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青い星のエルルカ  作者: 高芦ノリベン
第1章【花嫁行列襲撃事件】

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1-1 双尾の花嫁 

 天(あま)つ果ての国より 女神ニトは大地に降臨せり。

 其は聖なる乙女の胎に 御身の祝福を授けん。

 其は乙女に御言葉を給う。

 

「こののち生まれし御子(みこ)は 我が分け身なり」

「数多の奇蹟を起こし この地に住まう全ての命に我が祝福を与えん」


 やがて 北より出でし青き星神(ほしがみ)の導きの下

 大地に生まれ落ちた神の御子は

 双(ふた)つの尾をたずさえた。


 人々は其を、双尾(ふたさび)と呼ぶ——。


【ラウジア共和国立□□□博物館所蔵:アラリス星訓文書第1集より抜粋】 


*** 


 ピューピュルルルル……。

 馬車の外から聞こえてきた笛の音のような鳥のさえずりを拾って、淡い灰色帽と分厚いウィンプルの下にある薄い猫の耳がぴこぴこっと震えた。

 

「…………」

 

 夕焼けのような橙色の大きな瞳が、ちらっと馬車の小窓のほうに向けられる。

 黒色の目隠し布(カーテン)が下ろされた小窓の隙間からは、柔らかな昼光が漏れているだけで、外の景色を見ることはできない。


 (鳥が鳴いてる)

 

 頭頂部の両耳を押さえつける円形の帽子と顔周りを覆い隠す白いウィンプルが、ずっしりと小さな頭に重しのようにのし掛かる。

 ほんの少し頭を動かすだけでも、重心が前へ傾きそうになるのを耐えながら、かぶりを小窓と反対側のほうに向ける。

 一人分のスペースをあけた隣には、『サラカ』を纏った付き添いの侍女が、端に身を寄せて座っていた。

 砂時計を思わせる曲線が特徴的なラウジア伝統の女物の衣服――金糸の刺繍が施された深い前開きの襟ぐりや二の腕を覆い隠す飾り袖、引き絞ったウエストに巻かれた銀の飾りベルトから優美に広がる裾の先、そしてサラカの下から覗く首元まで詰めた絹の下衣まで、格式の高さを主張している。

 ウィンプルから飛び出た赤茶の狐耳を時折バタバタと動かす神経質そうな狗人(ザルハン)の侍女は、ちょうど顔を反対側に背けていた。

 気づかれないように息を潜めて、細く丸みを帯びた小さな指先は、ゆっくりと黒のカーテンを少しだけずらす。

 はっ……と、濃い紅が引かれた小ぶりな唇から息が漏れた。

 

 目隠し布の隙間から見えたのは、陽の光を反射してキラキラと輝く青い広大な湖と、その向こう側に真っ白い雪のベールを被った剣先のような山々が壁のように連なっている雄大なラウジアの景色だった。

 視線が少し上にあがる。

 自分の髪と尻尾と同じ色の青い空が、木々の隙間から覗き見えた。

 もっと、見たい。そんな、単純な好奇心が湧き上がる。

 未熟な細い体躯(たいく)を縛る幾重にも重なった下衣の、さらに上から張り付く重厚な淡い灰色のベルベットがわずかに動いた。肩から鳥の翼のように広がった大きな飾り袖を引きずり、胸元から腰にかけて締め付けられたウエストから花のように広がるスカートのぴんと張った生地に皺をつくりながら、年頃には不釣り合いな花嫁衣装(サヴァカ)を纏(まと)った少女は身を捩(よじ)って小窓ににじり寄った。

 

 (わあ……あの、青い水たまりが、うみ……? じゃあ、向こうに見えるお山は……異国のお山?)


