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青い星のエルルカ  作者: 高芦ノリベン
第2章 【北の地へ】

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第2章【序】2-0 星環歴一五三三年 黒い森の石の塔

 ——星神の御言葉を賜(たまわ)りて、聖ラヤは説いた。


 「双尾(ふたさび)の子よ。天地に住まう者たちへ祝福を与えたまえ。その身はただひとりのものにあらず。ひとしく、慈しみ、尊び、愛せよ。汝の御体は主のものであり、やがては主に帰るのだ」

 

 聖ラヤはまた、民にこうも説いた。


 「民よ、慈悲深き主の恩寵(おんちょう)に背くのであれば、天河(てんが)の主(ぬし)たる星神が、お前たちを聖なる白き炎で灼(や)き尽くすだろう。汝の魂は天上に帰らず、そして永遠に土の下を彷徨(さまよ)い続けるのだ」


【聖典:第八章二節・ラヤの託宣より一部抜粋】


***


 女が、泣いていた。

 

「申し訳ありません、オベロス様! 申し訳ありません……! どうか、お許しください……!」


 女は、許しを乞うていた。

 鼻孔から血を流したその顔を、芝のうえに擦りつけ、足の間に仕舞い込んだ尻尾を小刻みに震わせながら。

 

 見上げると、父が立っていた。骸骨のお化けにそっくりな父の顔は、めずらしくリンゴのように赤かった。

 

 父が、足で女の顔を蹴り上げた。


「この愚か者がぁ! 私の可愛い娘にキズをつけたな! よくも! よくも! よくも! よくもぉ!」


 丸まった女の背を、父が何度も、何度も、何度も踏み続けた。

 申し訳ありません、許してください——同じ言葉をずっと繰り返して、女はずっと泣き叫んでいた。


 わたしは、泣いて見ていた。

 どうしていいか、わからなかった。

 どうして、父がこの人に怒っているのか、理解(わか)らなかった。


 一緒にお外で遊んでいただけなの。

 ダンゴムシを探していただけなの。

 どっちがたくさん見つけるか、その人と競争してただけなの。

 

 それで、負けたくなくて走ったら、転んじゃって、お膝を擦りむいただけ。

 見て、この布もねその人が巻いてくれたの。

 

 本当に、その人はなにもわるくないの。

 お約束を破ったのはエルなの。

 

 だからもうやめて、おとうさま。


 その優しいひとを、傷つけないで。


 父は話を聞いてくれなかった——だって、わたしはただ泣いてばかりいたから。

 

 父が、泣きじゃくるわたしを抱えて、その場を立ち去った。

 ふたつの尻尾を撫でながら、父が囁いた。

 

「ああ、かわいそうに。痛かっただろう、私のエルルカ。お前の痛みは父の痛み。そして、我が主の痛み……よぉしよぉし……」

 

 湿った吐息が耳にかかる。頭の中をミミズに這いまわられたような気持ち悪さに、耳を塞ぎたかった。

 

 肩越しに見えた女は、ダンゴムシのように身を丸めていた。土に顔を擦り付けて、啜り泣きながら、許しの言葉を繰り返していた。

 

 優しい世話役だった。わがままを聞いてくれるひとだった。あの日もわたしがお外に行きたいって、駄々をこねてお庭に連れて行ってもらった。

 

 本当は、お外で遊んじゃいけないってお約束だったのに——。

 ごめんね。ごめんね。ごめんね……。


 擦りむいた膝の痛みよりも、胸を激しく叩く痛みに涙が止まらなかった。


「泣かないでおくれ、私の可愛い娘。お前の涙は、私のために流されるものなのだから」

 

 父は私の涙を、生白い指で優しく拭った。流した涙の、本当の意味も知ろうとしないで。


 「案ずることはない。聖体に傷をつけた愚か者は、このオベロスが罰してあげよう。あの女の血を天に捧げ、神への贖罪としなければ……ああ。主よ。お許しあれ……」


 父は子供みたいに笑っていた。


 どうして笑っていたのか、なにを罰しようとしたのか、誰に許してほしかったのか。


 その時の私は、何も知らなかった。


 知らないままでいれたら、よかったのに。


 ——次の朝、優しかったその女は、塔から姿を消した。

 



 暗い森の、石の塔に閉じ込めた思い出。

 今は遠い、彼方の思い出。

 それが、エルルカのいちばん古い、そしてはじめの思い出であった。


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