「え……? ロイド……?」ロイドは立ち上がり、私を汚いものでも見るかのような目で睨みつけた。
「俺は、お前のことが大嫌いだ。
それは、これからもずっと同じだ」胸を鋭い刃物でえぐられたような衝撃だった。
冗談を言っている顔じゃない。
本気で、心の底から私を拒絶している顔だった。
昨日まであんなにふざけ合っていたのに。
「とっとと失せろ。
俺に血だらけになるまで殴られたく無かったらな!!」「………………なによ」悲しみが限界を超えると、人は怒りに変わるのだと、この時初めて知った。
涙で視界が滲むのを必死に堪えながら、私は全身を震わせて、彼への反撃の言葉を絞り出した。
私の不器用な初恋を粉々に踏みにじった彼に、一番突き刺さるであろう最悪の言葉を。
「私も……! あんたなんか……!」言ってはいけないと分かっていた。
でも、もう止まらなかった。
「この世にいなければ良かった!! 死んでしまえ!!!」私の絶叫が、広場に木霊した。
取り返しのつかない言葉。
それを聞いたロイドは、一瞬だけ悲しそうに顔を歪めたように見えたが、すぐに元の冷たい表情に戻り、吐き捨てるように言った。
「ああ、それでいい! とっとと失せろ! 二度と俺の前に現れるんじゃねえ!! クソ女!!」それが、私とロイドが交わした、最後から二番目の会話だった。
こうして、私とロイド・アガルタは、本当の意味で絶交することになった。
二人の間に横たわる、決して埋まることのない残酷な真実と、世界の運命など、この時の私には知る由もなかったのだ。
****「死んでしまえ!」と叫んでしまった自分の声が、耳の奥で何度も何度も、呪いのように反響していた。
私は広場を飛び出し、入り組んだ裏路地を無我夢中で走った。
走って、走って、走り続けた。
まるで、ロイドに向けた最低な言葉から、そして自分自身の抱えきれない感情から逃げ出すように。
「なんで……っ!」溢れてくる涙を乱暴に袖で拭うが、視界はすぐに滲んでしまう。
思い出しただけで、胸の奥が焼けるようにイライラする。
あんな奴のことを、少しでも「好きだ」なんて思ってしまった私が馬鹿だった。
私の初恋は、あんな冷酷なクソガキなんかじゃない。
あんな奴……!あんな奴なんて……!「大嫌いだ……っ」嗚咽と共に漏れたその言葉は、誰よりも私自身の心を鋭くえぐっていた。
「――見つけたぞ、嬢ちゃん」不意に。
前方を塞ぐように、低く冷たい男の声が降ってきた。
「……え?」私は急ブレーキをかけ、石畳の上でつんのめりそうになりながら足を止めた。
顔を上げると、そこに立っていたのは、この辺境の町には全く似つかわしくない、磨き上げられた純白の甲冑に身を包んだ屈強な男たちだった。
胸元に刻まれた紋章。
間違いない、王国騎士団の兵士だ。
なんで……王都のエリート騎士が、こんな田舎町に?「捕らえろ。絶対に殺すなよ。
生け捕りだ」
リーダー格の男が顎でしゃくった瞬間、背後に回っていた別の気配が動いた。
逃げようと足に力を入れた時には、もう遅かった。
ゴッ!!「あ……」後頭部に、硬く重い衝撃が走る。
痛みを認識するよりも先に、私の意識は急激に暗転し、石畳の冷たさを頬に感じながら、完全な暗闇へと落ちていった。




