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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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91話 カラクリカラクリ

 からくり時計の扉が開き、軽やかな音楽が広場いっぱいに響き渡る。


 私はさっきまでの恥ずかしさも忘れて、夢中でその物語を見つめていた。


 仲の良い男の子と女の子がいて、ある日、女の子が一匹の犬に攫われてしまう。男の子は何度転んでも諦めずに追いかけ、ようやく追いついた頃には、犬も少しずつ心を開いていた。


 やがて犬は改心し、二人のそばで暮らすようになる。


 時間が流れ、男の子と女の子は大人になって結ばれた。最後には二人の間に子どもも生まれ、あの犬も当たり前のように家族の一員として寄り添っている。


 ほんの短いからくり劇だった。


 人形が動いているだけなのに、なぜか目が離せなかった。


 音楽がゆっくりと終わり、人形たちが一体ずつ時計塔の中へ戻っていく。最後の扉が閉まると、広場のあちこちから拍手が起こった。


 ――素敵な家族。


 あー、いいなぁ。


 なんでだろう。


 すごく、いい。


「ノアさん?」


 不意に名前を呼ばれ、はっと我に返る。


「……え?」


 隣を見ると、シリルさんが少し驚いた顔で私を見つめていた。


「涙が……」

「え?」


 言われて頬に触れる。


 指先が濡れていた。


「……あれ」


 私、泣いてる。


 別に悲しい話じゃなかった。むしろ最後はみんな幸せになって、よかったねって笑うところだったはずなのに。


 自分でも分からなくて瞬きをしていると、シリルさんが急にはっとした顔になった。


「もしかして……さっき抱き上げたからですか!?」

「ち、ちちちち違います! 違うというか、あれはあれでびっくりしちゃいましたけど!」


 慌てて首をぶんぶん振る。


 いや、確かにあれも衝撃だった。


 いきなり体が浮いて、気付いたら抱えられて、とんでもない速さで王都の中を運ばれたんだから。


「でも、ああいうのは本当にびっくりするので、もうダメです!」

「ごめんなさい……」


 シリルさんが見るからにしゅんとする。


 いや、そんなに落ち込まなくても。


「もう、速すぎて息ができてたかも分からないです!」

「あの時は必死で……」

「必死なのは分かりましたけど!」


 真面目な顔で返されてしまい、一瞬だけ見つめ合う。


 その顔があまりにも本気だったせいで、急におかしくなってきた。


「もうー! あはははは! シリルさん、もう……」


 さっきまで泣いていたのに、今度は笑いが止まらない。


 涙を拭いながら笑っていると、シリルさんもようやく安心したように表情を緩めた。


「笑ってくれて、よかったです」

「ふふっ……もう大丈夫です」


 息を整えながら、もう一度だけ時計塔を見上げる。


 扉はもう閉じていて、さっきまでそこにいた人形たちの姿もない。


 それでも、最後に並んでいた家族の姿だけは、妙に頭に残っていた。


 男の人と女の人。


 その間にいる子ども。


 少し離れたところに座る犬。


 みんな一緒にいて、それが当たり前みたいに笑っていた。


 ……だからかな。


 なんだか、すごく懐かしいような気もした。


 でも、何かを思い出したわけじゃない。


 ただ、あの光景を見た瞬間に涙が出た。


 それだけ。


 心に残る物語だった。


 だからきっと、涙が出たんだ。


 そういうことにしておこう。


「あのあたりのお店、見ますか?」

「はい!」


 シリルさんが指した先には、いくつもの店が並んでいる。


 さっきまで少し変な気分だったのに、それを見た途端、また好奇心が勝った。


「行きたいです! あっちも見ていいですか?」

「もちろんです」

「じゃあ行きましょう!」


 私は笑顔で頷き、シリルさんと並んで歩き出した。

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