ヒロコ
「ネチェル!アンケセナーメンはどこだ、どこにいる」
葬儀は中断し、諸々と最低限の処理を終えてからアンケセナーメンの寝室へと走った。
「ファラオ!」
寝室の方から侍女をつれたネチェルが頬を紅潮させたまま私の方へ駆けてきた。
「寝室でお休みになっておいでです」
嬉しかった。
彼女が甦ったのだ。戻って来てくれたのだ、私のもとに。
「復活を遂げられたのですね!本当に、姫様が復活されたのですね」
涙ながらに何度もそう繰り返す彼女に、「ああ」と私も深く頷き返した。
「あちらに」
ネチェルに導かれるままに寝室に向かい、寝台の傍に侍女と侍医が侍り、私の姿を認めるなり跪いた。
彼女は寝台の上で目を閉じていた。
顔色は悪いが、息をしている。頬に触れ、その温かみが指先に流れて、自分の指先を握り込んだ。
生きているのだ。生きて、私の前にいる。目頭が熱くなるほどに嬉しかった。
「時間が経てば、直に目を覚まされるでしょう」
「……そうか」
安堵とともに吐き出た返事だった。
寝台の近くの椅子に腰かけ、暖かい手を握って彼女を眺めた。
儀式中のいざこざの処理も、周りに事情を説明もしなければならない。それでもこの場を離れ難い想いが募った。
改めて目にした彼女は、記憶に残る姿よりも年下に見えた。
アンケセナーメンが自分の4つ上だったことを思えば、今の彼女には若干の幼さがある。
そもそも肌の色が違った。我々と比べると白く、以前会った北の民と比べると少し黄色がかっているようであった。復活した後は皆こうなるのだろうか。
そもそも実際に復活した人間を見たことが無いから分からない。それでも見れば見る程顔立ちは瓜二つだった。
彼女は我らに伝えられた復活とは違う形で、約束を果たしたのだ。私のもとへ帰ってきたのだ。そう信じて疑わなかった。
「ファラオ」
背後からナルメルの声がした。
「アイ殿や臣下たちが今回のことの説明を求めております」
やはり来たか、と顔を上げた。
「行こう」
立ち上がり、ネチェルを呼んだ。
「目覚めたら、そのまま宴の席へ連れて行く。アイに見せつけなければならぬからな。目覚めた時にはすぐに私に知らせよ」
「ですが、復活してすぐに宴の席にお連れして大丈夫でしょうか?もう少しお休みいただいた方が……」
ネチェルは心配でたまらないと言った様子だ。
彼女の言い分も分かるが、無理をしてでも生きた姿をアイに見せなければならない。
「姉上は現状をよく分かっているはずだ。短時間で済ます」
ネチェルが戸惑いながらも頷いたのを見届けてナルメルを連れて部屋を出ると、セテムがいた。
「行くぞ。まずはあの老いぼれを黙らせなければな」
セテムはアイが待つという場所へ案内するために歩き始める。アイへの対処を考えていると、思いつめた顔でセテムが口を開いた。
「ファラオ、お言葉ながら」
「何だ」
「あの方はまことにあの姫様なのでしょうか」
唐突に出た指摘に足を止め、側近の顔を見つめて眉を潜めた。
「何を言う。顔に違いはない。どこを疑えと言うのか」
「まことに恐れながら、姫君の身に着けている衣はあまりにも奇妙……加えて、神殿での様子も奇妙ではありませんでしたか。まるで我々のことが分かっていないような」
ナルメルは何も言わなかった。こちらの反応を見極めようとしているかのようだ。
セテムが何故警戒しているのか理解しようとする前に、否定されることへの怒りがふつふつと自分の中に沸き起こるのを感じた。
「黙れ。あれは姉上だ。それ以上口にすると、たとえお前であれど許さぬぞ」
異論は認めぬと言い放ち、再び歩き始める。セテムはそれ以上何も言わず、ナルメルも沈黙を守り続けた。そうしてアイが待つという部屋に足を踏み入れた。
対面したアイは焦っていた。
