②こだわり
3年2組教室前方の、担任用の机に着いた時にはチャイムの1分前だった。机の上には授業をするための教科書、裏紙に書いた指導メモ、黒板に貼れる大きな定規が置いてある。
鬼ごっこの後の子どもたちは扇風機の前に集まり、服の隙間から体に風を送り込んでいる。
(懐かしいな)
子どもたちの姿を海老名は優しい笑顔で見ていた。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴ると、子どもたち慌てて席に戻り、机の中に手を入れてガサゴソと探し物を始める。
子どもの頃の海老名にとって、チャイムは退屈な授業が始まる合図でもあり、その退屈からの解放を告げる福音でもあった。
そして今の海老名にとっては「授業モード」への切り替えの合図である。
海老名は教卓に移動する。教卓の前に立つと、1枚の写真のように、子どもたちの表情と動作がよく見える。7年間の教員生活で身についたスキルだ。
机の上に教科書とノートが揃っていない児童が5人ほどいる。海老名は普段、チャイムが鳴る前に準備を済ませておくようにしつこく指導をしている。細かい規律を守らせることが、小学生の指導には重要だと、何度も聞いてきたからだ。
子どもたちに言わなくてはならない嫌味らしい言葉たちは、条件反射のように自然と口から出るようになっていた。
「今、算数の準備ができていない人は手をあげてごらん?授業の前に何をするっていう約束だったかな?授業の準備ができないなら、休み時間に遊ぶのもダメにしちゃうよ」
小学生の頃、先生たちはなんでこんなに厳しいんだろう。なんでこんなにウザいんだろうと思っていた。中学生になって教員を目指し始めると、自分は子どもの気持ちに寄り添ってウザいことは言わない先生になるんだと思っていた。
このことを思い出すと、教師として働く自身の姿が滑稽で仕方がなく思えてくることがある。
おりがみが得意なアヤが手を上げる。
「センセー、算数の教科書とノートを忘れたので、ランドセルに取りに行って良いですか?」
「うん、良いよ」
自分の嫌味ったらしい指導が素直に受け入れられたことに小さな安堵を覚える。
「僕も取りに行って良いですか?」
「私も」
数名の児童がランドセルにある教材を取り行った。再度教室を俯瞰する。全員、学習に向かう姿勢が整っている。
「じゃあ始めようか。みんな、昨日勉強した割り算を覚えているかな?」
「覚えてる!」
「簡単だった!」
海老名の表情が明るくなる。
「そうか。じゃあこの問題の答えがわかる人ー?」
9÷3と黒板の左上に書く。
「はい!」
「はい!」
「はい!」
海老名にとって、指導メモ通りの展開は心地が良いものであった。




