93話 乾杯
ホテルを出ると、王都はすっかり夜の景色に変わっていた。
昼間はあれだけ人で溢れていた通りも、今は少し落ち着いている。店先や建物には明かりが灯り、昼とはまた違った雰囲気だった。
夜の王都かぁ。
なんだか少しわくわくする。
「この近くに、落ち着いて飲める店がありますよ」
「じゃあ、そこで!」
「はい、行きましょうか」
シリルさんについてしばらく歩くと、一軒の店の前で足を止めた。
派手すぎない看板に、扉の向こうから聞こえる静かな話し声。中へ入ると、木のカウンターといくつかのテーブル席が並んでいて、明かりも少し落とされている。
ゆっくりお酒を楽しむためのお店、って感じだ。
「わぁ……」
こういうお店、ちょっと憧れてた。
大人の階段を五段はのぼってしまったかもしれない。
私たちは奥のソファー席へ案内され、並んで腰を下ろす。
「ノアさんは何を飲みます?」
「……分かりません」
「好きなお酒は?」
「ないです」
シリルさんが不思議そうにこちらを見る。
「……?」
「私、お酒飲んだことないので!」
「……え?」
今度は本気で目を瞬いた。
「初めてなんですか?」
「はい!」
「それで、飲みに行きたいと?」
「お酒を飲んでみたいお年頃だったんです」
「…………」
「そんな顔しないでください!」
しばらく黙っていたシリルさんが、とうとう堪えきれなくなったように笑う。
「ふっ……ごめんなさい」
「もう!」
「まさか初めてだとは思わなかったので」
「そんなに変ですか?」
「変ではないですけど、もう少し詳しい人だと思ってました」
「なんでですか! 私そんな酒豪っぽいですか?」
「そういう意味じゃないです」
また笑われた。
なんか悔しい。
「じゃあ、最初は飲みやすいものにしましょうか」
「せっかくなので、ちゃんとお酒っぽいやつがいいです!」
「初めてなんですからダメ」
「即答!」
全然迷わなかった。
「まずは飲んでみて、様子を見ましょう。美味しくても急に飲むと回りますから」
「大丈夫ですよ」
「その『大丈夫』が一番信用できないんですよね」
「なんでですか!」
シリルさんは少し笑いながら店員を呼び、いくつか確認してから注文してくれた。
しばらくして運ばれてきたのは、淡い色の果実酒だった。光に透かすと少しきらきらして見える。
シリルさんの前にも、私のものとは違う色の酒が置かれた。
「甘めなので、飲みやすいと思いますよ」
「へぇー……」
グラスを持ち上げて、まじまじと眺める。
これが人生初のお酒。
なんか緊張する。
匂いを嗅いでみると、果物の甘い香りがした。想像していたような強い匂いじゃない。
「これ、本当にお酒なんですよね?」
「ちゃんとお酒です」
「見た目ジュースみたいですね」
「だからって勢いよく飲まないでくださいね」
「まだ飲んでないのに注意された」
隣を見ると、シリルさんもグラスを手に取った。
「じゃあ」
こちらへ少し差し出してくる。
「今日一日、お疲れさまでした」
「シリルさんも、お疲れさまでした!」
そっとグラスを合わせる。
カチン、と小さな音が鳴った。
「乾杯」
「乾杯!」
いよいよだ。
恐る恐る一口飲んでみる。
「……!」
思っていたより、ずっと甘い。
果物の味がふわっと広がったあと、少し遅れて喉の奥がじんわり熱くなる。
「おいしい!」
「よかったです」
「もっと苦いものだと思ってました!」
「それはかなり飲みやすいものですよ」
「これなら全然飲めます!」
もう一口飲もうとしたところで、隣から声が飛んできた。
「ノアさん」
「はい?」
「ゆっくり飲んでくださいね」
「大丈夫!」
シリルさんが少しだけ眉を下げる。
「その返事が一番不安です」
「なんでですか!」
「初めて飲む人は、自分がどれくらい飲めるか分からないでしょう?」
「……確かに」
「なので、今日は僕の言うこと聞いてください」
「なんか保護者みたいになってますよ」
「心配なんです」
さらっと言われて、少しだけ言葉に詰まる。
でもすぐに、またグラスへ目を落とした。
甘くて飲みやすいし、喉が少し熱くなる感じも嫌いじゃない。
初めてのお酒。
初めての王都の夜。
朝からずっと初めてのことばかりで、今日は一日がやけに長く感じる。
でも、まだ終わってほしくない。
私は笑いながら、今度は言われた通り、少しだけゆっくりグラスを口へ運んだ。




