第03話 サウザンドという男
「ふぅ~~……。酒は飲んでも飲まれるなってね」
月明かりが照らす酒場からの帰り道。
俺はほろ酔い気分で、路地裏を歩いていた。
「……んっ」
だが、俺の感覚が何かを捉えた。
酔いで鈍っていた思考を、能力で無理やり引き戻す。
ぼやけていた視界が鮮明になり、酒の熱が身体から抜けていく。
「今夜は、三日月ですよーっと」
それでも、気づいていないふりをする。
俺は何事もなかったように、そのまま歩き続けた。
あと五歩。
建物と建物の隙間にある細い路地。
そこにいる。
俺は、両手をあえてポケットの中に入れる。
剣術でいうところの『居合抜き』の応用だ。
武器を持たず、相手に初動を悟らせない。
奇襲の一手として、これほど便利なものはない。
(さあ、どうぞ)
そう心の中で呟き、あと一歩まで近づいた瞬間。
「サウザンド様」
闇の中から、聞き覚えのある声が響いた。
「私です」
「……何だよ。お前かよ」
魔王直属の軍団に所属する、その一人。
姿を見せていなくても、俺には誰だか分かっていた。
サウザンドというのは、俺の魔王軍での通り名だ。
本当の名前を知っているのは、魔王である彼女だけ。
いくつもの偽名を使っているうちに、いつしか俺を示す通り名になっていた。
「お願いします。殺気を抑えてください」
「おっ……。すまん、すまん」
言われて初めて、自分から漏れていた気配に気づく。
慌てて、それを消した。
「……で、何?」
「宰相様の裁可が下りました。
数日中、この国の北から侵攻を開始します」
「そうか」
それだけ答えて、俺は夜空を見上げた。
気づけば、シガーケースを探り、煙草をくわえていた。
「どうぞ」
闇の中から、白くて細い手が伸びる。
「おう」
その指先に灯った小さな炎で、俺は煙草に火をつけた。
三日月へ向かって、煙を吐き出す。
「分かっていると思うが、ほどほどになって言っとけよ。
あまり壊したら、魔王様が楽しめなくなるからな」
俺は、路地裏の真ん中で足を止めている。
傍から見れば、不自然な光景だろう。
「承知しております。
いつも通り、愚か者は間引いて頂いて構いません」
俺は近くの壁にもたれかかった。
酔って休んでいる男にしか見えないだろう。
「どうせ、そういうやつらを選んでくるんだろ?」
俺は、酔っぱらいらしく愚痴をこぼした。
「宰相に言っておけ。俺を便利に使うなって」
「そ、それは……。」
一瞬、影の動きが止まる。
「わ、私の口からは……」
その動揺を見て、俺は思わず苦笑した。
彼女は、優秀な隠密だ。
だが、昔から変わらないその生真面目さを、俺は嫌いではない。
「じゃあ、貸し一つだ。そう伝えておけ」
「承知しました。……では!」
闇の中から、彼女の気配が消える。
最後の一吸い。
煙を細く長く吐き出す。
「まあ……。もういくつも溜まっているけどな」
腰の高さまで左足を持ち上げる。
煙草の先を踵側の靴底へ押し当て、残った火を消した。
吸い殻入れへ収め、寄りかかっていた壁から身を起こす。
「飲み直すか」
俺は、今来た道を戻ることにした。
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「俺はやる! やるったらやるぞ!」
王都を発って、四日目。
アレンの鼻息は、いまだに荒かった。
この四日間で、何度『落ち着け』と言ったか分からない。
それでも、まだ言いたくなる。
「少しは落ち着け。
まだ三日はあるんだ。着く前に疲れるだけだぞ」
北の国境に、魔王軍の襲来あり。
その報が届くと、国王はその日のうちに軍を動かした。
あの国王、てっきり商売だけが得意な王だと思っていたが、決断力もあったらしい。
この国は、強くなるだろう。
そして、アレンが勇者として成長してくれれば言うことはない。
魔王である彼女は、きっと喜んでくれるだろう。
「でも、師匠も何ていうか……。
珍しく、やる気を出してますよね?」
アレンの指摘に、俺は思わず足を止めた。
「んっ!? ……そうか?」
自分では、いつも通りのつもりだった。
だが、アレンから見れば違うらしい。
「だって、煙草を全然吸ってないじゃないですか?」
「お前な。今は行軍中だぞ。俺だって、それくらいわきまえているさ」
呆れながら答える。
煙草を控えるくらい、状況を見れば当然の判断だ。
「普段、息をするみたいに煙草を吸ってる師匠が……。」
アレンは、本気で信じられないものを見るような顔をしていた。
「あーーっ! お前のせいで、吸いたくなってきた!」
俺は頭を乱暴にかいた。
せっかく忘れていたものを、思い出してしまった。
すぐさまシガーケースを探り、煙草を取り出してくわえる。
「もういい、吸うぞ! 騎士団長が文句を言ってきたら、お前が説明しろ!」
震える人差し指の先に火を灯す。
紫煙を吸い込むと、たちまち気分が落ち着いた。
爽快だ。
これで隣にいるのが、魔王である彼女だったなら、もっと幸せだった。
「はい、任せてください!」
しかし、今隣にいるのは、アレンである。
俺は深いため息と共に、煙を吐き出した。
本当に任せて大丈夫だろうか。
昨日のように、騎士団長から延々と嫌味を聞かされるのは御免こうむる。




