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青い星のエルルカ  作者: 高芦ノリベン
第1章【花嫁行列襲撃事件】

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1-3 隻貌の花婿(2)

 ——ユーリウスは苛立っていた。胸の奥を、勝手にぐるぐるとかき乱されるような、有り体にいえば「むしゃくしゃ」していたのだ。それも昨日今日の話ではなく、ここ一カ月ずっと続いていた。

 

 苛立ちの原因はわかっている。

 それはユーリウスの片方の視界に映る一枚の紙——そこには、ニルサス領を治める名門シヴィーカ家の惨憺(さんたん)たる内情が書き記されていた。

 交易で成した財を切り詰めざるを得ない切実な財政事情、後継の弟や枝派の親類縁者にまで及ぼされている先代の悪評の弊害、シヴィーカ家を見限った有力氏族たちによる反乱の兆(きざ)し——などと、読んでいて頭痛のするような内容が仔細に並べられている。

 

 中でもやはり群を抜いて異質なのは、二年前に急死した先代領主オベロスに関することであった。狂領主と民から恐れられていた男の、晩年から遡って約六年間に渡り行われていた数々の凶行——それはまるで、廃れゆく王朝の末期を彷彿とさせる愚挙そのもの。

 下働きの者から家令に至るまで、多くの者が鞭打ちなど生ぬるいとさえ思えるような嗜虐行為(しぎゃくこうい)の被害に遭い、現状把握されているだけでも両手指の数を越えた人数が命を落としているという実態。その犠牲者の中には、長年シヴィーカ家に仕えた功労者たちも含まれていたようで、「読み書きのできる使用人は全員いなくなっていた」と書かれた一文が当時の混乱ぶりを如実に表していた。

 そして文面にはオベロスが凶行に及んだ原因と、シヴィーカ家が秘匿(かく)した「娘」のことも記述されている。

 

【双尾(ふたさび)の生えた、妾腹の娘への盲愛】


【双尾(ふたさび)の娘は先代領主の命により、およそ九年近く、領内辺境の黒い森にある石の塔に幽閉され、ごく少数の世話役による手厚い養育を受けた】


【養育過程のなかで過失が発生した場合、関係者には厳しい折檻が行われており、娘がスープをこぼして軽度のやけどを負った際には、汁の温度が熱すぎたからという理由で、罰として調理担当の指を潰すなど……】

 

 ——幾度目か見た文言に、ユーリウスは目の奥がずんっと重くなるのを感じる。

 すっかり読み皺がついた書状を雑に机の上に投げ置き、眉頭を親指と人差し指でつまんでぐりぐりと動かした。

 栄華の頂に登った一族が、一代の凡愚によって地の底まで転落するというのは往々にしてよくある話だ。問題は、シヴィーカ家ほどの貴族を没落寸前にまで困窮させたオベロス、ないし彼を狂領主たらしめた「娘」の存在こそ、ユーリウスの苛立ちと悩みの種であった。


(この双尾(ふたさび)の小娘が、僕の……妻になる……)


 眼帯の下、爛(ただ)れた焼け痕がチリッと熱を持つ。

 焼け爛れの欠陥品を充てがわれた哀れな少女に憐れみはない。

 結婚相手が神の御子だろうと、呪われた娘だろうと、ユーリウスにとってはどうでもよかった。翠嶺公にとって大事なのは、その娘が政略の道具として、どのような駒で動くのか。その一点だけ。

 幼くとも、物事の分別がつき始める十歳という年は、花嫁衣装(サヴァカ)の下に短剣を隠し持っていてもおかしくない年頃。拾った仔熊を可愛がろうと抱いた瞬間、剥き出しの鋭い爪にたちまち顔を裂かれるように、その切っ先で喉元を切り裂いてくるかもしれない。

 自由意志のない子供を力無き傀儡(かいらい)と侮ればどうなるか。

 包帯の下に隠した光を失った右目に復讐と怨嗟の炎を滾らせていた三年前の自分が耳元で警告する。

 自問自答をするように、ユーリウスはいかに「コマドリ」を厳しく管理保全するべきかという思考を頭の片隅まで張り巡らせた。

 うるさいなら猿轡をはめて、暴れるなら縛り上げて、怪しい動きを見せるなら納屋に閉じ込めてしまえばいい。支配者にとって望ましいのは、やはり物言わぬ人形なのだ。

 そして、もしも障壁となるようなら——。


 (その時は、この手で始末をつけるだけだ)

