第10話 まずは合格
「おっ、いたいた」
転移した空から眼下を見下ろす。
リンがあぐらをかきながら、肉をがつがつと頬張っていた。
リボンは解いているが、制服のブラウスは白い。
きちんと洗濯はしていたらしい。
そんなところに、まだ年相応の少女らしさを感じた。
「ははっ、少しはたくましくなったな」
高度を下げてゆくと、カレーの匂いがした。
カレー粉は便利だ。
怪しい肉でも、臭みを消して食べやすくしてくれる。
それに、どんな素材にかけても大抵は美味くなる。
冒険者にとって、これほど優秀な調味料はない。
過去の転生者、あるいは転移者が、あくなき追求心の末に作り出したのだろう。
二千年前には、確実に存在しなかった。
だが今では、広く普及している。
「よう、おまたせ」
「……えっ」
大地に降り立つと、リンは目を見開いた。
手に持っていた骨付き肉を、ぽろりと落とす。
近くに転がる巨大な残骸へ目を向ける。
大きさと特徴からして、マンティコアだろうか。
あの毒針の尻尾は高く売れる。
「ここから動かなかったのはいい判断だ。
合格をやろう」
「先生の嘘つきいいいいいっ!」
リンの絶叫が荒野に響き渡る。
「一週間後って言ったじゃないですか!
今日で、何日目だと思っているんですか! 二十二日目ですよ!」
「元気があってよろしい」
俺は満足げに頷いた。
煙草をくわえ、火をつける。
俺は長年の経験で知っている。
こういう時は、下手な言い訳はせず、受け流すに限る。
「絶対、忘れてましたよね!」
「忘れてない。ただ、ちょっとだけ用事があっただけだ」
リンの鼻息は荒い。
改めて、マンティコアらしき残骸を見る。
マンティコアは可食部が多いが、カレー粉をもってしても、えぐ味が強い。
これでは機嫌が悪くなるのも仕方ない。
「やっぱり、忘れていたんじゃないですか!」
「まっ、一週間も……。二十二日だったか? 大差ないだろ?」
「大ありですよおおおおおおおおおおっ!」
しかし、答えは得た。
食には食を。
美味いものを食べさせれば、機嫌なんてすぐに直るだろう。
「分かった、分かった。
お前が食べたいって言ってた、七つ角屋のフルーツタルトを食べさせてやるよ」
俺がそう告げると、リンの動きが止まった。
「えっ!?」
怒りに満ちていた顔が、わずかに変化する。
間違いない。
やはり正解を引いた。
「んっ!? もう興味なしか?」
「食べます!」
返事は一瞬だった。
当然だ。
あくなき追求心がカレー粉を生み出したように、食とは人を動かす強い力を持つ。
どれほど怒っていても、美味いものの前では人は笑顔になる。
「じゃあ、帰るぞ。用意しろ」
「はい!」
元気よく返事をするリンを見て、俺は小さく笑った。
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「えっ!?」
リンは茫然とした声を漏らした。
転移した先。
街は、モンスターの襲撃を受けていた。
東の城門は、すでに突破されている。
家々が燃え、雄叫びと悲鳴があちこちから響き渡っていた。
「残念だが、七つ角屋も燃えているな」
「何、言ってるんですか! 助けないと!」
俺の腕の中で、お姫様だっこされたリンが、ぎょっと目を見開いた。
信じられない、とその目が語っていた。
「どうして?」
「……えっ?」
俺の問いに、リンは今度はぱちぱちと瞬きをした。
「お前は、この街に四か月前に来たばかりだ」
視線を街へ戻す。
リンにとってここは、故郷ではない。
冒険者ギルド。
定宿にしている宿屋。
行きつけの食堂。
どれも、ようやく馴染みができてきた場所に過ぎない。
「親も兄弟もいない。
友人と呼べるのは、ギルド嬢と宿のちびっ娘くらいだろ?」
リンの表情が揺れた。
すっかり俺に対する遠慮はなくなったが、リンは基本的に優等生だ。
弱音を吐かない。
誰かに甘えることもない。
だから、知り合いは多くても、深い関係を作るのは少し苦手だった。
「冒険者と兵士は違う。
冒険者に、街を守る義務はない」
俺は顎をしゃくり、西門を指した。
「あそこを見ろ。
勝てないと判断したら逃げる。
生き残ることを優先する。
それが、冒険者として正しい姿だ」
そこには、逃げ惑う冒険者たちの姿があった。
なぜ冒険者だと分かるのか。
理由は簡単だ。
兵士とは違い、統一感のない装備。
全財産を詰め込んだ背負い袋。
あれは、ひとつの場所に縛られず、自らの足で世界を渡り歩く者たちだ。
「それでも……」
小さな声が、俺の言葉を止めた。
「それでも?」
リンはしばらく黙り込む。
やがて、その視線は逃げ惑う西門から、激戦の続く東門へと向けられた。
「そ、それでも、助けられる人がいるなら助けたい!」
震える声でも、リンは叫んだ。
「……命をかける価値もないのにか?」
俺はあえて問いかける。
「この街のみんなは、何も知らない私に色々と教えてくれました!」
リンの声に迷いはなかった。
「だから、それを返したいんです!」
「そんなちっぽけな理由のために戦うのか?」
「はい、戦います!」
即答だった。
その瞳には、恐怖よりも強い意志が宿っていた。
「ふっ……。その言葉が聞きたかった」
俺は小さく笑った。
今は、それで十分だ。
力も経験も、仲間も、これから手に入れていけばいい。
街への降下を始める。




