日常そして
王宮の夜は、いつもより重く感じられた。
ミリア様の取引——ラルフ様を王位から外す代わりに、ベルドとの橋渡しを止める。
ヴァルドの妹を人質に取った脅し。
すべてが頭の中でぐるぐる回っていた。
でも、今は……ひとまずこの日常を送るしかない。
◇翌朝
いつものようにラルフ様の部屋をノックすると、中から明るい声が返ってきた。
「リグゼ様、入ってください!」
扉を開けると、ラルフ様はすでに着替えを済ませ、青い髪を緩く結んでいた。
シンプルなドレスが彼女の体型を優しく包み、窓から差し込む朝陽が青い髪を輝かせている。
「おはようございます。今日は少しゆっくり朝食にしましょう。ルビルさんの件とか色々あったけど……たまには少しくらいの息抜きが必要ですよね」
彼女は悪戯っぽく微笑みながら、テーブルに並んだパンと果物を指差した。
俺はいつものように向かいに座り、朝食を食べることにした。
並べられているのはどれも一級品の料理ばかり。
ありがたくいただくべきなのだろうが、うまく喉を通らない。
「そうですね。城下町の噂も少し落ち着いてきたようですし……今日はどこかへ?」
ラルフ様は目を細めて笑った。
「実は……今日は王宮の庭園で過ごしたいんです。花がちょうど咲き始めた頃で、静かでいい場所があるんですよ。リグゼ様も一緒にどうですか? 護衛だからって、休んじゃいけないわけではないですから。そう、私の好きな花をプレゼントしますよ」
そう言って彼女は俺の手を軽く握ってくれた。
朝食はいつものように穏やかだった。
ラルフ様はパンをちぎりながら、それから子供の頃の話を少しだけしてくれた。
「昔は……姉様たちとも仲が良くて、よく一緒に庭園で遊んだんです。 エルザ姉様はいつも丁寧に完璧に花を摘んで、私に花の冠を作ってくれたり、ミリア姉様は『効率的に』って言いながら私が好きな花を本を見ながらたくさん育ててくれて…。あの頃はお父様とお母様もいて…みんな笑っていたのに…どうして変わってしまったんでしょうか」
彼女の声は少し寂しげだった。
「変わらない人間は…いないと思います。良くも悪くも。どこかにターニングポイントがあって…たまたま周りの人が悪い方向に変わってしまっただけだと思いますよ」
「そう…ですかね。でも、リグゼ様がいてくれるから大丈夫です。リグゼ様だけは変わらずいてくれれば…。今日はゆっくりお話ししましょう。リグゼ様の話も聞きたいです。私の護衛さんとして……じゃなくて…いち友達として」
俺は苦笑しながら頷いた。
「友達、ですか。護衛の仕事はしっかりしますけど……少しだけ、ゆっくりしてもいいかもしれませんね」
朝食の後、俺たちは王宮の裏庭へ向かった。
季節の花々が色とりどりに咲き乱れ、遠くから見ればまるで絵画のようだった。
ラルフ様はベンチに座り、俺は少し離れた位置で周囲を警戒しながらも、彼女の横に腰を下ろした。
「ねえ、リグゼ様。この花……覚えてますか? 初めて会った森で、私が転んだときに咲いていた花と同じ種類なんです」
彼女は小さな青い花を摘み、俺に差し出した。
俺は受け取りながら、静かに答えた。
「あぁ、覚えています。あの夜…そういえばこんな花が咲いていましたね」
ラルフ様は少し頰を赤らめ、目を伏せた。
「私の人生は今のところ、あまり幸運とは思えないです。きっとこの先もどれだけの苦難があるか…わかったものではないですから」
風が花びらを舞わせ、静かな時間が流れた。
ミリア様の取引も、ベルドの影も、ザルガスの脅しも——
今はこの瞬間だけは、遠く感じられた。
しかし、俺は知っていた。
この穏やかな日常は、いつまで続くかわからない。
ラルフ様が花を指で摘みながら、ふと呟いた。
「リグゼ様……何かあったら、すぐに教えてくださいね。私は……あなただけを信じていますから」
俺は小さく頷きながら、心の中で誓った。
この日常を守るために——
どんな影が迫ってきても、絶対に離れない。
王宮の庭園に、朝の陽光が優しく差し込んでいた。
そこで俺はあることを決心して、彼女に告げることにした。
「ラルフ様…お話があります」
「…話?」
「はい、これは私の過去の話です」
「過去の話…ですか。それは興味深いですね」
「過去…とはいっても、ここに来る前の転生前の話になりますが」




