部下と語らう日々[2]
年頃の娘に、毎回塗ってもらうのは悪いので馬油にした
クローヴィスは最近、香り付きのハンドクリームを使っているようだ
あと妹からよく手紙がきている
北方司令部の司令官に就任したキース。
彼はロスカネフ王国出身だが、地方都市の出身ではないので、この辺りの土地鑑はないため、常々視察を行いたいと考えていた。
ただ視察をする前に、司令官としてしておくべきことがある。
それは有力者たちとの顔合わせ。そんな社交がやっと一段落したところで、視察に向かうことにした。
キースが行う視察は、軍が所有しているこの地区の地図に間違いがないか? の確認。司令官の仕事ではないが、
「地図が間違っていると、防衛の際に困るのは、わたしだからな」
前線にもっとも近い司令部を任されている司令官としては、正確な地図は防衛作戦にとって重要なものなので、時間を作り正確さを確認する作業を行うことにした。
司令官の仕事は司令官自身に裁量が与えられているので、もちろんすぐに実行に移される。
キースの命令を受けた副官のアンデルが時間の調整や人員の選抜などを、新任のクローヴィスに教えながら整え、視察の日がやってきた。
視察先は、北方司令部が置かれている、中心地から随分と離れているため、移動にも時間がかかり――二週間ほどの日程が組まれた。
「司令官が愛犬を連れていくのは、珍しいことでもないからな」
視察の人員には、クローヴィスも含まれていた。二人が官舎を二週間も空けると、ユエンが寂しがるだろうと――世話そのものは、アンデルが人を遣るので問題はないが、キースは犬を連れていっても構わない立場なので、ユエンも同行することになった。
元は軍用犬として訓練されていた犬なので、鉄道での移動も慣れたもの。甘えん坊だが、クローヴィスと一緒に休むので、見た目だけは番犬の役割を果たしてもいた。
「実際は全く番犬じゃないがな」
「そんなことありません、閣下。ユエンは立派な番犬を務めてくれています」
「きゅうん、きゅうん」
「ユエン、そこは”わん!”と、凜々しく大きな声で」
番犬らしからぬ愛犬を連れ、二日ほどかけて視察先の地区に到着し、出迎えの現地に配属されている士官の他、地区長官やら学長など、長が付く面々に出迎えられ、丸二日かけて彼らとの会談と社交をこなし――その間に、随員たちは現地の案内人と会い、司令部から持ち出した地図と現地の地図の照らし合わせなどを行っていた。
「よーし。面倒な社交も終わった。いくぞ」
”閣下、もう少し、言葉をお選び……”という部下の気持ちなど、知ったことかとキースは言い放ち、視察に出た。
まず街中を――ユエンも連れて、徒歩で歩き回る。
「人々が生活しているから仕方ないとは言え、地図の精度をもっと上げろ」
「申し訳ございません」
「謝罪はいい。早急に手配しろ」
キースが言う通り、人が住んでいる街は、刻一刻と街の様相が変わるので、司令部が所有されている地図と、些細ながら違うところが多々あった。
確認後、地図に訂正を書き込みをしながら街中の視察を終え、次は荒廃が予想される郊外へと向かった。
キースがこの地区を選んだのは、庶民が住む街から少し離れたところに、かつての領主の邸が放置されているのが原因だった。
この辺りをおさめていた領主は、世界の流れについていくことができず、多くの貴族のご多分に漏れず没落した。
「わたしの趣味ではないな」
案内人の一人、この領主に仕えていた使用人で、貴族の使用人を辞めた後、役所の事務員として働いていたので、案内人として抜擢された。
その彼の案内で売りに出したが、誰にも買われず、放置されている荘園邸を見学したキースは首を振る――防犯の観点からも、早めに邸をどうにかしたほうが良いということで、この地区を担当する士官から、キースに荘園邸購入の打診があったのだ。
