第05話 帰る場所
「ここ、不便過ぎだろ」
大陸北部。
高い山脈に囲まれた、不毛の地。
瘴気に満ちる森を抜け、毒沼を越える。
その先には、白亜の魔王城が静かに佇んでいた。
なぜ、こんな場所に魔王城を築いたのか。
「あの爺さん、カリスマは凄かったけど……。
地政学ってものを知らなかったんだろうな」
その理由を知る者は、もういない。
城を築いた先代の魔王は、遠い昔に俺が倒したからだ。
「よう、おつかれさん」
城門の左右を守る二匹のオーガに声をかける。
オーガは亜人種だが、正直、俺にはいまいち顔の見分けがつかない。
しかし、俺の顔を見るなり頭を下げたところを見ると、門番歴は長いのだろう。
だったら、次に俺が何をするかも分かるだろう。
そう思い、くわえていた煙草を差し出す。
すると、片方のオーガがすっと跪き、灰皿を恭しく差し出した。
煙草の火をもみ消し、城内へ向かって歩き出す。
「んっ、ありがとう」
無駄に天井が高く、やたらと広い廊下。
多くのモンスターは、人間より大きい。
ならば、この廊下の設計は間違っていない。
だが、玉座のある謁見の間まで一直線なのは、城としてどうか。
さらに、謁見の間のすぐ手前には、ドラゴンが降り立てる中庭まである。
難攻不落の地に築かれた、脆い魔王城。
何とも妙な話だ。
「まあ、最大戦力が魔王自身だから、正しいといえば正しい。
でも、帰ってくるたびに、もやっとするんだよなーー……。」
普段の魔王城は、静かな場所だ。
廊下を行き交う者も少ない。
モンスターは、基本的に政治を好まない。
根底にあるのが、弱肉強食という価値観だからだ。
そのため、ここに住んでいるのは、魔王軍の中でも行政を担う一部の者たちになる。
ここが賑わうのは、魔王軍の招集がかかったときくらいだ。
「おっ!?」
先の十字路、その右手から現れた男と目が合った。
宰相だった。
魔王である彼女は、平時は眠っている。
魔王軍を支えているのは、彼だ。
「……あっ」
しまった、とでも言いたげな顔で、宰相が足を止めた。
相変わらず、顔色が悪い。
しかし、彼はヴァンパイア。
顔色が悪いくらいが、元気な証拠になる。
目の下のクマも、いつものことだ。
むしろ、クマがなかったら病気を疑う。
「そろそろ、お帰りになる頃と思っていました」
「ああ、ただいま」
俺は見逃さなかった。
宰相は平静を装っている。
だが、俺が近づいた瞬間、わずかに足を引いた。
「……で?」
「何でしょう?」
今度は、視線を逸らした。
「子どもの頃から頭の良かったお前なら、分かっているだろ?」
ついには、目が泳ぎ出す。
その後ろでは、宰相の秘書であるサキュバスが顔を背け、肩を震わせていた。
「俺のオーダーは、国境での小競り合いだったよね?」
「あそこは経済の要所だ」
「あの国の経済が崩れれば、周辺国とのバランスまで変わる」
「せっかく、いい感じに育っていたのに、だ」
「……俺の予想、間違ってる?」
俺は淡々と告げた。
沈黙が落ちる。
廊下を行き交う者たちも、息を殺して立ち止まっていた。
「せ、戦場とは生き物です。
と、ときに、予想外の事態は起こります」
たっぷりと十秒待って、出てきたのが苦しい言い訳だった。
俺は、深く息を吐いた。
「魔王様の、これからの遊び場を減らしてどうする」
「うっ!」
宰相が息を詰まらせる。
この世界で、何よりも優先される理由だ。
その言葉を聞いた瞬間、周囲にいた者たちは膝を折り、頭を垂れた。
「……というか、あのミノタウロス。
あんな馬鹿が突撃隊長とか、もっとマシな人材はいなかったのか?」
俺は懐に手を入れた。
煙草が無性に吸いたくなった。
「おい」
「はっ!」
宰相の短い声に、秘書が反応する。
目配せを受け、立ち上がった。
秘書が両手で差し出したのは、紙に包まれた箱だった。
「こ、これはっ!?」
俺は目を見開いた。
茶色の紙包み。
その封には、状態維持の魔術が込められた赤い蜜蝋が使われている。
大陸南東部の限られた地域でのみ作られる、極上の煙草ブランドだ。
「……い、いいのか?」
思わず、箱と宰相の顔を交互に見る。
宰相はにこりと笑った。
「あなたのために用意しておきました」
「そ、そうか! あ、ありがとう!」
明らかな懐柔策だと分かっていた。
だが、欲しくても市場には滅多に出回らない品だ。
最後に吸ったのは、十年以上前になる。
最高の煙草は、最高の女と共に。
そう思うと、我慢できなくなった。
俺は魔王である彼女の部屋へ急ぐ。
「今回だけだからな!」
「承知しています」
一応、五歩ほど歩いたところで、宰相に釘を刺しておくのは忘れない。




