③教師とは
気がつくと授業、帰りの会、掃除が終わっていた。海老名は担任用の机にある教材と、その日に実施したテストをまとめて、急いで教室を出る。
職員室のデスクに荷物を乱雑に置くと、座って一息つく間もなく体育館へ向かう。金曜日は海老名が顧問を務める、ドッヂボールクラブの活動があるのだ。
早足で体育館に向かいながら、すれ違う児童に挨拶をする。
「さようなら〜」
「さようなら〜。また来週ね!」
体育館の入り口に着くと、すでに部員である5、6年生の児童が待機していた。ドッヂボールが大好きな男女15名だ。
「センセー、早く開けてよー!」
「センセー、遅いって!」
(俺は君たちの便利屋さんじゃないからな。怒った方が良いかな。でもまあ、ドッヂボール、したかったんだもんな)
「はいはい、ごめんな。今日も頑張るぞー!」
金属製の錆びついたドアを開錠し、開く。児童は扉と海老名の隙間を通り抜けるように、急いで体育館に入っていった。子どもたちは、指示を受けずともボールとコーンを用具庫から取り出す。
「集合ー!」
キャプテンのユウキの掛け声で、子どもたちは海老名のもとに駆け寄る。
「気をつけ、礼!」
「お願いしまーす!」
特に話すことも用意していなかった海老名は一瞬躊躇した。
「今日も準備を素早くできていて良かったです。時間は限られているので、集中して取り組みましょう。まずはキャッチボールから!」
「はい!」
「気をつけ、礼!」
「ありがとうございました!」
(今日もそれらしく乗り切った。中学時代の顧問はいつも長々と話していたけれど、どうしたら話すことが思い浮かぶんだろう)
子どもたちはペアを作ってキャッチボールをしている。キュッキュッと、靴底が床に擦れる音が体育館に響き渡る。
海老名は壁にもたれて立ち、子どもたちの練習を眺めていた。
(この後職員室に戻って、今日のテストの採点をして、月曜日の授業準備をして、、)
(国語の単元計画もそろそろ書かないとな。1組のレナ先生と進度を揃えて、、)
(というか、明日は4校合同の練習試合か。やばい、ダルすぎる。いや、練習試合自体は良いけど、その後の飲み会が嫌すぎる。体調不良って言って休みたいけれど、今回は幹事を押し付けられたからな。最悪。)
ビーーー
タイマーの音が海老名を思考の世界から連れ戻した。
「集合ー!」
再びユウキの掛け声で子どもたちが集まる。キャッチボールの様子はほとんど見ていなかったが、顧問らしいフィードバックをして次の活動の指示を出した。
17:00になり、練習が終わった。集合の後、子どもたちは清々しい顔で帰っていく。
海老名も消灯と施錠をして職員室に戻ろうとする。
帰り際、倉庫を見た時、絶望した。散らかっている。ボールカゴの奥にある棚の中がグチャグチャだ。片付けを子どもたちに任せていたことを後悔した。
後日、子どもたちを指導して片付けさせても良いが、それまでに管理職に見られて嫌味を言われるのも面倒だ。以前、3年2組の下駄箱の前で「靴の乱れは心の乱れ」のような話を長々とされたのを思い出す。
ボールカゴを取り出し、その奥のカラーコーンや縄跳びなどを整頓する。棚の中には空の箱も放置されている。
(これは誰か教員が放置したんだろう。面倒くさいな)
ゴミをまとめ、用具を整頓し終わった頃には18時になっていた。この後の業務を考えると、頭が痛くなってくる。
ゴミ袋を持って職員室に戻る。机の上には教材が散らかっていた。海老名が数時間前に置いたものだ。ため息を漏らしながら片付け始める。
「海老名先生、顔、疲れてません?」
教務主任の酒井に声をかけられる。おそらく50代前半の女性だ。
「いつも頑張ってるんですからね、リラックスも忘れずに、体を大切にしてくださいね」
「ありがとうございます。」
(早く終わらないかな)
「やっぱり先生が笑顔じゃないとね。先生の表情や仕草を、子どもたちは思っている以上によく見ているものなんですよ」
(俺が今、嫌な顔をしているのには気づかないのかな?)
海老名はデスクの引き出しを、握力テストのように握り締める。
「私が担任の頃はね、職員室の鏡で笑顔の練習をして、、」
酒井の話は途中から、脳を経由することなく、両耳を通過していった。
長話テロを終えると、酒井は上機嫌で退勤していった。海老名の前には散らかった教材と採点前のテストが並んでいる。
その日、海老名が退勤できたのは20:30であった。




