第5話 ファイダルの使者
ネオの家の階下では、
カイをどう扱うべきかについて
話し合いが続いていた。
最初に口を開いたのは、
バンだった。
「まず、ひとつだけ確かなことがあります。
あの男は魔法使いです」
彼は落ち着いた声で続けた。
「そして外見から見て、
東の果てにあるという
ファイダル出身である可能性が高いでしょう」
「そのくらいは俺にもわかる」
「ハキ、黙っていろ。
それで、その次は?」
ネオの問いに、
バンは静かに答えた。
「あの男が本当に遠い道のりを旅して
ここまで来たのなら、
服には当然、旅の痕跡が残っているはずです」
だが。
「あの男の服は、あまりにもきれいでした。
旅道具もなく、
着替えも持っていませんでした」
バンは短く付け加えた。
「先ほど、湯浴みの準備をしながら
確認したことです」
ハキが反論した。
「魔法できれいにしたのかもしれないだろ」
ネオが首を横に振った。
「魔法は戦闘用だ。
日常生活に使えるよう変えようとする試みはあったが、
結果はことごとく失敗している」
バンが再び口を開いた。
「つまり、
あの男は陸路でここまで来たというより、
海路で森の近くに上陸した可能性のほうが高いのです」
「なら、帝国側の魔法使いである可能性は
低くなるな」
バンとネオの会話を聞いていたハキは、
まだ納得のいかない顔をしていた。
「海路で来たって、
どうしてそこまで言えるんだ?」
バンは短く答えた。
「まだ確信ではない。
だが、そう考えるだけの根拠はある」
「どんな根拠だよ」
ハキの問いに、
今度はネオが代わりに答えた。
「ハキ。
今がどの季節か、覚えているか?」
「晩春です」
「なら、風向きは?」
ハキは一瞬、言葉を止めた。
そしてすぐに、
表情を変えた。
「東風が強い時期ですね」
バンがその言葉を引き取った。
「帝都から急いで人を送ったとしても、
この短時間で海路を使って
到着することは絶対にできない」
ハキが目を見開いた。
「少なくとも、帝国が反乱の報せを聞いて
急いで送り込んだ者ではないってことか」
ネオは静かに続けた。
「だから、残る可能性はひとつだ」
その目が深く沈む。
「あの男は、風に乗って来ることのできる東。
つまり、ファイダルのほうから来た可能性が高い」
ハキはそれでも、
完全には納得していない顔だった。
「遠く離れた東方のファイダルが、
どうして俺たちに興味を持つんだ?」
今度はバンが説明を引き受けた。
「この地が帝国のイーストン地方ではなく、
オパン公国だったころ」
バンはゆっくりと言葉を続けた。
「人々は海上貿易で富を築いていた」
晩春の東風に乗って、
ファイダルの品が入ってくる。
そして秋になり、
風向きが変われば、
今度は大陸の産物を積んで
送り返す。
ネオも続けた。
「だが、帝国がこの地を呑み込んだあと、
海禁令によって海は閉ざされた」
その結果。
「ファイダルの商人たちは
貿易の規模を縮小せざるを得なくなったうえ、
陸路上にある国々に
莫大な通行料まで払うことになった」
バンが低く言った。
「ファイダルの君主も、
この状況を快くは思っていないでしょう」
ハキが眉をひそめた。
「つまり、ファイダルの君主は、
俺たちを通じて直接交易をしたいってことか?」
「その可能性は高い」
「だから先に魔法使いを送ってきたわけか」
ネオが低くつぶやいた。
「兵を動かせば目立つ。
だが、魔法使いひとりなら話は別だ」
秘密裏に動ける。
状況が悪くなれば、
すぐに身を引くこともできる。
バンは最後に、
もうひとつ指摘した。
「あの男は、我々イーストン訛りの
帝国公用語を話していました」
バンの声が、
少しだけ真剣さを増す。
「外国人があのように身につけるのは簡単ではありません。
最初からこちらと接触するつもりで
教育を受けていたのでしょう」
その言葉に、
ネオの目が深くなった。
「事前に教育まで受けていた、ということか」
バンは短く答えた。
「はい。
おそらく、かなり前から
機会を狙っていたのでしょう」
そして。
「そこへ起きたイーストンの反乱は、
彼らにとって好機だったはずです」
今や三人の頭の中で、
カイの正体についての見方は
ほぼひとつに固まりつつあった。
ファイダルから
密偵として送り込まれた魔法使い。
ハキは頭を抱えた。
「複雑だ。
本当に複雑だな」
バンが小さく笑った。
「それでも要点は単純だ。
あの男は、俺たちの味方になり得る存在だということだ」
ネオも静かにうなずいた。
「我々はまだ弱い」
帝国と渡り合うには、
金も、
物資も、
力も必要だった。
「だが、これは我々にとっても好機だ。
ファイダルの力を借りられるかもしれん」
ハキがつぶやいた。
「敵の敵は味方、ってことか」
「完全に味方だと決めつけることはできない。
だが、敵に回す理由もない」
バンは自信を持って言った。
「だから、客人として迎えたのです」
彼ははっきりと付け加えた。
「我々が怯えた農奴ではなく、
交渉を知る勢力であることを
示すために」
ネオの口元にも、
かすかな笑みが浮かんだ。
「そうだ。
ファイダルの使者を客人として迎えた」
彼はゆっくりとうなずいた。
「そう受け取ればいい」
そのとき。
二階の扉が開いた。
カイが湯浴みを終え、
下へ降りてきた。
濡れた黒髪から、
水滴が落ちている。
彼は何でもないことのように
髪を軽く振った。
そして、長椅子にどさりと腰を下ろす。
ネオはまだ、
その大きな体に慣れていないのか、
ほんの少し身を引いた。
バンとハキも同じだった。
これまで生きてきて、
見上げなければならない相手など
ほとんどいなかった。
(本当に背が高いな)
(ファイダルの人間も、
我々とそう変わらないと聞いていたが)
(あの人が特別大きいだけなのか?)
わずかな沈黙。
その沈黙を破ったのは、
ネオだった。
ファイダルの魔法使いを相手に、
なんとか有利な交渉に持ち込まなければならない。