まさか死んだ人間が死んですぐに戻ってくるとは予想外だったのだろう。驚くくらい顔は青褪め、行動に落ち着きがなかった。
私はアイの前に設けられた椅子に腰掛け、老人を見やった。
「姫君が戻られたとは真ですか」
老人は間髪入れずに尋ねてきた。
「真である」
「まさか、あり得ぬ」
アイはそう吐き捨てた。
「何があり得ぬのだ。もともと我らが死後にこの身を残すのは何のためだ?死後の復活のためであろう」
「恐れながら、ここまで早い復活は前代未聞に御座います」
「復活が早かろうか遅かろうが問題ではない」
「その復活されたお姿、この目で是非とも確かめたいものですな」
「今はまだ目覚めてはおらぬ。目が覚め次第、宴の席に連れ、お前に復活した姿を見せてくれよう。これ以上今言うことはない。下がれ」
「ファラオ、私めの言葉に耳を傾けられよ。私はあなた様の御身を思って……」
アイの発言を許さず、ナルメルに目配せをしてアイを下がらせるよう命じた。
これ以上この老人と話している時間はない。ここで何を言ってもこの男が諦めないのは分かり切ったことだ。復活を遂げたアンケセナーメンの姿をその目に直に見せてやることが最善だろう。
アイはアンケセナーメンを妃とすることを阻止しようとするだろうか。行動に出るのであれば何をしてくるか。
そう考えているのもつかの間、アイを追いやったナルメルがこちらにやっていて恭しく頭を下げた。
「ファラオ、続いて大臣たち、主な貴族の者共が参列いたします。よろしいですか」
「良い、このまま通せ」
死んだはずの王家の姫君の由を聞きつけた連中がすでに王宮に詰め寄っていた。王たる私からの発言を待っているのだ。
ナルメルの合図で、女官と兵により再び扉が開かれる。
エジプト王家傘下の者たちが大勢いる中で、私はアンケセナーメンの死後の復活を果たしたことを声高らかに告げ、その姿を今夜の宴の席で披露することを明言した。
ひと段落を終えた時にはすでに陽は傾いており、降り注ぐラーの光は橙に染まっている。
復活した彼女の所へ向かう途中、見知った顔が廊下の柱の傍にあった。軽装に身を包み、夕暮れに映える妖艶な目元をこちらに向けている。
「ご機嫌よう」
父の妃であったネフェルティティだった。アイからネフェルティティを妃に迎えるよう進言されてから面と向かって会っていなかったために、その姿を目にするのは久々だった。
「聞きましたわ。姫様が復活なされたと」
「ああ」
子を失った時の陰りはもうない。ただ、父と共にいた頃のあの幸せに満ちた表情もなかった。彼女の表情は美しくありながら、同時に無でもあった。
「これで私は一人身でいられますかしら」
「そうだな」
もともと、アイの進言通りネフェルティティを自分の妃にするつもりなど毛頭なかった。それは彼女も同じようで、私の妃になる気など更々なかったのだろう。
「嬉しい。私はアクエンアテン殿下のものだけですもの」
嬉しい、と言う割に彼女は酷く悲しげだ。今だにその目には父が見えているのだろう。
「楽しみにしておりますわ。復活した人間を、私はこれまでに見たことが無いのですもの」
彼女はナルメルやセテムを通り過ぎ、そしてゆったりと私の横を通り過ぎる。
「でも、ご遺体はあるのでしょう?」
つと、そこで足を止めたネフェルティティは横目で私を見上げてきた。
「とても不思議ですこと。ご遺体が復活するわけではないのですね……それは本当に姫様なのかしら」
艶やかにそう言うと、彼女は去って行った。
その背中を見やった自分の拳は苛立ちのような感情で固く握られた。
何故皆、そこまで疑うのだ。
セテムもだ。もともと反論することをしない彼がわざわざ口にしてまで別人ではないかという疑いを提言してきた。
──ご遺体は、あるのでしょう?