司令官ともなれば、荘園邸を購入維持できるのだが、もともとキースは興味がない上に、まったくと言って良いほど趣味に合わなかった。
――これが貴族のセンスだというのなら、貴族にはなれんな
邸の他に売れ残った伝来の家財道具なども残っているのだが、この邸の持ち主の感性がキースには全く理解できなかった。
「元使用人のわたくしめが言うのもなんですが、特別どこか優れている邸ではないので、閣下のお眼鏡にかなわないのも当然かと」
案内人が仕えて三年目くらいに貴族たちは没落し、使用人は早々に見切りを付けて、紹介状などは貰わず違う仕事についた――彼は貴族の使用人という仕事自体に、見切りをつけたのだ。
「そうだな。公金から解体費用を出す……くらいなら、別の事に使いたいところだな」
荘園邸の持ち主だった貴族は、細々と家具や宝石類を売っていたが、それでは全く足りず、最後に望みをかけて荘園邸を売りに出したのだが、希望金額で売却できないどころか、売却そのものができず、人生に悲観した彼らは自害した。
その結果、買い手のつかない邸が放置されることになった。
――最後の最後で、さらに邸の価値を下げたからな
人が死んでいても気にならないキースだが、かといって前の持ち主が失意の底で一家心中した邸など買いたいとも思わない。
――こんな広くてねじ曲がった彫刻だらけの家を買うくらいなら、装飾のない一軒家を買ったほうがいい……官舎はまともで良かったが、貴族としては質素すぎてつまらない建物なのかもしれないな
荘園邸を内見し、外に出たキースの元に、周囲を警戒していたユエンと共にクローヴィスがやってきて、
「閣下。あちらに不自然なところが」
荘園から続く森を指差した。
「なにかあったのか?」
「かつて道があった名残のようなものが。この荘園邸の地図を見ても、その先に何かあるとは描かれてはいなかったのですが」
「案内しろ」
クローヴィスの意見を受けて、キースの足元にじゃれつくユエンを上手く避けながらその場所へと向かう。
「ここだけ、不自然に木がないのです」
クローヴィスが指差した空間は、たしかにずっと先まで木がなく、生えている草も周囲とは違った。
キースは部下にその辺りの土を避けさせると、粗末ながら石畳が現れた。
「知っているか?」
「存じません」
元使用人に尋ねたが、彼も知らず――キースは部隊を二つに分けて、キース自身が指揮を執り石畳が敷かれた道の先を目指した。
もちろん「閣下はお待ちになって下さい」と言われたが、石畳に生える草とそれ以外の草をはっきりと見分けられるのはキースだけなので、
「土を避けて進んでいては、時間が掛かりすぎる」
そう言われてしまうと、見分ける能力のない部下たちは俯き、従うしかなかった。
そして軍にはあるまじきことだが、司令官を先頭に部下たちが後に続き――
「体感としては、一㎞くらいか」
森の中に「離れ」があった。
「狩猟小屋?」
元は貴族の敷地なので、山中の邸となれば狩猟小屋が真っ先に思い浮かぶ――キースが伴った部下の一人が、声を上げたのも無理はなかった。
キースの視線を受けた元使用人が「本当に知りません」と答えた。そして地図を持っている兵士も確認し、ここに邸はないと返事をする。
「人が住み着いている気配はないが、とりあえずこの廃墟が誰のものか、分かるものがないか探せ。建物は随分傷んでいるから、細心の注意を払え」
そう命じてキースは廃墟から出た――クローヴィスの手からリードを受け取り、ユエンを連れて。
しばらく室内から「メキッ!」「べきっ!」「あっ!」「ヤベッ!」「ごんっ!」などという部下たちの声や、床を踏み抜いたり、
――あの「ごんっ!」はクローヴィスが額をぶつけた音だろうな
室内が小さいため、頭をぶつける音などを、枠だけになった窓の下で聞いていた。そうしていると、
「あっ!」
明らかに何かを発見した声が、静かな森に響いた。