 暗い森のつめたい石の塔を出てから一年と少し。シヴィーカの館を出発してから五日。石の塔から外に出ることも、夜間以外にこの馬車から降りることも許されなかった少女にとって、小窓の僅かな隙間から見た絵本の挿絵のような色とりどりの景色。

 生まれてから十年——初めての『知らない外の世界』であった。

 

 (それとも、あれが、アラシュヴィ山? シモン叔父さまが言ってた、私がお嫁に行く「ぐれべと領」……「つぁべり」てところにある神さまのお山……あ! あれはなに? 角の生えた生き物がいっぱいいる! 青影騎士の一角獣(トールカ)みたい。あ、でも、あれは角が二本ね……)

 

 丸いおでこを小窓にくっつけて夕焼けの両眼で見る世界に、少女の心の中は、ひどくはしゃいでいた。

 サヴァカのスカートにある尾孔(テールスリット)から、もぞもぞと空色(セレストブルー)の双(ふた)つの細長い尻尾が這い出てくる。まっすぐにピンと立った二本の尻尾は、それぞれが意思を持ったようにくねくねと揺れて、少女の物言わぬ口のかわりに「喜び」を表現していた。

 しかしそれは、貴族の娘にはふさわしくない「はしたない」姿だった。

 

「尻尾をむやみに動かすのはおやめください、双尾(ふたさび)様」


 侍女の冷たく突き放すような声に、小さな肩がびくっと揺れた。

 被せられた帽子の中の耳は後ろにぺたっと引き下がり、ゆらゆらと動いていた二本の尻尾は、巣穴に戻るようにドレスの下に引っ込んでいく。

 細い眉毛をピクつかせた侍女は、赤茶色のぱさついた尻尾を尾衣(テールヴェール)の下で苛立ちげに振りながら、嫌悪感を隠そうともしない声色で続けた。


「亡き先代様の妾のお生まれとはいえ、あなたは先の王朝の末裔たる名門シヴィーカ家のご息女であり、神の御子(双尾)という特別なお印をお持ちなのです。もう少し高貴たる者の自覚をしっかりお持ちくださいませ。……まったく、理結びの儀もまだ遠いお年頃にしても、ご当主シモン様のご子女たちや他のご令嬢方は、まず人前でそのようにむやみやたらと尻尾を動かしたりしませんのに……」

 

 それは、叱りつけるというより、癇癪(かんしゃく)を八つ当たりしてるような物言いだった。

 侍女は捨て台詞のように「さっさと窓から離れてください、化粧が取れます」と言い放つ。

 

 少女は小窓から丸みを帯びた額を離して、カーテンを所定の位置に戻し、前を向いて座りなおす。ガタガタと揺れる馬車の床を見るように俯くと、小さく薄い唇をきゅっと結び、そのまま蝋人形のように固まってしまった。

 色どり豊かな外の景色に見入っていた瞳には、深く暗い影が落ちている。先ほどまでうるさかった心の中も、今はしぃん、と静まりかえっていた。

 

 厚い化粧を塗られた幼い主の横顔を、シヴィーカの館から付き従った侍女は、得体の知れない「化け物」を見るような目で見る。

 

 今、自分の隣に座る、灰色の豪奢な花嫁衣装(サヴァカ)で着飾られた双尾の娘——人畜無害そうに見える少女に関わってきた者たちが辿った凄惨(せいさん)な末路を思い出し、背筋に嫌な汗が垂れる。

 双尾の娘から視線を外した侍女は、乾いてひび割れている唇を動かし、常人には聞こえない小声でぼそりと言った。


 「……気味が悪い子」

 

 赤茶の耳を後ろに伏せて、傍にあるカーテンの閉められた小窓の向こう――見えない外を不安げに睨みつける。

 侍女はざわっと動きそうになる赤茶の尾を、湧き上がるわずかな罪悪感を押し殺すように、手袋をはめた左手で押さえつけた。

 侍女は、まるで自分自身に言い聞かせるように心の中で言い訳を連ねる。

 

 (そうよ。彼らに降りかかった災難と比べれば、今からこの呪われた娘に起こる仕打ちなんて、ぬるいものじゃない。私は悪くない。私は……悪くないわ)