ネフェルティティのその言葉にも一理ある。
遺体に魂が再び宿ることで我々は復活を遂げるのだ。なのに何故、遺体とは別の肉体をもって復活を遂げたのか──そこまで考えてかぶりを振った。
たとえそうであろうと、彼女は約束の言葉の下に私のもとへ帰ってきたのだ。我々では知り得ぬ神の許しを得たのだ。
ただの別人であるならば何故、私の声に応えた。何故、顔が瓜二つなのだ。
私との約束を、果たすためだろう。
妙な不安と確信に苛まれながら私はアンケセナーメンの部屋まで来た。
つい先ほど、目が覚めたという知らせは来ていた。とにかく支度が終えていたらすぐにでも共に皆が待つ宴の席に赴かなければならない。
賢い彼女のことだ、私の置かれた状況をネチェルたちから聞いて把握し、すぐにでも臣下やアイたちの前に赴き、自分の存在を知らしめてくれることだろう。彼女さえいれば、今の状況は確実に改善する。
セテムとナルメルは部屋の外に待たせ、女官に命じて扉を開けさせると。
「いやよ!寄らないで!!」
悲鳴ともとれる声が響いた。
「私に触らないで!!」
何を、している。
部屋の奥に入るなり、自分の目を疑った。
ネチェルたちに着替えを迫られ、それを必死に拒む予想外の彼女の姿があった。酷く怯えるようにして蹲り、私の顔を目にした途端、ますます恐怖に顔を引き攣らせた。
だがそこで困惑している暇はなかった。半ば強制的に着替えさせ、ほとんど引きずるようにして宴の席へ連れて行った。
復活の衝撃か何かで気が動転しているのだろうと無理に理由をつけ、自分を納得させた。きっと皆を目の前にすれば落ち着くと信じ切っていた。
何もなくなってしまった、自分のもとに舞い戻った彼女。
そう信じていたが、連れ出した宴の席で、彼女は落ち着くどころか大きく取り乱して泣いて私に叫んだ。
「私は弘子よ!」
訳が分からない。全く以て分からない。ヒロコとはなんだ。その顔とその姿を持って、何を言っている。この場の重要性を何故、分かっていない。
宴の席を飛び出し、どこへとも分からぬ方へと駆けて行く。
このまま逃したらもう二度と会えなくなるのではないかと感じて咄嗟に追いかけた。捕まえた彼女は大きく泣き崩れ、暴れて、床に屈みこんだ。
「あなたは私を呼んだの!!帰してよ!!私をもとの世界に!!」
私の知る彼女は、求めていた存在は、こんなに泣くような女ではなかった。
セテムたちが言っていたことが正しかったのか、と今まで抑え込んでいたものの方が大きくなり、信じていたものが潰れていくのを感じた。
この娘は私が望んでいた存在ではないのか。その可能性に、胸をかきむしりたくなるほどの悲しさに覆われる。
期待させておいて、これはなんと惨い話か。
ならばこの女は何者だ。何故、あの葬儀の場で私の下へ落ちてきた。
しばらく呆然と立ち尽くしていたが、いつまでもそうしている訳にもいかない。あの広間でおそらく騒ぎになっている。
アイが付け入る隙を与えることになる。
このまま後には引けない。自分には時間がない。手段がない。悩んで悲しみにくれている余裕など微塵もない。
「……ヒ、ロコ」
おぼろげに、彼女が先程言っていた名を呼ぶと、彼女の背中がびくりと動いて、はっとした表情で私を見上げた。
「確か、そう言ったな」
彼女はこくりと大きく頷く。
ヒロコ──面妖な名だ。こんな呼びにくい名があるのか。
大きく見開かれた黒い瞳から次から次へと大粒の涙が生みだされては落ちて行く。名を呼んだ途端に涙を溢れさせた彼女を見て、この名が紛れもなく相手の名なのだと認めざるを得なかった。
アンケセナーメンではない。顔だけが同じで威厳も王家としての素質を微塵も感じさせないこの女は、ヒロコという名なのだ。
甦ってきたのだと信じて疑わなかった相手は、望んだ相手ではなかった。再び大きな落胆に頭を打たれた気分だった。
──ならば。
考えろ。今、どうすべきなのかを。
思考を回転させて、一つ、この女の使い道を思いつく。自分の理想を貫くための、手段を。今を切り抜ける、最良の道を。
「ならば、ヒロコ」
怯えるように身を小さくした彼女は恐る恐る顔を上げた。
「今だけだ、アンケセナーメンとなれ」
「わ、私は……!」
「アンケセナーメンではないということは、嫌というほど分かった。私の知るアンケセナーメンはもっと王家の誇りに満ち、神に愛された聡い女だった。お前とは雲泥の差だ」
この女は使える。この国の行く末を、王家を、守るために。
この女がどんな目的で自分の前に現れたのか分からない。私を利用しようとしているのなら、こちらが利用してやればいい。
アンケセナーメンではないという事実は、私とこの娘との機密とする。
「だが、姿形が瓜二つなのに変わりはない。これからあの場に戻る。そこで、自分はアンケセナーメンだと名乗れ」
「何を……」
企んでいるのか。そう言いたげな様子だ。
「言う通りにすれば、お前をもとの世界とやらに帰す手段を考えてやらなくもない」
縋るような眼差しがこちらに向けられる。
手を差しだすと、一瞬ためらったもののヒロコの白い手は私の手を取った。
私は、その手を握り返した。