 

 腰から下がったセヴェリの紋章が刻まれた短剣(サンチャル)の鞘の先が椅子にあたり、ゴトリ、と重い金属音を鳴らす。その音はユーリウスの心を妙に騒がせた。


「若ぁ、また読み返してるんですか? それ」

 

 いつの間にか立ち上がっていたイゾールの気楽そうな口ぶりが頭上から聞こえる。

 無意識に前の方に伏せていた耳がピンッと張るように立ち上がった。ユーリウスが視線だけを上に向ける。


「ま、コマドリちゃんがどんな娘なのか、楽しみなのもわかりますよ。色々訳ありみたいですしねー」

 

 机に投げ置かれた書状を手に取ったイゾールがそれに目を通しながら楽しげに軽口を続けた。主君が頭を痛めている横で、象牙色の尻尾が左右にゆったり揺れている。

 調整役として方々(ほうぼう)を駆けずり回り、主君以上に働き詰めている男の口の端を上げた呑気な表情は、十七の青年領主をひどく癪(しゃく)に障らせた 。

 淀んだ思考の海から浮上したユーリウスは、眉頭に当てていた指を離し、そのまま少し伸びた前髪をくしゃりとかき上げて皮肉をたっぷり込めた口調で切り返した。


「楽しみ? 父親を狂わせた娘だぞ。どうせろくでもないガキに決まってる。なんならお前に下げ渡してやろうか?」

「いやいやご冗談を~、家格が全然釣り合いませんって。それに三十二のおっさんが旦那様じゃぁ、コマドリちゃんも可哀そうでしょ?」

 

 見え透いた謙遜の言葉を並べ立てているイゾールの顔には、あからさまに「面倒くさそうな地雷女はやめときます」と書かれていた。

 

 セヴェリ家に仕える者たちの中で一番最初にこの縁談を伝えられた股肱(ここう)の副官は、王太子からもたらされたその書状の内容はもちろん、それ以上のこともすべて把握している。

 知りながら、頼りない下がり眉はピクリとも動かない。アヒル口だけが軽妙に回る。

 

「その点、若は結婚相手としてはかなり優良ですよ。家格も器量も文句なし!性格はまあちょこーっとキツいとこもあるけど……会ってみたら案外息が合うかもしれないし、年の差もまぁギリギリ? お似合い? じゃないですか。向こうが成人しちまえば、七つ差なんてあっという間に気になくなりますよ。あーあ、お家騒動がなかったら、今ごろは国中の女の子たちにキャーキャー言われて、国を挙げての婚礼が……」

「理結び(成人)の儀どころか、十二の星巡りさえしてない小娘の面倒を見るのが億劫だと言ってるんだ! ちっ……他人事だと思って調子の良い言葉を並べるな、馬鹿」


 八つ当たり気味に当たられても、イゾールは道化のように口を窄めるだけで、呑気な態度が崩れることはない。

 大らかに見えてその実、自分より肝の据わっている冴えない副官の飄々(ひょうひょう)とした様子が、無性にユーリウスを腹立たせた。自分でも理不尽だと思いながら。

 わざとらしく音を立てて丸椅子から立ち上がったユーリウスは、イゾールに背を向けて外の景色に目をやる。翠の左目が南西の方角——双尾の花嫁を運ぶ行列がやって来る方向を、じっと睨みつけた。


「……輿入れの一団が街に入るのは日が落ちた後、だったな。……アレが、体調を崩して予定より到着が少し遅れると早朝報告があったが……その後、向こうからなにか音沙汰はあったか?」


 ひと呼吸押し黙って、ユーリウスは背後のイゾールに言葉をかける。先ほどまでの刺々しさは消え、その口ぶりは鋼の刃のように冷たくどこまでも抑揚がない。


「いいえ。朝の定時連絡以降、なにもありませんよ。なにか気になることでも? 私兵隊長あたりに言って今からでも馬を出して様子を確認させてきましょうか?」


 机に紙の束を広げていたイゾールがよどみなく答える。ユーリウスは軽く首を横に振った。


「……いや、いい。無暗に人を動かして、変に勘繰られるのは面倒だ。予定通りここで待つ」

「わかりました。……大丈夫ですかね、コマドリちゃん。春といえど朝晩はまだ冷えるし、子供にはなかなか酷な長旅ですわな」

「……」


 高貴たる者はみだりに感情を尻尾に乗せてはならぬ——王族の規律を厳しく叩き込まれたユーリウスの狼尾は、微動だにしない。

 腰から下げた馬鞭に手を当てて、凛と立つ黒緑のタラカの背に、イゾールはちらりと生温かい視線をやりながら「アレ」の話題をつづけた。


「しかし、健気ですよね。体調を崩して少し休を取るので遅れます。閣下もご自愛ください......って、わざわざ定時連絡用の紙に書き足したりして。字も綺麗だったし、案外良い子だったりするかもしれないですよ」