***


 そっぽを向いてしまった侍女の心の内など、少女には知る由もない。

 だが、心が読めなくても、口にした言葉は分かる。蚊の鳴くような小さな音でも、小さな空色の耳には届いていた。

 

 (キミガワルイコ)

 

 帽子の中の小さな耳が拾った不躾な言葉を聞いても、頼りない輪郭でかたち作られた白い顔は、ぴくりとも動かない。

 それは、言葉の意味や、その裏にある真意を理解できないほどの無邪気な性質からくる沈黙ではなかった。

 

 何も言わず、何も聞かず、そして動かず……ただ、貝のように何もせずに黙ればいい。そうすれば、誰も傷つかなくてすむ。

 小さな檻の中に、たくさんの感情をぎゅうぎゅうにして押し込める。

 それこそが少女の――エルルカの生きてきた世界の、当たり前だった。

 

 だのに、双つの尻尾は少女の沈黙に逆らい、重たいサヴァカの下で揃えられた足にスルスルと巻き付いて、慰めるようにトン、トンと撫でてくる。動かないでと心の中で強く命令しても、ふさふさした柔らかいものが撫でつける感触は残り続けた。

 

 (きらい、きらい、きらい。アナタたちのことなんて、だいっきらい)


 外で鳴いている鳥の名前を教えてくれるような優しい親も、きょうだいも、世話役も、友もいなかった。

 生まれてから十年近く、ひとりぼっちの少女のそばにいたのは、父を狂わせ、自分を苦しめた腰から生える言うこと聞かない二本の尻尾だけ。

 

(あの石塔(へや)に、ふたつとも切って、置いてくればよかった)

(わたしは……エルは、双尾(ふたさび)なんていらないもん)

 

 小さな白い両の手が、灰色の布をぎゅっと握りしめた。背負わされた過酷な運命への精一杯の癇癪を、十歳の少女は必死に内側へ押し込める。

 少女はずっと、狂った父の歪んだ愛情が生み出した、怨嗟(えんさ)の鎖にとらわれ続けていた。

 

 新しい家でも、きっと何も変わらない。

 叔父(シモン)に冷たく言いつけられたように、「道具」として管理される生活を送るだけ。

 何者でもない、「双尾の娘」として生きるだけ。

 そんな自分が「双尾」でなくなってしまったら、今度こそひとりぼっちになってしまう。十歳の少女は、その忌むべき尾を払いのけることができなかった。

 

(……いらないのは、エルのほうなのに)


 二本の尻尾は抱きしめるように、細い白足にぎゅうと力強く巻き付いた。

 

 華奢な体のうえにずっしりとのしかかる重厚華麗な婚礼衣装(サヴァカ)。子供には不釣り合いな白粉(おしろい)と頬紅と口紅が塗りたくられた厚化粧。シヴィーカからの嫁入り道具(持参金)をのせた、華美な装飾の馬車。仕立ての良いサラカを着た侍女。

 花嫁を祝福するために用意されたすべてが、今の少女にとって蛇のように絡みついた呪縛であり、祭壇へと贄(にえ)を運ぶ鉄の檻だった。

 

 少女はスカートを握りしめていた両の手をそっと解いた。そして、小さく拳を握った右手のうえに左手を重ね、静かに祈りの形を組む。

 

(女神さま……ニトさま……わたし、イイコにします。だから……――)


 少女の密かな願いを知る者は誰もいない。


 双尾(ふたさび)の花嫁――エルルカ・シヴィーカ。

 その名の意味は「地を這う小鳥」「石端に咲く花」。

 

 わずか十歳で「政略結婚の駒」という役目を背負わされた猫の獅人(カスラル)の少女を、花嫁行列は淡々と運んでいく。

 顔も知らぬ七つ上の夫となる男について、エルルカが知っていることは「ユーリウス」という名前と、「焼け爛れ(クヴァリ・カン)の翠嶺公」と恐れられている、ということだけ。


(ぐれべとは……青い星が見えるかな)


 人を寄せ付けぬ峻険(しゅんけん)を抱く北方の領地は、まだ遠い。


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