1-4 日が落ちる前に(2)
花嫁の到着を静かに待っていた鳶の巣が、にわかに騒がしくなった。
要塞の外郭、空が広く開けた場所で軽装鎧の男たちが慌ただしく動き回り、堅牢な馬具を着けたムタルカたちの嘶きが響き渡る。
騒然とする砦のなか、砂埃が静かに舞う回廊の影の下、大きな麻袋を抱えて歩いていたセヴェリ家の侍女長・オリナが、その喧騒に気づいて足を止めた。
「……何の騒ぎかしら」
半眼に細められた切れ長の目の先には、ミルエティ要塞の兵士に交じって見慣れた者たちが一塊に集まっていた。花嫁を出迎えるため、はるばる北のグレベト領から付き従ったセヴェリ家の兵たちだ。
じっと見つめる灰色の瞳と尾衣の下に隠された尻尾は微動だにしないまま、ウィンプルから鋭く飛び出た、先が少し白い淡黄色の狐耳だけが、せわしなく音のするほうへ動いていた。
その時、オリナの横を一人見慣れぬ男が小走りで通りかかった。袖の絞られた黒い礼服に、六花紋の刺繍の入った灰色の聖帯を肩から下げたニト聖教に仕える神官であった。銀製の聖尾架を胸元で揺らすその白い細面は焦燥にまみれ、獅人の耳が後ろへ倒れていた。
何も知らされていないオリナが思案しようとした矢先、「おーい」とイヤに聞き覚えのある間の抜けた男の声が回廊の壁を反響した。反射的に毛並みの良い狐尾が若草色のサラカのスカートをひと叩きする。オリナは息を切らしながら近づいてくる声のするほうへゆっくりと振り向いた。
「ハァハァ……はぁーっ……この要塞、広すぎる……探したぜ、オリナ。あとはお前だけだ」
「イゾール……一体何事ですか? まさか花嫁の到着時刻を間違えていた、なんて愚かなやらかしを報告しに来たわけではないでしょうね」
両膝に手をあてて肩で息をする筆頭副官に、オリナは侍女とは思えぬ冷たい物言いを浴びせ、氷刃のような眼差しを向ける。だが、イゾールが羽織る肩衣の下から見えた兵装備と軍刀が視界に入ると、微動だにしなかったオリナの灰色の目が少しばかり揺れた。ただ事ではないと察すると、イゾールに向かって矢継ぎ早に問いを投げかけた。
「あなた、その恰好……なぜセヴェリの私兵たちが集まっているんです? さきほど東からきたという使者と何か関係があるんですか? まさか、シヴィーカの花嫁の身になにか? それに今さっきケダドゥリ教院の神官が血相を変えて走って――」
「待て、待て待て。あー……まあこれには色々あって……」
気圧されて中太の尻尾を思わず股座に巻きつかせたイゾールだったが、すぐに息を整えると、オリナに近寄って声を潜めながら狐耳に耳打ちをする。
「それよりも、侍女長殿に申し伝えだ。急遽、今からコマドリちゃんのお迎えへ行くことになった。セヴェリの家のもんの半分は残していくから、オリナもあいつらと一緒にここで待機だ。念のため、いつでも出られるように支度だけは整えといてくれ……状況次第だが、俺たちがコマドリちゃんを直接回収してそのままグレベトに直帰する可能性もあるんでな。てなわけで、異存はないな? じゃあ俺はこれで……」
「待ちなさい。異存大ありですよ。それに俺たちってどういう……」
立ち去ろうとするイゾールを引き留めようとした時だ。オリナの視界の端に、泰然と引かれ歩く角の片方の先端が欠けた青毛のムタルカが映った。ほかのムタルカたちと比べて上等でありながら使い込まれた年季が滲む誂え物の馬具は、遠目から見てもどのような乗り手なのかすぐに判別がついた。
「あれは、ジュダ……? まさか、ユーリウス様も一緒……あ、ちょっと、イゾール!」
「あとの細かいことはダトゥル殿に聞いてくれ~よろしく~」
オリナが目を離した僅かな隙に、イゾールは広場に向かって走り去っていった。聞き返したいことは山ほどあったのに、それができないもどかしさを抱えて、オリナは群衆に向かってバタバタと走るイゾールの背中を睨みつけて見送った。
間延びした声を聞き届けた狐耳が苛立って後ろに倒されるが、すぐに冷静さを取り戻してまっすぐピンと立ち直る。オリナは短くため息をつく。抱えた麻袋に不服そうな視線をやった。
温石用の丸石、羊毛の毛布、そして子供が好きな甘いキイチゴのチューツなど、幼い花嫁のために筆頭副官を走らせ揃えさせた品々が詰まった麻袋はずっしりと重たい。
「……はあ……ダトゥル殿に色々問いただす前に、まずこれの仕分けと準備を急がないと。兵たちに手伝わせようかしら……」
今度は少し長いため息を吐いてから、オリナは眉間に寄せた皴を伸ばした。涼やかな顔立ちが氷面のように静まり返る。背筋を伸ばしてその佇まいを居直すと、軸の通ったブレがない足さばきで、回廊の奥へと進んでいく。
若草色のサラカから伸びる狐尾が、強く吹いた春風に揺れた。




