志願と拒否
「……弟子に、ですか」
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
保健室の中は静まり返っていた。
白いカーテンが風に揺れ、差し込む午後の光が、シュナの銀髪を淡く照らしている。
彼女はまっすぐに俺を見ていた。
あの闘技場で見せた冷たい殺意とは違う、しかしそれに匹敵するほど強い“意志”を宿した瞳。
「……ダメでしょうか」
小さな声だったが、目は拒否を許さないような、そんな雰囲気が漂う。
「いや、その…ダメというか…」と、言い淀んでいると、更に一歩踏み込んでくる。
「…じゃあ、いいってことですね?」
「いや、弟子とか取ってないし…」
数秒の沈黙。
そして——
「……なら」
シュナが一歩、距離を詰めた。
心臓が一瞬、跳ねる。
「恋人でもいいです」
「……は?」
思考が止まった。
何を言われたのか、理解が追いつかない。
無表情のまま、とんでもないことを言いやがった。
『ぶっははははははは!!』
頭の中で、ラプラスが腹を抱えて笑い転げる。
『おいおいおい!!モテ期じゃねーかクソ先生!!どうすんだよこれ!!これは禁断の関係ってやつじゃねーか!!」
「…うるせぇ黙ってろ」と、思わず小声で返してしまう。
「……誰と話してるんですか?」
シュナの視線が鋭くなる。
「……いや、なんでもない」
危ない…。
シュナはじっとこちらを見つめたまま、さらに一歩近づく。
逃げ場がない。
「……どっちがいいですか?弟子、恋人か」
距離が近い。
吐息がかかりそうなほどだった。
無表情。
だが、その奥にある執着のようなものが、はっきりと伝わってくる。
『こえぇよこの女!!完全に捕食者の目してんぞ!!』
「……はぁ……それじゃあ、弟子ってことで」
軽く手を上げて制止する。
「…わかりました」と、明らかに機嫌が悪くなるシュナ。
「もしかして、婚約者とかいるんですか?」
「…いや、そうじゃないけど…。けど…一応、王女様の護衛として今は雇われていて…あくまで臨時の教師だし…」と、何とか自分を下げて言葉を繕ってみるが、彼女には響いていないようだった。
けど、まぁ…彼女が戦力になるならそりゃ助かるっていうか…。
「では、これから色々とよろしくお願いします。師匠」というと、そのまま居なくなるのであった。
『ありゃ、恋人って話も絶対諦めてねーな。モテモテじゃねーか、せんせーw』
…だろうな。
おいおい、そういう色恋沙汰をしている時間は俺にはないんだがな…。と、思わずベッドに寝転ぶ。
足音が遠ざかり——完全に消えた。
静寂。
「……はぁ」
思わず深くため息をついた。
『いやぁ、面白ぇことになってきたなぁ?』
「他人事だと思って楽しんでんじゃねぇ」
『だってよぉ、あの氷の女王がお前にだけは心を許してるみたいじゃねーか。役得生かさねーと一生童貞だぞw』とか煽られる。
童貞ね…。
「……」
この世界で自分の子孫を残すとか全く考えてこなかったが…。
そういう人生もありかもしれないなとそんなことを考えていた。
『で?どうすんだよ』
「何が?」
『そりゃ、王女様とあの女王だよ。どっちにするか…いや、どっちも取るってのもあるかもな』とか、ゲスなことを言ってくる。
「ここで求められてるのは普通に教師をやることと…それと、近く迫る戦争に向けての戦力強化だ」
『戦争ねぇ…人間はいつまで経っても懲りないな。人は理性的とか倫理的とかいうくせに失敗から何も学びやしない。自称、神の傑作の人間様には恐れ入るよ。それじゃあ、私は寝る』というと、ぷつんとラプラスとの接続が切れる。
「……面倒なことになったな」
そう呟きながら、ゆっくりと体を起こす。
いつまでも寝ているわけにはいかない。
仮にも教師だ。
「さて……仕事するか」
⸻
アカデミア・ルミナス、実践訓練場。
広大な石造りのフィールドには、すでに数十人の生徒が集まっていた。
今日の授業は、最上級生を対象とした実践魔法演習。
担当教師の補佐として、俺も参加することになっている。
担当教師の男——中年の火属性魔法師が腕を組んで立っていた。
「すみません、少し体調が悪くて…」と、謝罪しつつ教室に入る。
「ふん……模擬戦の件は聞いている。少しはやるようだが、調子に乗るなよ」
……相変わらず歓迎されてないな。
「今日は基礎連携の確認だ。お前は後方から見て、適宜指導しろ」
「了解です」
軽く返事をして、生徒たちの方へ視線を向ける。
その中に——いた。
無表情。
そして、真っ直ぐこちらを見つめる視線。
…シュナだ。
「……」
じっと、見ている。
逸らさない。
うわ、ガン見じゃん。怖ぇぇぇ。
「……」
「それでは、二人一組で組め!前衛と後衛に分かれて、模擬戦形式で行う!」
教師の号令で、生徒たちが動き出す。
ペアを組み、距離を取り、魔力を練り始める。
その中で、シュナは——
まっすぐ、こっちに向かって歩いてきた。
「……おい」
思わず声が漏れる。
彼女はそのまま俺の前で止まった。
「……師匠、お手合わせをお願いします」
「いや…今は授業中だから。これは生徒同士の手合わせだから」
周囲の視線が一斉に集まる。
ざわつき。
ひそひそ声。
“氷の女王”が、教師に自分から話しかけている。
それだけで異常事態であった。
「……誰と組めばいいですか」
「普通に空いているクラスメイトと組め」
即答する。
しかし——
「……でも、師匠と」
「却下」
「……では、見ていてください」
そう言って、近くの男子生徒の方へ歩いていく。
選ばれた男子が、露骨にビビっているのが分かる。
「よ、よろしく……お願いします」
「……」
無言。
そして——開始の合図。
一瞬で、地面が一瞬で氷に覆われ、相手の足元を拘束する。
反応する間もなく、氷の槍が首元で止まっていた。
「……終わり」
静かな声。
数秒。
それだけで、勝負は決着していた。
「ひっ……」
「……次」
淡々と倒していくシュナ。
そして——ちらりとこっちを見る。
「……」
完全に、“評価待ち”の目だ。
ため息を一つつき、俺は歩み寄る。
「……悪くない。無駄がないな」
「……はい」と、少し頬を赤くする。
ほんの少しだけ、空気が柔らぐ。
……分かりやすいな、こいつ。
「ただし、殺意が強すぎる。これはただの訓練だってことを忘れるな」
「……加減は、苦手です」
「それも必要な技術だ」
そう言うと、彼女は小さく頷いた。
その様子を、周囲の生徒たちが呆然と見ている。
あの“氷の女王”が、素直に指導を受けているんだからな。
「……平穏な学園生活は、無理そうだな」




