第6話 商人カイ、投資する
「いやはや。
客人を迎えておきながら、
茶の一杯も出していなかったな」
ネオが穏やかに笑って言った。
「ハキ。
棚の上に、レイチェルが作ったハーブティーの茶葉がある。
淹れて持ってきなさい」
なぜバンではなく自分なのか。
そんな表情が、
ハキにはすぐに浮かんだ。
それでも彼は文句を言わず、
席を立って
棚のほうへ向かった。
「いや、
ここまでよくしてもらって、ありがたいです。
迷惑をかけていなければいいんですが」
口ではそう言ったものの、
カイに
申し訳なさそうな様子はほとんどなかった。
しばらくして、
茶が出された。
淡い香りが、
部屋の中に広がる。
「お。
いいですね。
香りがすごくやわらかい」
ネオの表情が明るくなった。
「この土地の特産のハーブティーだ。
ファイダルの茶とは、また違う香りだろう」
カイはもう一度、
杯を口に運んだ。
そして親指を立てた。
「これ、本当にいいですね」
彼はそのまま、
手にした杯を見下ろした。
「それに、この杯。
なかなかいいですね」
カイは興味深そうに、
木の杯をあちこち眺めた。
「ハーブティーって、普通はこういう
木の杯で飲むものなんですか?
香りとよく合っていますね」
ネオが答えた。
「このあたりには、グリーンソルという木が多く育つ。
だから木工細工が発達しているのだ」
彼はカイが持っている杯を指した。
「茶の杯も、この地域では
それなりに良い細工物に入る」
カイは興味深そうに、
もう一度杯をのぞき込んだ。
「いいですね。
こういう木の杯は初めてです」
その言葉に、
ネオが問い返した。
「君が暮らしていた場所では、
普段どんな杯で茶を飲むのだ?」
カイは軽く答えた。
「ガラスのコップですね」
部屋の空気が、
一瞬静まり返った。
ネオの眉が、
ごくわずかに動く。
「ガラスの杯だと?」
その声が低くなった。
「それはつまり、
ガラスを自分たちで作れるということか?」
ハキも緊張した顔で、
カイを見つめた。
カイは肩をすくめた。
「ガラスのコップくらい、
別に珍しくないですよ。
水を飲むときにも使いますし、
お茶を飲むときにも使います」
ネオとバンの目が、
再び揺れた。
カイは本当に大したことではないというように、
言葉を続けた。
「もちろん、食器まで
全部ガラスってわけじゃないですけど」
彼は指先で、
杯の縁を軽く叩いた。
「食器は陶器をよく使いますね。
木よりずっと硬いし、
形もきれいです」
そして、淡々と付け加えた。
「機会があれば、お見せできますよ。
ここまでよくしてもらったので、
贈り物としていくつか用意してもいいですし」
ネオはしばらく沈黙した。
それから、
ゆっくりとうなずいた。
「よくわかった」
その視線が、
再びカイへ向けられる。
「では君は、
これから何をするつもりなのだ?」
カイは少し考えた。
そして答えた。
「金を稼ぎます」
「金?」
「俺は商人なので」
今度の沈黙は、
さらに長かった。
カイは不思議そうな顔で、
三人を順に見た。
「どうしました?
何か変なことを言いましたか?」
ネオは茶をひと口飲んだ。
そして、ゆっくりと口を開く。
「我々のイーストンは小さな土地だが、
天然の要塞と呼べるような場所だ」
彼は静かに続けた。
「人口も少ないほうではない。
十七の村が、
この一帯に点在している」
ネオは一度言葉を切った。
そして、また続ける。
「ひと月前、
我々はその十七の村で
同時に蜂起した」
カイの目つきが、
少し変わった。
ネオは止まらなかった。
「そして領主を討った」
討った。
その言葉の重さを、
カイは理解した。
ネオの声は、
揺らがなかった。
「ここは百年前にも、
最後まで帝国に抵抗した土地だ」
歳月が流れたからといって、
その気質まで消えるわけではない。
「そして私は、ひとりではない」
ネオの目が深くなる。
「我々の側には、
長いあいだ受け継がれてきた組織がある」
小さいが、
根は浅くない組織。
カイが慎重に尋ねた。
「組織というと……
何のための組織ですか?」
ネオはカイをまっすぐ見た。
そして言った。
「簡単に言おう」
ひと息置いてから、
彼は口を開いた。
「我々は、民主主義というものを
この地に実現しようとしている」
カイの表情が変わった。
「民主主義?」
バンが口を挟んだ。
「あなたには、
聞き慣れない言葉かも……」
だがカイは、
ゆっくりとうなずいた。
「人民の、
人民による、
人民のための政治」
彼は淡々と続けた。
「そうまとめればいいんでしょうね」
その瞬間、
ネオの目が大きく揺れた。
「正確だ」
ネオが低くつぶやいた。
「私が思い描いていたものは、まさにそれだ」
そして彼は、
カイの言った言葉を
もう一度口にした。
「人民の……
人民による……
人民のための政治」
部屋の中に、
再び沈黙が下りた。
ネオはカイを見つめて尋ねた。
「我々と同じ考えが、
ファイダルにも存在するということか?」
その声には、
隠しきれない期待が混じっていた。
「それとも、
君個人の考えなのか?」
しかしカイは、
笑みを浮かべて話題を変えた。
「その話も大事でしょうけど、
ひとまず俺は、金を稼ぐほうが大事です」
彼は杯を置いた。
「そちらの話からしましょう」
ネオも我に返った。
「そうだな」
彼は少しだけ身を乗り出した。
「では私も、
単刀直入に聞こう」
ネオの目が、
カイに据えられる。
「商人なら、
我々に投資する気はあるか?」
「投資?」
「そうだ。
投資だ」
ネオの声が低くなった。
「我々には人がいる。
志もある。
土地もある」
彼は一語ずつ、
力を込めて言った。
「そして十七の村を
同時に動かせるだけの組織力もある」
ネオはカイをまっすぐ見た。
「我々が生き残りさえすれば、
この地には再び道が開ける」
バンがすぐに言葉を継いだ。
「我々を通じて、
あなたの商品を
大陸各地へ送ることができるという意味です」
彼は落ち着いて説明を加えた。
「莫大な手数料を負担する必要もありません。
海を使った大量輸送も可能になります」
カイはしばらく沈黙した。
バンとハキは、
乾いた唾を飲み込んだ。
ネオも、
カイから目を離さない。
しばらくして。
カイがうなずいた。
「いいですよ」
三人の目が、
同時に大きくなった。
カイは軽く言った。
「投資しましょう」
予想よりも、
あまりに早い答えだった。
カイは勢いよく席を立った。
「少し、外の空気を吸ってきます」
そう言うと、
彼はあっさりと部屋を出ていった。
扉が閉まった瞬間、
三人はすぐに顔を見合わせた。
最初に口を開いたのは、
バンだった。
「簡単に承諾しすぎですね」
ネオも小さく息を吐いた。
「私も、そこが気になる」
ハキが尋ねた。
「いいことじゃないのか?
素直に投資すると言ったんだろ」
バンは首を横に振った。
「素直すぎるのも、
それはそれでおかしい」
その表情が真剣になる。
「まだこちらの切り札は、
見せてもいないのに」
ハキが眉をひそめた。
「切り札?」
彼はバンを見た。
「それは何だ?」