「ふんっ、どうせ途中で喚いて立ち往生してたのを、付き添いの侍女あたりが気を回して言い訳を代筆したんだろ。カビの生えたパンに金を塗ってよく見せたがろうとする典型的な貴族仕草だ」

「またそんな、ねじねじと捻くれた考え方を……いや、否定できないのがまた面倒くさいというか……あ。若が面倒くさいって意味じゃないですからね? 仰ってることは真っ当なんですけど——……」

 

 黒緑の背中から刺すような視線を感じたイゾールは、慌てて主君への失言を取り繕ってせかせかと言葉を並べ立てる。

 副官の失礼な言動にも、鼻孔をくすぐる芳香にも、もはや怒る気が失せ始めたユーリウスは背後の雑音に黒茶の狼耳を向けることもなく、黙ったまま外を眺めた。

 

 冷たい風が吹く。イゾールの言葉が頭の中で反芻(はんすう)される。


 ——子供には、なかなか酷な長旅ですわな——。


(酷なものか。たかだか一週間ほどの旅程が。温かい馬車に乗ってのうのうと運ばれることが)


 ——案外、イイコだったりするかもしれませんよ——。


(満足な衣服も着られず、冬を越せない孤児が大勢いるこの地で、双尾(ふたさび)を持って生まれただけで苦労も知らず一等の扱いを受けているであろう小娘の言葉に、優しさなどあるはずもない)


 ——妾腹の娘。盲愛。九年間。先代領主の命。石の塔。手厚い養育。折檻。——。


(そうだ。アレは……ただ、運ばれてくるだけの「道具」なんだ)

 

 ユーリウスは頭の中で渦巻く文言を、全力で否定した。

 真っ黒な墨(インク)で塗りつぶしていくように。湧き出てくる「何か」を否定するように。


(身ぐるみを剥がしてしまえば、尻尾が一本多いだけの、たかが十(とお)の小娘だ……祝福を与える神の御子だろうが、どうせこの顔を見れば恐ろしくなって逃げ出そうとするに決まってる。そうならないように僕が管理しなければ……)


 眼帯からはみ出た、薄い下顎の稜線まで突き抜ける雷模様の火傷痕を雪解け風が撫でていく。

 肌を刺す冷たさが、ユーリウスには心地よかった。


 数ヶ月前、王都滞在中に兄から持ち掛けられたこの異例の縁談。紆余曲折を経て、正式に両家の婚姻契約が結ばれたのはおよそ一ヶ月前のことだ。

 この日を迎えるため、文字通り寝食を犠牲にして準備を重ねてきた。

 後見人(シモン)との交渉、日取りの打ち合わせ、花嫁行列の旅程確認、婚礼行事の費用の算出、周辺の治安調査や情報収集、婚姻に異を唱える聖教院との折衝、王統派へのけん制——こなしてきた課題は枚挙に暇がない。

 これで終わりではない。むしろ始まってすらいない。やることはアラシュヴィ山の頂よりもうずたかく積もっている。


(明朝、ケダドゥリ教院で諸々の手続きを済ませて、この要塞内で双尾の娘を受け取ったあと、何もなければ3日後にはグレベト領、そして本拠地(ツァヴェリ)だ……やっと、館(いえ)に帰れる。こんな重たい婚礼衣装(服)、さっさと脱ぎたい)


 寝不足による疲労感と、大仕事がひとつ片付くことへの安堵感。

 ピンと張った弦がたわむように、ユーリウスの思考には珍しく余白が出来ていた。


 空を見上げると、陽は高いところに昇っている。シヴィーカの花嫁が到着する日没までまだ少し時間があることを示していた。

 誰にも聞き取れない小さな声でユーリウスはポツリと呟いた。


「……長いな」

 

 毛艶の良い黒茶色の尾の先が、ほんの少し上を向いた。

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