97話 君の正体
思考が止まった。
宇宙人?
宇宙人とは、どういう意味だ。
目の前では、ノアさんがその場にしゃがみ込み、声を押し殺すこともできないまま小さく肩を震わせている。涙は止まらず、さっきの言葉が酔った勢いの冗談なんかではないことだけは、嫌でも分かった。
何があったんだ。
何を、こんなになるまで一人で抱えてきた。
混乱した頭の中に、馬車の中で聞いた話が浮かぶ。エマさんに見つけてもらう以前の記憶がないこと。時々、この世界では聞いたことのない言葉を使っていたこと。どこで覚えたのか分からない知識を、当たり前のように口にすることもあった。
そして、あの時一瞬だけ頭をよぎった言葉。
まさかと思って、それ以上は深く考えなかった。
俺はゆっくりノアさんの前にしゃがみ込んだ。
「ノアさん」
返事はない。俯いたまま、しゃくり上げる声だけが静かな夜道に響いている。
「聞きたいことがあります」
しばらくして、ノアさんがゆっくり顔を上げた。涙で濡れた瞳が、不安そうに俺を見つめる。
「……もしかして、別の世界の記憶を持っていたりします?」
びくっと肩が震えた。
目を見開いたまま固まり、何も答えない。
「ありますか?」
唇が小さく震える。
長い沈黙のあと、ノアさんはほんの少しだけ、こくりと頷いた。
ああ、そうか。
そうか、だから……。
馬車の中で話していた記憶のことも、たまに聞いたことのない言葉を使っていたことも、この世界の人間なら知らないはずのことを妙に自然に知っていたことも、ようやく少しずつ繋がっていく。
もっと早く気付いていたら。
こんなになるまで一人で抱え込ませずに済んだかもしれない。
そう思うと胸が痛んだが、今は後悔している場合じゃない。
まず、この人を安心させなくては。
「ノアさん、聞いてください。別の世界から来た人の実例は、これまでにも何件か確認されています。周期で言えば、五、六十年に一人くらいです。俺は直接会ったことはありませんが、今もこの世界で暮らしている方がいますし、その方たちの子孫もいます」
ノアさんの目が、わずかに大きくなる。
俺はできるだけ急がず、ひとつずつ伝わるように言葉を続けた。
「昔から研究もされています。こちらへ来た時点で体の作りが変わるのか、それとも元から大きな違いがないのか、そこまではまだ分かっていません。ただ、この世界の人たちと同じように暮らしていることは分かっています」
ノアさんは何も言わなかった。
ただ、涙を零しながら、俺の言葉を聞いている。
「そういった方を、この世界では『落ち人』と言います」
その言葉を聞いても、ノアさんはまだ何かを飲み込めずにいるようだった。
無理もない。
ずっと自分だけが、この世界に紛れ込んだ異物だと思っていたんだろう。
俺は少しだけ表情を緩めた。
「だから、ノアさん」
今度は、できるだけはっきり伝わるように言う。
「ノアさんは、宇宙人ではありませんよ」




