第08話 通過儀礼
「いきます!」
「いつでも」
剣道でよく見た構え。
そのまま女子高生が、迷いなく間合いを詰めてくる。
リン・カミヤ。
日本での名前は、神谷凛。
県大会で優勝した帰り道、この世界に転移したらしい。
何とも、運の悪いやつだ。
「やあああああっ!」
「ほいっと」
家は道場を営み、本人も剣道三段。
その鍛錬の賜物か、いきなり異世界へ来ても気丈に振る舞っている。
まあ、夜になると一人で泣いていることには、触れないでおいてやろう。
「まだまだ!」
「狙いを叫ばなくなったのはいいけど」
実際、俺と出会うまでの立ち回りは見事だ。
この街から半日ほど離れた森に転移して、彼女が最初にしたこと。
それは、水の確保だった。
川を見つけ、そのまま下流へ向かい、この街へたどり着いた。
城門を守る門番に事情を説明した後、冒険者ギルドへ案内された。
「てええええいっ!」
「……動きが直線的なんだよな」
実のところ、地球から流れ着く者は、たまにいる。
だが、生き残れる者は少ない。
街へたどり着く前に、命を落とす者がほとんどだ。
彼ら、彼女らが残した『漂流物』だけが、市場へ流れ出る。
それが、地球から来た者がいたという証だった。
「これっ、なら!」
「その困ったら、突きを出す癖を止めろ」
「ぐうっ!?」
言葉に関しては問題ない。
どういう理屈かは分からない。
しかし、地球から来た者は不思議とこの世界の言葉を理解できる。
「はい、おしまい」
「……あ、ありがとうございました!」
今、リンは日本語を話している。
俺には日本語に聞こえる。
だが、この世界の者には、この世界の言葉として聞こえているらしい。
******
「うっ……。本当にやるんですか?」
さっきから豚の鳴き声がうるさい。
木に繋がれているというのに、必死に逃げようとしている。
リンは豚を見つめたまま、ナイフを握る手を震わせていた。
「やれ」
俺は短く答えた。
ポケットから煙草を取り出し、火をつける。
「で、でも……。」
リンは助けを求めるような目で、俺を見た。
剣を振るうことと、命を奪うことは違う。
剣道で鍛えた腕があっても、そこには大きな壁がある。
俺は、煙をゆっくり吐き出した。
「この先、モンスターを倒して稼ぐんだぞ。
豚一匹捌けないで、どうする?」
リンは返事をせず、しばらく黙り込んだ。
その間、俺は煙草を吸っていた。
気づけば、一本の半分ほどが灰になっている。
「それとも、ゴブリンから試すか?」
煙草を指で弾き、灰を落とす。
リンの目が、わずかに揺れた。
ゴブリンなら、と考えたのだろう。
甘い。
ここはマンガやゲームの世界ではない。
ゴブリンは亜人だ。
人の形をした存在を斬るという経験は、別の意味で重い。
「お前の腕なら負けることはないだろう。
だが、いきなり人型を相手にする方が、よほどきついぞ」
リンは唇を噛み、俯いた。
やがて、小さく息を吐く。
「……や、やります!」
「おう、やれ」
震える声だった。
それでも、覚悟を決めた顔をしていた。
******
「……美味しい!」
パチパチッ、と焚き火の薪が小さく爆ぜた。
森の奥から、フクロウの鳴き声が届く。
「そうかそうか」
俺は、豚肉の串焼きを頬張りながら、口元を緩めた。
今夜は豚づくしだ。
というか、豚しかない。
「でも、ニキビでちゃいそう」
「街の外で、贅沢を言うな」
正直、おっさんには肉ばかりは少々きつい。
まあ、仕方がない。
パンを持ってくるのを忘れた俺が悪い。
口の中の脂を流そうと、荷物から酒瓶を取り出す。
「酒、飲むか?」
「……えっ」
リンが目を丸くする。
「お前の世界では許されなかったかもしれない。
だが、ここは違う」
瓶の栓を抜く。
とくとく、と自分のマグカップへ注ぐ。
俺は知っている。
毎晩、俺が酒を飲むたび、リンがちらちらと視線を向けていたことを。
たぶん、リンの両親は酒を嗜まない人だったのだろう。
「冒険者は明日死ぬかもしれない仕事だ。
今日を生き延びたなら、それを祝うくらいは許されている」
「じゃ、じゃあ……。ちょ、ちょっとだけ!」
大義名分を作ってやると、リンは素直に乗ってきた。
水を飲み干し、空になったマグカップを勢いよく差し出した。
「おう、飲め」
酒瓶を傾け、琥珀色の液体で満たす。
「はい、いただきます!」
リンは意を決したように、マグカップへ口をつけた。
そして、喉がゴクリと鳴る。
次の瞬間。
「けほっ! けほっ! けほっ!
……な、何ですか! こ、これ!」
リンは涙目になりながら、慌てて口元を押さえた。
「くっくっくっ……。火酒ってやつだ。
普通は舐めるように飲むんだよ」
俺は笑いながら、自分のマグカップを傾ける。
いつものように、煙草を一本取り出した。
「さ、最初に教えてくださいよ!」
「何事も経験さ。やってみなきゃ分からない」
火をつけ、一吸い目の煙をゆっくり吐き出す。
わざとリンの方へ流した。
リンは手で煙を払い、恨めしそうな顔で俺を見る。
「もーーー……。先生って、いつもそうですよね」
「人生を楽しむコツってやつさ」
焚き火の音を聞きながら、俺は久しぶりに穏やかな夜を過ごしていた。
******
「うぷっ……。頭、痛い。気持ち悪い……。
先生……。これって、二日酔いってやつですよね?」
「自分の弱さを一つ、お前は知った。
それも、強くなるための一歩だ」
「……上手く誤魔化された気がする」




